ロスト③
見上げると空は青く高い。
汗が一筋流れた。
頬を伝う汗を感じると思い出す。
林道を抜け、沢を渡り、山道を登った小さな空き地。
これまた小さな小屋と、不釣合いに大きな井戸。
そこで20数年前、そして僅か1ヶ月前、人が消えた。
「あの、千夏?」
私は袖を引かれて我に返る。
「行くの?駅ビル」
眠そうでややアニメ声だが、これが普通の声だ。
夏海という名前のクラスメイト。中2からずっと一緒。
「うん。つき合わせてごめんね。パフェおごるから」
「うぅん、行くのはいいんだけど、最近、変だよ」
「そう?私が?何か成長したのかなぁ~?」
「ちがうよぉ」
夏海はいつも他人を心配している。
天然とは違う純粋な娘で、本人が居ないところで“妖精さん”と呼ばれたりする。
「何・・・探してるの?」
「うん、ジッポ」
「ジッポ・・・って、ライター?」
「そう、随分前だけど、3Fで見た事があるんだ。他にも売っているところはあるんだろうけど」
駅ビルは入っているお店がオバさんっぽくて、あまり行かない。
4Fの書店にたまに寄るぐらい。
だから記憶もあやふやだ。
3Fの時計売り場の辺りで見たような気がする。
夏海はライターに“よろしくない”イメージを持っているようだ。
何に使うのかしきりに聞いてくる。
答える代わりに、オイルの燃える匂いとか、開閉の音の説明をした。
ネットで同じようなものを探したら、3千円くらいだった。
他にはもっと高いものもあって、どちらかというと安い方だ。
「ブラックニッケルのサテーナ仕上げってありますか?」
お店はオバさんしかいなくて、分らないようだ。
小さなショーケースに並ぶジッポを夏海と二人で眺める。
「これかなぁ・・・。ごめんね夏海、時間をとらせちゃって」
横を見ると夏海は目をキラキラさせて見入っている。
表面の綺麗な仕上げやカワイイ加工のジッポに釘付けのようだ。
「ま、イイか」
私はまたケースの端から数えるように見ていく。
「お、ダブルエスじゃんか」
突然、背後から声を掛けられた。
≪ダブルエス≫
誰だったか忘れたけど、クラスの男子が呼び始めて定着しつつある。
イニシャルとは全く関係ない。
二人とも名前に夏(SUMMER)があるからだって。バッカみたい。
「ん?なーんだ、コータかぁ」
「何だじゃねぇだろ、なにジッポなんか見てんの?」
隣りでは夏海が固まっている。
「鮎川、無視すんなよ。お前らタバコでも始めたか?」
夏海は疑われるぐらいビクッとした。
「えっ?マジで?鮎川が?」
「な訳ないでしょ、アンタこそタバコ止めたら?もうすぐ値上げだし」
「そうだよ、困るマジで。ガッコが休みだと本数増えるんだよな」
コータは軽い感じのクラス男子で、夏海にぞっこんだ。
本人は誰も気付いていないと思っているようだけどバレバレ。
クラスでは誰もが知ってる。
残念な事に夏海を除いて。
今日のコータも夏海をかなり意識している。
「どんなの探してんの?」
「・・・」
「俺、ボトムズアップとか欲しいよ。鮎川だったらカワイイ感じのスリムがいいんじゃね?」
「・・・」
夏海は無意識にコータを撃墜する。いつもの事だ。
早く消えて欲しいけど、ちょっと可哀想になって、声をかける。
「夏海は付き合ってもらっただけだから。コータはどんなの持ってるの?」
コータは救われたようにヒップバックから赤い箱のタバコとボロボロのジッポを取り出して見せた。
「シブいだろ?ユーズド加工したんだ」
「加工?」
「使い込んだような感じにするんだよ。薬品つかったり磨いたりしてさ」
「わかんないなぁ、汚くするなんて」
「ジーンズのダメージ加工と同じだよ」
「ふ~ん、でもボロボロ過ぎない?」「ねぇ?夏海」
「私、これがいいと思う・・・」
夏海が突然、ペアのジッポを指差した。
レギューラーとスリム、エンジェルウィングが彫られている。
並べると両翼が揃うペアジッポ。
「・・・これ、欲しいのか?」
夏海に悪気はないだろうけど、私がいなかったら勘違いするシチュエーションよね。
値札には5桁の数字が並ぶ。ふぇ、高いなぁ。
何気なく目に入ったコータの右手が握り締められている。
「あ、あのさ、俺さ」
やめとけー!さっき撃墜されたばっかじゃん!
「俺・・・も、これイイなって思う」
理性なのか弱気なのかは分らないけど、ギリギリのところでセーフ!
私の視線に気付いたコータは少し寂しそうに笑った。
夏海がコータの気持ちに気付いていないっていうのが止めを指されない理由なんだから。
はっきり断られたらマジ墜落死だよ。
「鮎川、このペアジッポ、俺がプレゼントするって言ったらもらってくれるか?」
いったー!!どうしちゃったのアンタ!!
夏海は1秒くらい後にコータに顔を向けると、少し俯いて答えた。
「こんなに高いのはもらえないよ」
えぇ~!?夏海もどうしちゃったの!?聞き分けがイイ女のOKだよ、それ!!
コータも混乱していた。予想外の答えに。
「なな、なあ、俺さ、バイトでやってんだ、コンビニ。だから、だいじょぶ」
コータはもはや文法無視の言葉しか出てこない。
「でも、机の上に飾っておきたいだけだし、2つあっても使わないだろうし」
「え゛!?」
コータが固まる。
夏海の鈍さもここまで来ると感動してしまう。
コータは今日2回目の墜落。
しかし幸いにもパラシュートで脱出できたようだ。