(2)
急に覇気を無くした私を心配してくれて、少し休憩しましょうかと言ってくれたメイさん。ありがとうございます。正直キツイです。軽い気持ちで行きたいなんて言わなければ良かったと、激しく後悔してます。
「……キサキさん、あなたは此処が異世界だと認めていないのですか?」
三方を本棚に囲まれたその場所で、机を挟んでティータイム。期待はしてなかったけれどお茶菓子は用意されていた。簡素なチョコ菓子。もしかしてこれって、メイさんが仕事の合間に食べるため用意してたんじゃ……? そうだったらひどく申し訳ない。
そんなことを思っていたら、唐突にそう訊ねられたのだ。
「異世界……?」
「リーンハルトから話は聞いたのではないですか? 此処は、日本があるところとは違う世界なのだと」
「そういう話は、聞きましたけど」
「信じていないということですか? なぜです?」
何故って…………。むしろ普通の感覚だと思うんだが。
「だって、ありえないです。ずっと昔から“キサキ”がやってきては消えていくとか、毎回毎回男の子五人を産んだとか。現実的に考えて、不可能ですよ。今までにキサキがたくさんいたと言うなら、中には子供を授かりにくい体質の人も居たでしょうし、全員が五人も産むなんて。そもそも性別は天運です。五人とも男の子、しかもそれが何代も続くなんて、奇跡みたいな確率です。ありえません」
ありえない。そうだ、それが全てなのだ。あまりにもファンタジーすぎる設定で、リアリティが無さすぎる。
「ありえるんです。その話は、リーンハルトから聞いていないのですか?」
「その話……?」
「我々には、“神の祝福”があるんです。子を産むまで、決して死ぬことはありません。これは聞きましたか?」
「そんなことも…………言ってたような……」
言ってなかったような…………。
「それはつまり、常に神が我々を見張っているということでもあります。そうでもなければ、いつ訪れるかも分からない『死』を遠ざけることなどできるはずがありません」
「でも、相手は神様でしょう? ずっと見ていなくたって、そのくらい簡単なのでは」
「こちらの『神』は、日本の神とはだいぶ違うのです。超越的でありながら人間的で、万能なようで不便な存在。とくに、この神聖国の神は空間と時間を司ります。それ以外の事となると、人間よりも非力な存在へとなるのです」
「…………よく、分からないです」
「そうですね…………。神とは思わず、ひとつの生命体だと思って下さい。我々と同じ人間だけれど、少々特殊なルールの上で生きている。こちらの世界の神とは、そういう存在なのです」
「特殊な、ルール…………」
話がそれてしまいましたね、とメイさんは苦笑いをした。
「とにかく私たち六人は、常に神に見張られているということです。これだけでもあまり気分の良いものではありませんが、更に悪いことに、我らの神は“時間と空間”を司ります。これがどういうことか、分かりますか?」
「……いえ」
「――――――都合の悪いことがあったら、時間を巻き戻すことができる、ということです。例えば貴女が、子供を五人産まずに亡くなったとします。そうなったら神は時間を巻き戻し、貴女がこの国へやってきた段階からやり直させる。役目を終えるまで、それの繰り返しです」
そんな、と私は思わずつぶやいた。その声を聞いて彼は苦笑いを深くし、それ以上は語らない。紅茶を飲んで、私にも勧めて、ようやく私の混乱が収まってきたころ、ようやく続きを語りだした。
曰く、そうと言い切っているのは伝承だけで、巻き戻る前の記憶は我々には残らない。ただ、私が言ったように五人も子供を産むキサキが延々と続いているのは奇跡のような出来事のため、それは恐らく本当なのだろう、ということで皆納得しているということだ。
「もしそれが、本当にそうだったら、もう逃げ場なんて…………」
「そうです。逃げられないんです。だから、貴方には子供を産んでもらうしかありません」
「それ、は………………」
私はそこで一度、言葉を止めた。俯きがちだった顔を更に下に向け、強く唇を噛み締める。
(ああ、お姉ちゃんに唇が傷つくからその癖直しなさいって言われてたのにな)
「…………いやです」
「――――――嫌?」
ひやり、とした声だった。今までの丁寧で穏和な物腰からは想像できない、冷淡で刺々しい声色。
驚いて顔を上げれば、そこに居たのは変わらず緑色の髪をした青年で。けれど、先ほどまでは確かに柔らかく細められていたその緑の目が、威嚇するように鋭利に光っていた。
――――怒らせた。
「貴女は……まだ、自分の境遇が分かってないんですね」
「分かってます」
「いえ、分かってないですよ。先ほどの私の話を聞いてもなおそう言うということは、分かっていないということでしょう。逃げられないのですよ? どうして、自分の運命から目を逸らそうとするのです」
「目を逸らそうとしているわけではありません。納得していないだけです。だってそうでしょう? 私にはあなた方の話しか信じる材料が無いのに、どうしてそんなぶっ飛んだ話をすぐに信じることができるんですか。それも、見ず知らずの男性の子を産めなんて…………納得する方が可笑しいです」
はあ、と彼は大きなため息を吐いた。心底呆れ返ったようなその様子に、私は戸惑いを隠せない。なんで? 最初は優しそうな人だと思ったのに。少なくとも私の前で冷たい態度を取ってなかったはずなのに。私の言葉は、そんなに逆鱗だった? 態度を急変させるくらいの?
