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次の日、学校からの帰宅途中に春は迷っていた。
大型スーパーの出入口の前にある通りで、自転車から降りて建物の三階にあたる部分をぼんやり見上げていた。
ゲームセンターで知り合った女子高生が、実は幽霊だった。
ゲームセンターも本当は存在していなかった。三階へ上がる階段も封鎖されていた。
全ては女子高生の幽霊がつくりあげた幻だったのだ。
では、どうして彼女はそんなことをしたのか。なぜ自分が誘われたのか。
そういえば、ぬいぐるみはまだ取ることができてないままだし、それに、彼女の名前も聞き逃したままだ。
謎が山ほど残っているではないか。
むず痒いままの胸中に、耐え切れなくなった春は、きっと三階を睨みつけると、
「ええい、ままよ!」
覚悟を決めて、駐輪場に自転車を停めたのである。
出入口を潜ると階段を上がり、2階で立ち止まった。
春の前に立ちはだかったのは、立入禁止の立て看板とロープ。
跨がっていけば障害物にすらならないようなものだが、これが見えているということは、彼女は春がやってくることを拒んでいるのではないか。
「来るなとでも言うのかよ! だったら尚更会いに行きたくなった!」
春はあっさりとロープを跨がると、三階へ向けて階段を駆け上がった。
明かりのない通路を抜け、吹き抜けを回り、ゲームセンターの場所に着いた。が、そこにゲームセンターの賑やかな明かりはなかった。
空っぽの空間だったのだ。
春はその場で立ち尽くし、長嘆息をつくと、突然怒声を放った。
「何だよ! こうしてまたぬいぐるみを取りにきたってのに! いろいろ中途半端にしといて、もう会わないつもりかよ!」
しかめっつらを浮かべて更に付け加える。
「帰る!」
春は踵を返して背中を向けた。が、その時、コートの袖を何かが引っ張った。
「ごめんなさい」
女子高生の声だった。
春は振り返ることはしなかったが、女子高生は更に言葉を続けた。
「今までの人は、私の正体を知った途端、来なくなりました。だからあなたも、もう来ないかと思ってました」
「そんな! 俺言っただろ! あのぬいぐるみを意地でも取りたくなったって」
「・・・そうでしたね」
女子高生は少し涙声になっていたが、春は背中を向けたままで、やはり振り返ろうとはしなかった。
「昨日はごめんなさい。警備員の人が来たから、急いであなたを解放しなきゃって慌てちゃって。だからつい眠らせちゃいました」
ようやく春は振り返ると、女子高生と向かい合った。
女子高生は申し訳なさそうに俯いていた。
「いい。そんなことより、名前を教えてよ」
「え? 私の・・・ですか?」
「そう」
茫然とする女子高生に、春は先に名前を名乗った。
「俺は城崎 春」
「わ・私は彩峰 夏姫です」
こんな展開になるとは露ほども思ってなかったのか、女子高生は狼狽気味に名乗った。
「さて、遅い自己紹介も済んだことだし、昨日の続きだ」
「は・はい」
いつのまにか、女子高生の後ろには、ぬいぐるみの入ったユーフォーキャッチャーだけが、闇の中に浮かぶようにしてそこにあった。それ以外には何も見当たらない。
ユーフォーキャッチャーの中では、ぬいぐるみと景品を落とす穴との距離は10センチを切っていた。
「店員がいないので、代わりに私がとりやすくしてみました」
悪戯っ子のようにしたり顔で答える女子高生。
彼女の言うとおり、上手くいけば、あと一度で手に入れることができるだろう。
春は小銭を投入すると、早速クレーンを操作した。
しかし、思わぬところでミスをしでかした。
ボタンを離すのが早すぎたため、アームはぬいぐるみを掴めず空振りしてしまった。
「下手っぴ~」
先のことはもう吹っ切れたのか、夏姫はくすくすと破顔した。
「な!? 違う! 今のは指が滑ったんだ」
春はそう言い訳したものの、本当はわざとミスしたのかもしれない。
もしぬいぐるみを取ってしまったら・・・? それを考えると、春の手は強張ってしまっていたのだ。
「もう一度だ! もう一度」
「はい!」
夏姫は胸の前で手を合わせて、再び春が操作するクレーンに眼が釘付けになっている。
とても楽しそうである。
春も夏姫との時間を楽しんでいた。
もし恋人がいたなら、デートとはこんな感じなんだろうか。 ・・・
春が物思いに更けっていると、
「あ!」
夏姫が声を上げ、春は我に返った。
目の前で、ちょうどアームが景品穴を真下にして、ぬいぐるみを落としたのである。
取ってしまった。
嬉しいはずなのに、春は素直に喜ぶことができなかった。
夏姫は景品取り出し口からずっと欲しがっていたぬいぐるみを取り出すと、胸の前でぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう!」
「あ・ああ」
眩しいくらいに笑みをこぼす夏姫を見ていると、春には彼女が幽霊だとは尚更思えず、胸が苦しくなった。
しかし、唐突に、
「はい!」
夏姫は今取ったばかりのぬいぐるみを春に差し出してきたのである。
「え?」
微笑む彼女を前に、春は面食らった。
「俺にくれるのか?」
「うん。だから、大切にして」
「わかった」
春は差し出されたぬいぐるみに手を伸ばすが、はたとその手を止めた。
「なあ? やっぱり・・・もう会えないのかな」
「え?」
春がぼそっと呟いた言葉に、夏姫は目を見張ると、しゅんとなってしまった。
そして、俯いたまま答えた。
「・・・うん、これで最後」
春は、やはりぬいぐるみをとらなければよかったと後悔した。
「そっか」
後悔したって仕方がない。春は捨て鉢な思いをおさえながら、夏姫からぬいぐるみを受け取った。
再び顔を上げた夏姫の目は潤んでいた。
「ありがとう。すごく楽しかったです」
「俺もすごく楽しかった。もっと一緒にいたいくらいだ」
「私もそう望みたい。でも、私はもう死んだ人だから」
夏姫はまた微笑みを浮かべると、胸の前で小さく手を振った。
「あなたのことは決して忘れない。私の分まで長く生きてください」
彼女の身体は下半身からどんどん透明になっていく。
「ああ。約束する」
胸の前で振っていた手も見えなくなった。
彼女の顔も、潤んだ瞳も消え、その場にただ一人、ぬいぐるみを抱えた春だけが残された。
彼女と一緒に消えたのか、ユーフォーキャッチャーもいつの間にかなくなっていた。