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ロスト⑧

その小さなバーはカウンター5~6人、奥のボックス席が3つ程度の広さで客は居なかった。中年を過ぎようかというママが声を掛ける「いらっしゃい、御1人?」

「あぁ、1人だ」

明らかに失望の顔をしたママはドアの近くに向かって声をかけた。

「ご案内して」

人が居るとは気付かなかった。そこには若い女が物憂げそうに座っていた。

その女はまだ20歳半ば位で細い線と気だるげな雰囲気を持っていた。

まぁ、一言でいえば美人だ。店が店なら相当稼ぎそうな女。

しかし蛇のような印象の女だ。

「ミキです」

ボックス席に着くや、女はいきなり水割りを作り始めた。

水割りを俺の目の前において、一言も話さずタバコをふかす。

何なんだこいつは。それに俺を知らないのか?

苛ついた気持ちが俺の体に満ちた。

店を変えよう。そう思いつつグラスを舐めた。

ふと気が付くと女がじっと俺を見ている。

「俺が誰だか気付いたかい?」

「知らないわ。でも、あなた目覚めちゃったのね」


*-*-*-*-*


その後の記憶はない。

気付くとボトルは1/3程残っているだけだ。目の前にはママが座っている。

「まだ飲む?」

「いや、もう帰ろう」

「タクシーは?」

「結構だ、自分で拾う」

支払いを済ませて聞いた。

「あの若い子はどうした?」

「え?若い子?」「もう、帰り際にそんな事言うなんて、ちょっとカッコいいかもね」「でも、40過ぎてるわよ、私よりちょっと下」

俺は言葉も無かった。前の店で飲みすぎたのだろうか。

やや気恥ずかしさも手伝って店を出る。

ママの声が追いかけてくる。

「またいらしてねぇ、サエコさんも喜ぶわ。今度は本人に言ってあげてね・・・」

ドアが閉まって、ママの声とBGMが途切れる。

サエコ?ミキって名前じゃなかったか?


暫く歩いていると、なぜか涙が溢れてきた。俺は歩きながら泣いていた。

無性に家に帰りたかった。妻と息子に会いたかった。ダメだった自分が居た家に戻りたかった。

しかし、5分ほど経つとなぜ家族に会いたいと思っていたのか分からなくなっていた。


あてもなく歩き続けると裏路地の公園で、若い男女が5~6人たむろしているのが見えた。

(ドクンッ)

俺の心臓が鳴った。

その中に蛇のような印象の若い女がいた。俺に目覚めたと言った女。

何かを知っているに違いない。時計を見ると11:30を過ぎたところだ。


俺に気付いた若い男が吠える。

「なんだオッサン!なに見てんだよ!」

「お前に用はない。そっちの若い女に聞きたい事がある」

「は?何言ってんだ?酔っ払ってんのか?」

「おい、これ野球選手の・・・」

「あ、ほんとだ。丁度いいや、俺らに恵んで下さいよ。プロ野球選手って稼いでんだろ」

「頼んますよ~、俺らにも分けて下さいよ、幸せってのを」

「黙ってろ、俺はミキって娘に話がある」

突然、男達は笑い出し、そしてキレた。

「こいつ終ってるよ、なにがミキに話があるだよ、誰だよミキって!」

さっきから有機溶剤のニオイがしていたが、コイツら飛んでやがる。


ゴキン


鈍い音が俺の頭から響いた。

振り返るとバットを持った男が息を荒くして立っていた。

俺は手を軽く払った。俺の手はバットに当り、バットは男の顔面に当たった。

嫌な音がしてバットが転がる。

「何をした?何をした?」

残った男達がビンや棒を持って向かってきた。

ビンを奪って背中を蹴るとベンチに頭から突っ込んで動かなくなった。

「おらぁ!」棒を持った男が突っ込んでくる。

こいつらは何でこんなにノロいんだ?そう思うくらい俺の体は素早く動いた。

蹴り上げると棒を持った男は2mほどの高さまで浮き上がって落ち、口から大量の血を吐いた。


ゴキン


また鈍い音がした。

振り向きざまに腕を払うと、男は首が折れ曲がってすっ飛んだ。

あれ?俺の顔がぬらぬらしている。血だ。

俺の脳裏に、渾身の一球を打たれた俺が映った。

足元にバットが落ちていた。これが俺を殺すのか。

そのバットを誰かの手が拾い、振り下ろした。

鈍い音が何度も続き、意識はプツリと切れた。


気が付くと女が見下ろしていた。

線の細い、蛇のような女だ。

「何だか手間が省けちゃったみたいね」

「パワースポットって知ってる?最近ブームみたいだけど、あれって本当にあるのよ」

「力が噴出しているの。ただそれを使う事が出来る人間と出来ない人間がいるってだけ」

「力を得た人間は他を圧倒するわ。歴史上の英雄や偉人は常に“目覚めた者”だったの」

「そして、あなたも目覚めたってわけ」

目覚め・・・?

「そう。でも、あまり居て欲しくないのよねぇ。目障りだから」

「じゃ、そろそろ行くけど、その前に薬打ってあげるわね。ワタシはその為に来たんだし」「動けないでしょ?ケミカルだからスッといくわよ。何もしなくても・・・ダイジョウブ」


◇*◇*◇*◇*◇


「信じられんな。これで生きているとは」

「しかし覚せい剤反応があったのはショックでしたね・・・」

「まぁ、あの歳であんな球を投げるのは不自然だったからな」

「でも、クスリをキメればあんな力が出るんでしょうか?」

「お前、医者がキメるとか言うなよ」

「あ、すみません」

PCPフェンサイクリジンとか使用者が怪力を発した例もあるからな」

「でもDCドーピングコントロールでは何も出なかったと聞いてますけど・・・」

「あぁ、分からない事が多すぎる。レポートは苦労するぞ」


直後、心電図が音をたてる。

「CPA(心肺停止)です!」

「処置急げ!」


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