「どうやら、リーンハルトとクレーメンスが最初に貴女の相手をしたのは、間違いだったようですね」
「どういう意味です?」
「二人とも、優しかったでしょう? そうするのが仕事ですからね、とくにリーンハルトは。…………貴女はリーンハルトの仕事を知らなかったと言うことですが、“書庫”の仕事とは何か、気にはならなかったのですか?」
「私の世話をすることだって、さっき聞きましたが……?」
「ええ、そうです。言ってしまえば、彼はそのためだけに生まれてきたんですよ。貴女がこちらでの生活に困らない様に、分からないことがあったら何でも教えられるように。そのため、リーンハルトの頭の中には多くの文献が一言一句違わずに保管され、故に“書庫”という役職を与えられているのです。とくにキサキに関することは全て知り尽くし、それを実際に役立てても居ます。貴女の朝食は、わざわざリーンハルト自らが指導してコックに作らせたのですよ。これまでのキサキの情報を役立て、これからのために残していく。それが彼の仕事なのです」
白いご飯、味噌汁、焼き魚に目玉焼きにおひたし――――――。それら、日本で良く見る料理全てが、リーンが私のために作らせたもの?
「クレーメンスもそうです。彼は“騎士”で、人間離れした身体能力を持っています。戦争があれば先陣を切って駆け抜けていくのが一番の仕事ですが、そうでない平常時の仕事は護衛なのですよ。無論“キサキ”の護衛です。護衛してくれる男が友好的でないとなると、キサキへの精神的苦痛も計り知れないでしょう? そのために、キサキが嫌がるようなことはしないよう、遺伝子に組み込まれているのです」
「…………」
「リーンハルトもですよ。親しみやすい性格であるよう、キサキに苦労をさせないよう、遺伝子に組み込まれています」
「それは、ひょっとして、他の三人も……?」
「その質問には、肯定も否定も出来かねますね。勿論我々の遺伝子にも、彼らのように様々なことが書き込まれています。ですが、その中には“キサキに対し好意的に接せよ”というものは無いのですよ」
ここまでくれば、流石の私だって、彼の言いたいことは分かる。
私、百崎桃は、彼らにとってお呼びでないのだ。
大切な子を産む存在の“キサキ”は必要で、手厚く遇するに吝かではない。でもそれは、子を産む機械として大切なのだと、そういうことを言いたいのではないだろうか?
だから、子を産みたくないと言う『私』の存在を疎ましく思っている。それはメイさんだけでなく他の四人も同じで、リーンやクレーがそういった態度を出さなかったのは遺伝的なもので本人の意思は関係ない、と。
「それでも、私にはやっぱりそれを受け入れることはできません。また、リーンやクレーや貴方が私に対しどんな態度を取ろうとも、私の意見が変わることはありません。そもそも、どうしてリーンとクレーに最初に会ったのが間違いだったと言い切れるんですか? 私が彼らに優しくされて調子に乗っているとお思いですか」
「はい、正直に申し上げれば」
そこまではっきりと言い切られては…………怒りを通り越して情けなさが先行してくる。反論をする気力もごっそりと奪われてしまい、私は黙るしかなかった。
私が実際に調子に乗っていたかどうか、それは自分ではわからないけれど、彼にはそう見えたということだ。万全な衣食住を提供してもらっていて、何不自由ない生活を保障されておきながら、義務も果たそうとしない我が儘な女。それが彼らにとっての私。
「…………まあ、それを納得させるのは私の役目ではありません。何度も“やり直し続ける”のも、我々の運命なのでしょう。ですが、貴女はキサキです。人々は、それが例えどんな我が儘だとしても、貴女が望んだならば全てを叶えようとするでしょう。今までよりも楽しい生活を送れるに違いありません。けれどそれは、義務あってこその報酬なのだということを、どうか、忘れないでいただきたい」




