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翌日、春は学校の帰りに約束どおりゲームセンターに寄っていた。
準備金は千円。
ユーフォーキャッチャーは二百円ずつ入れれば3回できるので、全部で15回できる計算だ。
だが、既に半分以上失敗し、現時点で残りの所持金は四百円、6回分にまで減っていた。
ぬいぐるみは景品を落とすホールには近づきつつあった。
春の操作でアームが何度かぬいぐるみに引っかかり、浮かすことはできた。
ただ、ぬいぐるみが重いのか、アームの力が弱いのか、すぐに落ちてしまうのだ。
「惜しいですね。後ちょっとなんですが」
女子高生の言うように、ぬいぐるみとホールまでの距離は30センチを切っていた。
最初はぬいぐるみからホールまでは今の倍以上も離れていたのである。
近づきつつはあるものの、それでも残り6回でぬいぐるみが手に入るとは、春には到底思えなかった。
女子高生も準備金五百円を持ってきていたが、既に使い果たしていた。
春はユーフォーキャッチャーから眼を逸らすと、周りをぐるっと一周見渡した。
「どうかしたのですか?」
女子高生は怪訝そうに春に尋ねた。
「いや、店員はいないかなーと・・・」
女子高生は更に不思議そうに春の顔を覗き込む。
「店員がいれば、ぬいぐるみの位置を近づけてくれたりして、少しでも取りやすくしてくれると思ったんだけど」
「なるほど」
疑問が胸に落ちたのか、女子高生は胸の前で手を叩くと、にこりと微笑んだ。
「店員の方はそんなことをしてくれるのですね」
「まあ、大きいゲームセンターならね。でも、こういう小さなところではやってくれるかどうかはわからないけど」
答えながら春はまた店員を探してみたが、やはり見つからなかった。
「店員の方はいらっしゃらないみたいですね」
「そうだな。いくら人が来ないからって、店を放ったらかしにするのも程があるだろ」
春はぶつくさとぼやきながらも、仕方なく更にお金をつぎ込んだ。
しかし、今度はぬいぐるみにアームがかすっただけでひっかかることはなかった。
「ふー、集中力が切れてきたかな」
春は体中にたまっていた緊張を吐き出すようにため息をつくと、更に三度深呼吸を繰り返した。
「頑張って下さい。応援してます」
女子高生にそう励まされた瞬間だった。
春は突然立ちくらみに襲われたのである。
(あれ? 集中力が切れたにしても、この立ち眩みは・・・?)
視界が霧にのまれるかのように急速に白く霞んでいく。
女子高生も、ユーフォーキャッチャーも見えなくなり、意識が朦朧となって、春はそのまま深い眠りに落ちてしまったのである。
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「・・・み?」
頭の中へと流れ込んでくる声。
「・・・い? おい? 君?」
その声は、聞いたことのない声色だった。
それもそのはずだ。
春は眼を開けると、視界がぼやけていたが、次第にピントが合うように、眼の前にいる人影が鮮明になっていく。
「君! 大丈夫か?」
声の主は、眼の前にいた警備員だったのである。
「え? あれ? 俺はいったい・・・」
意識がはっきりしてきたのか、春は自分が今までここでなにをしていたのかを思い出した。
春はフロアの隅の方で、壁に背中を預けて座り込み、眠りこけていた。
フロア全体は闇に包まれていて、警備員の持つ懐中電灯の周りにだけうっすらと明かりが灯っている。
警備員は見たところ50代前半くらいだろう。帽子からはみ出た前髪に白髪がまじっていた。
警備員は中腰から立ち上がると、背丈は春より頭一つ分は高く、長年柔道でもやっていたかのような屈強そうな体格をしていた。まさに警備員にぴったりな体躯だった。
春はその警備員に突然妙な事を尋ねられたのである。
「君も見たのかい? 彼女を」
「見たって・・・あの、もしかして女子高生のことですか?」
訝しそうな面持ちで聞き返す春。
警備員は無言のまま首肯した。
「そうか。やはり君も会ったか」
警備員は春に諭すように語り始めた。
警備員の話によると、5年前の冬、この付近で女子高生が交通事故で亡くなっていた。
事故を起こした運転手はそのまま逃走、未だ捕まっていない。
目撃者がいないため、車のナンバーも不明、警察も犯人の特定には困難を極め、暗礁に乗り上げたまま月日が流れていた。
その女子高生の幽霊が、どういうわけか春が今いる3階でよく見かけられるようになったという。
そして立ち入り禁止となっている3階で、春と同じように眠りこけている人がよく見つかるらしいのだ。
無論、春はそんな話を初めて知った。
「じゃあ俺は、その幽霊と一緒にいたというのか?」
「そういうことになる。私は見たことがないがな」
愕然とする春。
だが、更なる真実が、春を驚愕させた。
今、春がいる位置は、ちょうどゲームセンターがあった場所と同じなのだ。
しかし、眼前にはまるで何もなかったかのように、空の空間だけが広がっていたのである。
春は言葉を失った。
確かにここには、ゲームセンターがあった。
そこで名も知らぬ女子高生とずっとユーフォーキャッチャーをやっていたのだ。
「立てるか?」
「あ・はい」
春は徐に立ち上がると、壁に立てかけてあった鞄を手に取った。
「とりあえず、ここは一般人の立入禁止区域だ。下まで連れてってやるよ」
それから春は警備員に案内されて通路を歩くが、来るときについていた蛍光灯は機能しておらず、警備員の持つ懐中電灯の明かりだけを頼りに歩いていた。
階段を下りていくと、春はそこでまた驚愕に陥ったのである。
目にとまったのは、2階から3階へ上がるための階段の入り口を塞いだ、黄色いロープと関係者以外立ち入り禁止の立て看板。
来るときにはロープも立て看板もなかった。それは昨日来た時も同じだ。
春は自分の眼を疑った。まるで夢でも見ていたかのようだった。