9:「幸福よりも重要な目的」
昼休みを終えた教室からは、カッカッという黒板に授業内容が書かれる音が響き、初めて見る教師が少し張りのない声を出して生徒の学力を上げようと励んでいる。
そんな中、俺はノートも満足に取らずに安藤さんをじっと見つめていた。
ここは夢の中だ、授業の内容を重要視する必要はない。
なによりも大切なのは、白雪さんの、この夢を創り出した人の目的を見極めることなんだから。
「……」
しかし、観察しても……なにも分からないなぁ。
いたって普通に授業を受けているだけだ。そういえば思い返してみると、昼休み前だって授業中には特別なことはなにも起こっていない。
う~む、白雪さんは普通の学校生活を夢見てるってことなのかな?
現実じゃあ不登校って話だし、平穏無事な学生になりたいとか……。
……あ、安藤さんと目が合った。
そしてすぐ顔を背けられた。なんか安藤さん顔赤いし、伏せ眼がちになってしまっている。
き、気まずい。
なんかこれ、もしかして意識してるって思われてるんじゃないか?
よくあるよな。気になる子をつい目で追っちゃって、周囲どころか本人にすら想いがバレバレ、みたいな展開。
「……」
くぅぁぁぁ、なんだか恥ずかしくなってきたぞ!
考えてみると意外に難しいんだな、人を観察するってのは。対象に気付かれないようにするってのが特に難しい。
「こら、いくら転校生が美人だからって見すぎだぞ」
教師は授業そっちのけで個人を見るという俺の怪しい挙動に気付いたのか、にやにや顔で注意してきた。
「授業に集中しなさい」
「す、すみません……」
安藤さんはますます顔を赤くし、クラスの皆は小さな声でくすくすと笑いだす。
そして、七人のイケメンたちは面白くなさそうに俺に鋭い視線を向け始めた。
……あぁ、夢の中でよかった。
これが現実だったら心が折れていたかもしれない。
うぅ、俺が不登校になってもおかしくないほどの非常事態だぞ……。
辛い。
しかし、失敗してしまったな。
これで授業中に安藤さんを観察しづらくなってしまった。
放課後にまた先生と合流するまで、とりあえず授業を真面目に受けるしかないか……。
「あれ」
黒板に目を向けると、授業内容は去年にやったところだと気付く。
……白雪さんのイメージにある授業が、反映されているのだろうか。
「兄貴、今日も学校お疲れ様っす~」
「おぉヤス。お前のほうが早く終わったのか」
授業とHRが終わり、放課後になった途端、ヤスは教室の扉をガラっと開けて入ってきた。
「いえいえ、兄貴を待たせるなんて出来ないっすから」
ヤスはそう言って、にこにこと無邪気に笑う。
……え、まさかHRぶっちしてきたの?
その忠誠心、いきすぎててちょっと恐いよ。
「姫、これから時間あるか?」
「怒田くん。うん、あるけど……」
「へへっ、そうこなくちゃな。んじゃ遊びにいこーぜ、転校してきたばっかでここら辺のこと知らねぇだろ、俺が案内してやるよ」
ツンツン髪が安藤さんを誘っている。
それを見て、取り巻きの六人が立ち上がった。
「あはは。待ってよ、姫を一人占めしないで欲しいなぁ」
「その通りです。街の案内ならば私も同行させてもらいますよ。貴方の知識だけでは、姫を満足させられるとは思えませんからね」
「そうだね~。こっちもお姫様の役に立ちたいし~。一緒に行きたいかな~」
「ぼ、ぼぼ、僕もお姫さまのそばにいたい、なんて……言ってみたり……?」
「ぅっくしゅっ。俺も姫に案内したいところあるなぁ。絶対に楽しい思いさせる自信ありだって」
「……ヒメに、ボクの大切な場所……教えてあげる……」
イケメンたちから次々にまくしたてられ、安藤さんは少しだけ困ったように、だけど嬉しそうに笑った。
「ありがとう! じゃあ、皆で行こうよ!」
その安藤さんの弾けたような爽やかな言葉に、最初に声をかけたツンツン髪は一瞬面白くなさそうに顔を歪めたが、すぐに気を取り直したようで苦笑いしながら肩をすくめていた。
そして安藤さんは、イケメンたちを連れて教室から出て行く。
視界から完全にいなくなってしまう間際、安藤さんはちらりとこちらに視線を流した。
……いいなぁ。
きっとこれから、街へ繰り出してきゃっきゃうふふと男女仲良く楽しむのだろう。
実に羨ましい。
学校で王子と呼ばれているはずの俺はといえば、突然始まった目の前の展開に驚き呆気にとられ、ぽかんと口を開きながらその光景を見つめていた。
いや、凄いな。
というよりは、なんて展開なんだって言うべきか。
たくさんのイケメンたちに誘われて、ちやほやされる。
まさしく思春期真っ只中の女の子にとって、ここは夢のような世界と言えるだろう。
これが男女逆だとしても、それは当てはまるんじゃないかな。
俺もたくさんの女の子に、ちやほやされたい……。
心の底から、そう思う。
でも、その代わりに夢魔に取り憑かれて食べられちゃうのは、嫌だなぁ。
痛し痒しだ。
「……あの女の人って、今朝兄貴とぶつかった人じゃないっすか?」
「ああ、そうだな。彼女、転校生なんだよ。今日このクラスに来たばかりだ」
「そうなんすか、凄いっすねぇ。たった一日で兄貴の次に有名な七人をもう虜にしているなんて……まぁ、あれだけの美人なら納得っすかね」
ヤスはそう言って、関心したとばかりに息を吐く。
へぇ、あのイケメンたち、この学校では名を馳せているという設定なのか。
確かに白雪姫という物語の中でも重要な役どころだしな。
「あの、王子……」
「……えっ!? お、俺?」
俺に話しかけてるの?
