14:「王子ルート」
夢の中の物語に入って、二日目の昼休み。
「安藤さん、俺と一緒にご飯を食べてくれないか?」
ドン、という効果音を背後に響かせながら、俺は廊下の壁に安藤姫さんを手で追いつめた。
この世界での王子、つまり俺の必殺技――『壁ドン』である。
「ひゃ、ひゃい……」
「ありがとう。それじゃあ屋上に行こう」
ぶんぶんぶん、と勢いよく首を縦に振った安藤さんの顔は、りんごみたいに赤くなっている。
う、うぅ……。
仕方がないこととはいえ、何度やってもこれは慣れない。
恥ずかしい!
「見て、王子が女の子を誘っているわ。なんて美しい構図、まるで絵画のよう」
「あの子、噂の転校生かな? 王子に誘われるなんて、羨ましい……」
「私もやられてみたいです、王子に壁ぎわで迫られるなんて、きゃあっ」
場所が悪かったのか、周囲からの視線が痛い。
しかし、学校の王子と呼ばれている割には、こんなことしても嫉妬とか向けられないんだな。
なんだか、女の子の空気が全体的にふわふわしている。
白雪さんは、そういったところに悪意がない世界を望んだのかもしれない。
「安藤さん……と、とりあえず、行こうか」
「う、うん。わかった」
安藤さんと二人で、頬を染めながら早足で屋上へ向かった。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきまーす」
前回と変わらず、俺は先生からお弁当を受け取って、安藤さんと二人でフェンスに背を預けて昼食を開始した。
メニューも変わらない。
サンドイッチと細々とした可愛らしいおかず、そして耳のついたウサギの形をしたりんごだ。
そして、ちらりと視線を向けると、校内へと続く金属製の扉が少し開いているのが分かる。
サラ先生とヤス、続いてなぜか七人のイケメンたちもこちらの様子を覗いているんだろう。
――これも、前回の世界と変わらない。
前回と違うのは、安藤さんと一緒に屋上に来たということと、今回の俺には覚悟が備わっているということ。
そう、絶対に失敗しないという決意だ。
白雪さんを助けるために――
き、きき、キスを……初キッスを、かましてやるぜ!
「王子」
「わひゃぃっ」
安藤さんは蕩けるような笑顔を浮かべて、隣に座る俺を見ている。
ふぅ、危なかった。
危うく桃色の妄想にとりつかれるところだったぜ。
冷静に、落ち着いて会話に望むんだ。
「な、なんでしょう?」
「お昼ご飯、誘ってくれてありがとね」
「ああ、いやいや、こちらこそお誘い受けてくれて、ありがとう」
本当、あんな恥ずかしいことを衆人環視のなかやっちゃって、ごめんなさい。
しかし必殺技の威力は、やっぱり凄いな。
やったら必ず、成功する。
ここが夢の中じゃなかったら、引かれて終わるのがオチだろう。
「へへ、転校してきたばっかりだし、知り合いもいないからさ。クラスに馴染めるか、ちょっと不安だったんだ」
「……そう、だよね」
そっか、ここは一度リセットされている、二回目の物語。
昨日も安藤さんは七人に言い寄られてはいたけれど、放課後に出かけるような素振りは特に見せていなかった。
もしかしたら、授業が終わるとそのまま家に帰ったのかもしれない。
街を案内するという理由での、男の子たちと仲良くなるためのイベントが起こっていないんだ。
きっと、前回とは違う流れでストーリーが動いているんだろう。
ここはまだ特定の誰かへの、ルート攻略が始まっていない――世界なんだ。
「わたし、お父さんの転勤でここに引っ越してきたんだ。急な話だったから、友達ともちゃんとお別れできずに来ちゃった」
「大変だったね」
「それでね……」
そこから、安藤さんはここに来た経緯を話してくれる。
一度聞いた話だからか、落ち着いて返事することができた。
楽しそうに話す安藤さんを見ているだけで、なんだか俺も嬉しくなってくる。
いい感じだ。なにも問題なんかない、全てが順調に進んでる。
あとは、このまま流れにのってりんごを――
「そういえばさ」
「うん」
「――王子はなんで、学校の王子って呼ばれてるの?」
「…………え?」
こ、こんな話、前回したっけか?
