6-7 名前
桶にぬるい湯を汲んで身体に掛ける。
体を洗いながらも思考は巡る。
ラシェットとアズレンは何をすれば皆が喜ぶだろうか。
居場所をつくってやらねばならない。
人間にとって居場所とは住むところではない。
必要とされる場所だ。
手っ取り早く言えば役に立つ事。働く事だ。
何が出来るだろうか・・・
背後に気配を感じて振り返ると、すぐ後ろにはアズレンが立っていた。
右手を軽く握って口に添え、顔は視線を避けるように右下に向けている。
丁度見上げるような体勢になった。
「えっ、そんな・・・うあぁぁあぁ!!」
俺はとりあえず取る物も取らずパンツを掴んで飛び出した。
◇*◇*◇*◇*◇
ティエラの訓示は兵士達の心に染みて、一色に染め上げていくようだ。
全員の気持ちが高揚していた。美しく聖なる空気が漂うようだった。
その聖なる空気が掻き乱された。
走り込んで来た男は、半裸というかパンツ一つしか身に着けていない。
ティエラ姫達とルシルヴァは思わず背を向ける。
「大変だよ!おい!」
背中を向けたままラヴィスがとがめる。
「どうしたというのだ、姫から訓示を頂いている時に!しかも、そのなりはなんだ!」
「それどころじゃないんだよ、アズレンを風呂に入れてやろうとしたら・・・その・・・女だった」
『なにー!!』
ラヴィスとルシルヴァの高い声。
ティエラがゆっくりと振り向いた。目が据わっている。
「すると何か?お主は誰もいない浴室で女子の服を脱がせたという事か?」
「・・・ちょっと違うけど、大筋では合ってる」
「このバカモノがー!何と破廉恥な!」
(どかッ!)
拳がクラトの顎の下に入った。
(がッがッ)
倒れこむクラトを踏みつけるように蹴るティエラ。
「うがっ、やめろって!おい、ティエラやめろ!」
「うるさいわ!お主、女子と気付いておったのだろう!」
「知らねぇって!ぐあぅ、やめてくれ~」
「このバカモノ、バカモノが!」
ティエラは息を荒くしていたが、はっと気付いて振り返ると、兵士達は石のように固まっている。
「そ、そなた達、今日はこれまで、任務に励めよ。では私は戻る」
戻りかけて振り返り、ぎろりと睨む。
「この件、他言は無用じゃ・・・分かったな!」
そそくさと戻っていく3人。
倒れている半ケツのクラト。
ウチの隊長はいつも女に殴られてるな・・・
アズレンはイオリア預けになった。
◇*◇*◇*◇*◇
騒動の2日後、アズレンの事でティエラから呼び出しがあった。
バイカルノが面白がって付いて来た。
バイカルノはラシェットの経歴を聞きつけて、やらせたい仕事があるのだという。
ラシェットが言うには、俺の許可が必要だというので、バイカルノが俺の宿舎に来ていたのだ。
ラシェットは体術の使い手で軍略にも詳しいのだそうだ。
バイカルノの嗅覚も大したものだ。
ところでアズレンだが、小ぎれいにすると見違えるようだ。
褐色の肌に紅い唇が映える。銀髪も整えられた。これまで隠れていた目はやや青味がかった美しい色をしている。
ただ、イオリアがいうには名前を言わないのだという。
アズレンは明らかに男性名なので、無用のトラブルにならないよう、わざと名乗っていたのは間違いないだろう。しかし、本当の名前を言わないのはどういう事だろうか。
アズレンは両手を握り締めて下を向いている。
先日の一件があるので俺はちょっと恥ずかしかった。
裸がどうこうではなく、狼狽えてしまった事がだ。
「ラシェットは良くなるってよ。手術は何回か必要らしいけどな」
銀色の髪が揺れる。
「お前、女だったんだな。でも、何も変わらないぜ。仲間と一緒に働いて戦って生きていくんだぞ。男でも女でもお前はお前だし、何が変わる訳でもない」
銀色の髪が震える。
「でも、まぁ、女でアズレンってのは名乗るたびに理由を聞かれるから面倒だ。元々の名前はないのか?」
「アイシャ」
「へぇ、アイシャか。アイシャね。いい名前だな」
「俺の世界でも同じ名前があるよ。アイシャ、いい響きじゃないかアイシャって」
アイシャは俺の胸の下にしがみついて泣き始めた。
「どうしたってんだよ、アイシャ」
「初めてだ・・・この名前をこんなに呼んでくれたのは・・・この名前を褒めてくれたのは」
アイシャはただ泣き続け、バイカルノは呆れたように悪態をついた。
「またクラトの天然が女を泣かせたか、やってられねぇな」