計画[プラン]
二日後 シティアイ興信所 午前十時三十分
「これらが強盗団一味の予測行動パターン、そしてそれに基づいた次に奴らが襲うと思われる候補地だ」
鍵を締め、カーテンで窓を隠した興信所内、部屋の中心に置いたホワイトボードの前で、夏美はO市住宅街の地図にマーキングを始めた。
その様子を所長席で観察しながら神木は、半年の間抱いていた疑問を胸中で呟く。
――どこから見えてるんだ、こいつ?
彼女の仮面は『バベル』の仮面に覆われていた。
顔部分は古い本のページで互い違いに包まれている。鼻や顔のラインは解るが目や口に該当する穴は全く開いていない。本来ショートカットの彼女の髪は見えず、まるで大量の長髪のように細く螺旋状に巻かれた紙に頭部を覆っている。
知識の塔『バベル』の仮面は本のモチーフを持つのだ。
「幸いこの候補地は全三カ所、半径一キロ内で能力の射程圏に収まる。中心で私が能力で監視すれば、犯人一味が行動を起こした場合すぐに押さえられる」
ボード前で神木に淡々と解説をするその姿は、先日の明るい彼女とは明らかに違う、冷淡な印象を与える。
神木は事件の重要条件の確認を始めた。
「今回は周囲で一般人が入らないように、無貌機関の職員から監視の手伝いが来るんだよな?」
「ああ、但し使われる人間は普通の人間だからな。人払いとメンジンの発見と報告、それ以外には協力は期待出来んぞ」
「そりゃいつもの事だろ。相手は三人組、その内二人がメンジンということだったよな。現場の破壊後や証言から、何か岩か何かを作り出し、まとって攻撃するタイプか」
「そして二人目、鍵の開錠、というか組み上げられた機械を一瞬でバラす能力だな。これは生物への攻撃能力は無いようだ。コイツの能力に身体的危害を与えられた証言は無い」
気だるげに神木は相づちをうつ。今回の強盗団はあちこちで窃盗と暴行を繰り返しているがまだ殺人はしていない。
そしてある程度の計画性があるということは、この犯人達は見境無く動く「暴走」型ではなく、「制御」型のメンジンなのだ。
基本的に危険度はケースバイケースである。だが、制御型の方が能力が成長した場合、後々手を焼くことになるだろう。
「で、残り一人は普通の人間か…… いや、それとも全員メンジンになると冷静に仕事が出来なくなるからな。変身できなかったと考えるべきか」
仮面によって性格が変質した場合、個体差はあるがほぼ個性が強すぎる性格になる。能力や行動を自律できる制御型でも、統率のとれた行動はそれだけ難しくなる。
「神木、どっちにせよそいつが仕事中に仮面を着けている可能性は低い。ならば不意打ちするなり、第一目標にするなりして早めに無力化すればいいだろう。岩のメンジンならお前の能力の相手にはならないだろうし、鍵バラしのメンジンは論外だ」
夏美の口調は一応は敬語を使っていた普段と違い、尊大なものに変わっている。
――これが冴岸の内面なんだよなぁ。
正直、あまり敬意を払われていないとは感じていた。しかしここまでとなると嫌気が刺してくる。
「それで、お前は高みの見物か」
皮肉気に呟く神木にバベルは薄い胸を張り堂々と答える。
「そうだ。それがもっとも私が安全な立ち位置だからな」
夏美の普段の性格は、基本的に無気力、厭世的な神木とは対局的な、誰にでも親切なお人好し、曲がったことの嫌いな正義感の強い人格である。しかし、バベルの仮面を着けた際に変質した性格は「利己主義」 己の安全と得を優先するエゴイストととなる。だが裏を返せば利を保証する限り決して裏切らないという事だ。
「ではこれでプラン解説を終えるぞ」
そう言うと彼女は自らの顔を両手で掴んだ。力を込めて仮面を引き剥がす。ズルリと糸を引くように頭から抜け落ち、シュルシュルと縮まってその手の中に収まっていく。やがて、小さな彼女の手のひらに収まる大きさの本に仮面は姿を変えた。