いや、してない。記憶にない。したら絶対覚えてる。
それに、残念ながらその質問には答えられない。
「なんか皆がそう呼んでるから、わたしも流れで呼んじゃったけど……なんでかなって」
「いや、それは……」
だって俺自身も知らないもん、そんなの。
割り当てられた役が『王子』だからじゃ、ないのか……?
「俺にも、分からないんだ。知らないうちにそうなってた。きっと理由なんてないんだよ」
だって俺、本当は王子じゃない。
たまたま『王子』の役になっているだけだ。
「そう? そんなこと、ないと思うけど」
「……」
「『学校の王子』なんて凄いあだ名、理由もなしに呼ばれるなんてことないよ」
「……そう、かな」
「なにか、あるんじゃないかな。そう呼ばれるようになるまで、王子が頑張ったこと」
なにか確信でもあるような、その問いかけ。
――頑張った、こと。
その安藤さんの妙な言い回しが、まるで心の奥底まで覗くような瞳が、俺に突き刺さる。
「はは、そういう……ことか」
……ああ、そうか。
なるほど――これが、王子ルートのエピソードなんだ。
七人の小人それぞれに、なんらかの重い事情があるように、王子にも主人公と出会って明かされる過去の出来事がある。
それがあるから、あったから、この世界に入ったときそれに相応しい役に選ばれた。
――だとしたら、あれしかない。
この夢の世界にいると解決してしまう、重い過去、苦しい出来事が、ちゃんとあったよ。
「悲しい顔、してるね……。なにか、思い出した?」
「……うん、思い、出した」
ここに来た理由、動き出した理由。
クリスマスの日に――『サンタ狩り』なんて馬鹿な真似を決行した理由が、俺にはある。
「よかったら、聞かせて欲しいな。転校してきたわたしに、気を使ってくれた貴方の事情だからこそ、聞かせて欲しい」
「うん、分かった」
主人公が聞きたいと言ってくれるなら、攻略対象である俺も話そう。
決して楽しい話じゃ、ないけれど。
「俺さ……少し前まで、部活やってたんだ」
「やってた、てことは、いまは?」
「……やってない。やれなく、なった」
今でも鮮明に思い出す。
あの激痛、あの衝撃、心に大きな穴が開いてしまったような――あの、悲しみ。
「どうして、やれなくなっちゃったの?」
「部活中に怪我、したんだ。膝を壊した、幸いにも日常生活には問題ないけれど、激しい運動はできなくなった。もう部活が……できなくなった」
そこから、俺の人生は180度変わってしまった。
毎日続けていたランニングもしなくなり、ただ、ぼーっとするだけの無為な日々を過ごすはめになったんだ。
「……入ってたのは運動部、だよね? 誰かと激しくぶつかった……とか?」
「いや、違うよ。ごめん、言い方が正しくなかったかもしれない。自然と……そうなったんだ、誰が悪いわけでもないんだよ」
「じゃあ、どうして……」
「俺が馬鹿だったんだ。溜まってた疲労が表面にでてきたんだろうって、医者は言ってたかな。すぐに納得したよ。十分な休息を取らずに、動いてたからなぁ」
ろくに休まずにいたら、そりゃそうなるよなって、腑に落ちた。
だからきっと、あの怪我は必然だった。
自業自得、因果応報、身から出たさびって感じか。
「そっか……いっぱい頑張ってたから、体を壊しちゃったんだね」
「そういうことに、なるのかな。チームメイトも、もちろん顧問の先生だって、ちゃんと忠告はしてくれてたんだ。いま思うと、だけどさ」
無理のしすぎは良くない。
休むことも必要だって言葉を無視して、運動してた。
技術を磨いていた。
――それが正しいと、そのときは思ってたから。