そのクラスメートの女の子は、もじもじと体をよじらせている。周りには、同じように頬を染めた女の子が三人ほど固まっていた。
その子たち全員の目線は、ばっちりと俺に向けられている。
……間違い、なさそうだ!
「はい。もし良ければ、これから私たちとお出かけしませんか……?」
「俺を、誘ってくれてるんですか」
「え……は、はい」
「俺と遊ぼうと、言ってくれてるんですね」
「はい、美味しいスイーツを食べられるお店が近くにあるんです。王子と一緒に行きたいと、思って……あの、王子……?」
「う、うぅ……」
俺は気が付けば、涙を流していた。
目頭が熱い、上手く前が見えない。だがこの胸の中を満たしている温かなものはなんだろう。
いや、本当は分かっている。
俺はいま、女の子から誘われているんだぞ?
この温かさはきっと、幸福というやつなんだろうな。
――なんて幸せな夢なんだ、ここは!
「ど、どうしたんですか……。なにか、悲しいことが……?」
「違うんです、嬉しくて……」
「……嬉しい? それは、どうして?」
「だって、女の子に誘われるなんて初めてだから」
「まぁ、王子はなんて謙虚なんでしょう。でもそんなに喜んでいただけるとこちらも嬉しいですわ、それでは私たちとお出かけしましょう」
やったぜええええっ。
はい行きます! 一緒にスイーツ食べに行きましょう!
なんなら俺が全部お金を払いますよっ。
「兄貴!」
「や、ヤス。どうした? もちろんお前を置いていくつもりはないぞ、一緒に行こう」
「もう、違うっすよ。先生と話してたことはなんだったんっすか、兄貴にはなにか放課後に大事な用事があるんでしょう?」
ぷんすか怒りながらも、ヤスは俺に大事なことを教えてくれた。
そうだった……俺にはやることがあるんだった。
もうとっくに、教室の中に安藤さんの姿はない。どころか学校の外へ出てしまっているかもしれないぞ。
サラ先生と合流している時間すら惜しい状況になっている。
くそっ、見失うわけにはいかないか……。あれだけ目立つ集団だ、きっとすぐに見つかるはずだ。
いますぐ追わねば!
だけどその前に、女の子たちにきちんと、ごめんなさいしないといけないな。
俺はなにも言わず済ませるほど不義理な人間じゃない。たとえ仮初めの世界でも、王子と呼んで慕ってくれる人に対しては紳士でいたいんだ。
「ごめん、なさい」
「……え?」
「これから少し用事があって……一緒に行くことができないんです。誘ってくれてありがとう、凄く嬉しかった」
「王子……いえ、大丈夫です。またお誘いしてもよろしいでしょうか」
「はい! よろしくお願いします!」
むしろ俺から誘いたいくらいだ。
断られるのではという恐怖も、この世界の中だとなさそうだしな!
俺は女の子たちに一度頭を下げたあと、急いで教室を抜け出した。
「兄貴、急に走ってどこ行くんすかー!」
ヤスは走って追従してくる。
リーゼントが縦に揺れて、なんだか少し面白い光景だ。
「ヤス、さっきは助かった。おかげで大切なことを思い出せたよ」
「いいっすよもう。それで、なにするんっすか、オイラも手伝うっすよ」
「……助かる。それじゃあさっそく、頼みたいことがあるんだけど、いいか?」
走りながらだから、少し息が切れる。
ヤスは俺より足が遅いようだ。声を大きくして、俺に届くよう肯定の言葉を叫んだ。
「はいっす。なんでも言ってくださいっす!」
「サラ先生に伝言を頼む。『ターゲットが街に繰り出したから、先に行って様子を見る』って!」
「わ、分かったっす。絶対伝えるっすー!」
ヤスは一度止まり、了承の言葉を出してから職員室があるほうへ走っていく。
もしかしたら先生は屋上にいるかもしれないが、まぁ正しい選択だろう。
俺はそれを見届けつつ、安藤さんたちに追いつくよう足を速めた。
全力で走ることができる。
走っても、体を壊すことはない。
焦っている状態だけど、それが少しだけ――嬉しかった。