「あ……あ、ああ……」
何やらうめきながら夏美は自分の机へと近づいていく。どうっと力尽きたように椅子に座る。そのまま机に突っ伏し、両手で頭を抱えて何やらブツブツと呟き始めた。
「あれは私じゃないあれは私じゃないあれは私じゃない……」
この半年繰り返した光景を飽きた眼差しで眺めながら神木は語りかける。
「『仮面による性格の変質は、仮面に含まれる物ではなく、着用者の心理の一部が仮面によって引き出されることによって現れる現象である』って柿本のオッサンや茜木も言ってただろう。
そして『仮面毎に決まっている、引き出される性格を持っている事が適格者の条件である』ともな。
あの性格もお前の一部なんだから、いいかげん慣れろよ」
夏美にとって変身後の自分の人格は、かなり嫌いな性格なのだ。そのために変身を解く度に自己嫌悪に陥るのである。
「だったら、神木さんもちゃんと慣れて下さいよ! ていうか、神木さんの場合、メンジンの時の方が絶対性格良いですよ!」
「俺はいいかげん慣れろっていってんだ! 人の性格をガタガタ言うんじゃねぇ!」
無貌機関 O市支部本社社屋 地下
柿本 兼定のモットーは「信用はしても信頼はしない」だ。
共に組織の仕事をしていく協力者のメンジンや職員達、彼らの能力、資質を正しく見極め、それを信じ、用立て、事を成す。ただ闇雲に相手を信じ、頼り切る事はしてはならない。 それは自らの判断を放棄し、他人に全ての責任を被せるのと道義である。
――もっとも、この組織自体が信用にも、信頼にも値しない所なんですがね。
コツリコツリと足音が薄暗いフロア内に響く。頑丈に造られた特殊素材の壁と床、部屋の中心では特殊強化ガラスのケースに納められたおびただしい量の仮面があった。その仮面の群れが虚無の視線で虚空を見つめている。
このフロアに来るまでに柿本は三重のセキュリティーを抜けてきた。恐らく、O市支部でこの場所に自由に出入りが出来るのは、O市支部局長の荒垣[アラガキ]と、その側近である柿本ぐらいだ。
「厳重に管理してくれるのはありがたいんですけどね」
本来、このフロアにあるとされるのは 回収された仮面の内、能力の選定をうけたタイプ。協力者となる者をメンジンとする為に保管されている、少数の仮面だけのはずなのだ。
ここまで大量の仮面を一カ所に保管するのは戦略的にも愚策である。もし、何者かから襲撃を受け仮面を強奪されればそれだけリスクは大きくなる。
――そもそも、封印されると決定した仮面は「セメントで固めて放射性廃棄物と一緒に埋め立てる」と職員たちにはそう知らせているはずなんですが。
仮面は心理的限界に達した人間に取り憑き、この世界に顕現する。そして、仮面は完全に破壊されると消滅してしまう。
しかし全ての仮面は伝説や神話をモチーフとしており、人々の記憶に対応する伝説や神話が残る限り、それを存在の力として再生するのだ。
その再生がいつなのか、その時に一体誰の手に渡っているのかは現状では誰も予測できない。
仮面を完全に無力化するには、破壊せず人の手の届かない所に封印するしかない。
無貌機関の目的は仮面の回収が第一であり、着用者の生命は重視されない。ここの仮面の持ち主たちは、恐らくは生きている割合の方が低いだろう。
ふと柿本は見覚えのある仮面を見つけ足を止めた。仮面の左側には削り取られた指の痕がある。
柿本は生涯の中で、唯一の友だったその傷を着けた男の名を胸中で呟いた。
――木場、お前の選んだ青年は、お前とは違うやり方で、お前の守りたかった物を守ろうとしている。十年のツケ、私も払う時が来たようだ。
不惑の半ばでようやく惑う事を捨てられた事が、なぜだか無性に嬉しかった。