夢を追うことにリスクなんかないと、頑張ればそれだけ結果はついてくると、無邪気に信じてた。
むしろ、なんで皆は必死にならないんだって、怒ってたかも。
「そっか……辛かったね」
「うん、辛いと思ったし、随分と泣いたよ。はは」
なんで俺なんだと、入院中ずっと考えてた。
どうして頑張ってた俺がこんな目にあって、ろくに練習もせずにサボってた奴らがまだ部活を続けられるんだって、八つ当たりな考えが次々浮かべては、自己嫌悪してたんだ。
「でも頑張ったからこそ、得られるものもあったんだ。嬉しいことが、たくさんあったよ」
「ふふ、王子って呼ばれるようになったこと?」
「う~ん……それも含まれるの、かな」
それは、この夢の世界限定でのことだしなぁ。
「大会も結構いいところまで進んだし、大学からスカウトまで来たこともあるんだぜ。その話も、もうなくなっちゃったけどね」
「凄いね! 頑張ったんだねぇ」
「うん、我ながら頑張ったなぁって思うよ。ちょっと頑張りすぎなくらい、だったかな」
膝を、壊しちゃうくらいね。
「……部活は、楽しかった?」
「楽しかった」
それだけは、はっきりと断言できる。
あのときの俺は夢中だった。わくわくして、ずっとドキドキしてた。
明日が来るのが待ち遠しかったんだと、思う。
「また、やりたい? なんとか怪我を治して、部活に戻りたい?」
「……いや、それは考えてない」
「どうして? それだけ、好きなことだったのに……」
「不思議と、後悔はしてないんだ」
そう、俺は前の生活に戻りたいと考えてはいない。
サンタから貰いたいプレゼントも、友達が欲しい、恋人が欲しいとかばっかで『膝を治して欲しい』とは思ってなかった。
「後悔は、してない……」
「うん、やりたいことを自分の限界までやって、それなりに結果もついてきた。それで心の区切りがついたんだと思う。だから今は、同じように夢中になれるような、新しいやりたいことを探してる途中なんだ」
「……そっか」
安藤さんは、優しい笑みを浮かべてくれた。
「これで、お終い。王子と呼ばれるようになった理由は分からないけど……俺が頑張ってきたことは、こんな感じ」
「話してくれて、ありがとう。王子のことを知れて嬉しいな」
「いやいや。俺のほうこそ、聞いてくれてありがとう。なんだか胸が軽くなったよ」
部活をやめてから、じっくりと会話する機会が少なくなってたからなぁ。
やっぱり人と話すってのは、楽しいな。
それがこんな美人なら、なおさらだ。
「それじゃあ頑張った王子様に不肖この安藤姫から、ご褒美を差し上げましょう。ふふっ、なにがいい?」
「……いいの?」
「うん。なにか、わたしに王子の力になれること……ないかな?」
――会話の流れ、辿ってきたストーリーの流れが違うからか、安藤さんがりんごを食べてくれる機会がないと思ってた。
作らないといけないと、考えていた。
だけどこれなら……、
「それじゃあ、この『りんご』を食べて欲しい」
弁当箱からりんごを取り出し、安藤さんの口元に差し出す。
安藤さんは目の前に浮かぶ果実を見て、口元を楽しげに歪ませる。
「ふふ、なにそれ。そんなことでいいの?」
「これがいい。これが、君の為にもなるんだ」
君を救うために、必要な行程だから。
「よく分かんないけど……分かった、それじゃ――いただきます」
シャリ、と音を立てて、安藤さんは俺の指に挟まれたりんごをかじった。
うっ……女の子にモノを食べさせるって、なんかエロいな!
もしかして、計らずに俺は『あ~ん』を体験してしまったんじゃないか?
いやっほうっ。
これはテンション上がるぜ!
「――んぅぅっ、う、くぅ、ぅ……」
そして、安藤は苦しそうに悶えたのち、倒れてしまう。
「兄貴ぃっ、なにが起こったっすかぁ!?」
「赤花くん……」
それを見て、ヤス、サラ先生が扉を開けて入ってくる。
「姫ぇ! てめぇ姫になにしやがった王子こらぁ!」「あははっ、み、みんな心配しすぎだよ~、お姫様っ、しっかり!」「どうなされたのですか姫!」「お姫様~、なんで倒れたの~?」「お、おおお姫さまぁ、死んじゃやだよぉっ」「っくしゅん、だいじょうぶっ!?」「ヒ、メ……っ」
続いて、七人のイケメンたちもだ。
「しっかり! 大丈夫っすかぁっ!?」
ヤスが安藤さんに寄り添って、安否を確かめ始める。
七人のイケメンたちは、前回と同じく安藤さんの周りでうろたえていた。
「赤花くん、覚悟は……できていますかー……?」
「……先生。はい、できて……います」
手順を確かめるように頷き合い、俺は前へと一歩進む。
「ヤス」
「兄貴!? は、はいっす」
「少し、どいていてくれ」
「もの凄い気迫……! わ、分かったっすっ、兄貴にお任せするっす!」
横たわる安藤さんに近寄り、顎に優しく手を添える。
目を閉じている安藤姫に……口元を寄せた。
白雪さん、君を救うために――この物語を終わらせるよ。
グランド、フィナーレだ。
「――ん」
ゆっくりと、静かに……唇と唇が、重なった。
柔らかい――これが粘液の接触、これが女の子の体――これが、キスなんだ。
「な、なな、なにしてるっすかあああああああああああっ」
「ぐぼぉぁっ!?」
――殴られた。
……えっ? なんで?
なんでそんなに怒ってるの? だってこうしないと、駄目なんでしょ?
だから頑張ったのに。
勇気を振り絞ったのに。
ヤスよ――どうして、そんな表情を浮かべている。
俺はなにか、間違ったのか?
「倒れた女の子の唇を奪うだなんて、なに考えてるんすか! 見損なったっすよ!」
「い、いや……これは、安藤さんを助けるために」
「キスしたら助かるんすか!? 喉をつまらせた人を助けるのに、そんなことが必要なんすか!?」
「……」
正論だった。
正論で怒られてしまった。
悲しひ。
ショックだ。
なにも言い返せない……。
「兄貴を信じたオイラが馬鹿だったっす! この人はオイラが運ぶっす!」
「ど、どこに……」
「保健室っすよっ、なんでそんなことも分からないんすかっ!」
そう言って、ヤスは安藤さんを背中に負ぶさった。
よろよろと、頼りない足取りで校内へと続く扉に進んでいく。
俺はそんな光景を、ぽかーんと見ているだけのことしか、できなかった。
「あか、はなくん……ごめんなさい、ま、た……」
「せ、先生っ!」
「これは、あにめじゃ、ありません……しら、ゆきさんは……あそこ、に」
言葉の途中で、サラ先生が、ふっと膝から崩れ落ちる。
そして――ヤスと安藤さんが屋上の扉を抜けたとき、世界が歪み始めた。
あぁ、また……前回と同じように失敗してしまったんだな。
俺はいったい、なにを間違えたんだろう。
――これは白雪姫の物語じゃないのか?
倒れたお姫様に、王子様が口づけをする。
それで、お話は解決するんじゃないか……?
白雪さんは、この物語になにを望んでいる――
「…………はは、分かったよ。もう、全てが繋がった。そうだよな、おかしなところなんて、いくつもあったじゃないか……」
――最初から、俺はずっと勘違いしていたんだな。
遠くの景色から凄まじい速度でぐにゃりと、いびつに、変形していく。
俺は歪んだ空を見上げながら、ぎゅっと目を瞑った。
ゲーム終了だ。
世界は、リセットする――
瞼を開けると、そこは道ばただった。
俺はぼんやりと立ちつくしている。
遠くには桜の木が見えた。
視界に入る太陽の高度は、少し低くなっている。
そして――
「兄貴~、どこですか~?」
声が聞こえる。
誰かを探している声だ。
なんだか声色が高く、随分と可愛らしい印象を受ける。
「……ヤス」
大事なところで間違って、ごめん。
ずっと、ずっと気づけなくて、ごめん。
馬鹿な兄貴分で、ごめんな。
「あっ、兄貴! やっと見つけましたよ、どこにいってたんですかもう」
「悪い、ちょっとな。少し考えごとしてた」
「そうっすか。まぁいいっす、こうして無事に見つかりましたから」
にこにこと、ヤスが俺に笑顔を向けてくれる。
「学校に、行こうか」
「はいっす! 早くしないと遅刻しちゃうっすよ~」
――3回目の物語が、始まった。
さぁ、正しい『白雪姫』を、始めよう。
物語を終わらせるために――この夢の世界から、三人で抜け出すために。
学校に、行こう。