エピローグ⑨ 継ぐ者
ジェヴァオス団
漆黒の竜という意味の名を掲げるバルカ系の傭兵団だ。
最近バルカ系傭兵団の仕事は増えた。
バルカの旗印と目されていたティエラの死によって、バルカ再興の懸念が大きく後退したのだ。
それによってバルカ系用兵団は純粋に傭兵団として使いやすくなったという事なのだろう。
ジェヴァオス団の執務室。
「傭兵団か・・・」
ヴェルーノは思わず呟いた。
バルカの生き残った者達。その中には政治で軍事で外交で、国家の中枢として活躍できる人材が多く存在した。
国々は旧バルカの人材を召し抱えようと密かに使者を送っているという。むしろティエラの死を境に多くなったようだ。
その中にあって、ラシェットの名前は忘れ去られたように聞かなかった。
各国での評価は“薄氷の軍師”だ。
同世代にクエーシトのデュロンやギルモアのセシウスなど強敵が多かったのも事実だが、軍師としての活動期間が短く、ジルキニア戦争でも際立った采配はみられなかった。
しかし、それよりも祖国を裏切ったという事実が極端に評価を下げているようだ。
バルカ時代の称号である白銀を脆い氷に掛けたものか、薄氷の軍師とは何とも皮肉な言いようではないか。
バルカの人々もラシェットを憎んだ。
バルカ城陥落直前に女王さえも置いて姿を消したのだからその感情は当然だといえる。
彼に接触を図ろうという者も皆無だし、情報を提供する者もいない。
彼はその類稀なる頭脳と格闘体術を有しながら、それを活かす道を無くしてしまったのだ。
しかし、これは元より彼の意図するところであって、目的は達成できたといえる。
その目的が何なのか、本当の理由を知る者はヴェルーノを含め、僅かに3人を数えるだけだ。
「国が滅ぶというのはこういう事なのだ」
またヴェルーノは呟いた。
ヴィア・バルカ団(真のバルカ)は女王亡き後、西大陸に入り、ゾアニア同盟の元で暫く戦ったというが、ランパシア攻防戦で壊滅したという噂だ。
目撃者すら残らないような救いの無い戦場だったという。
信じられない。クラト、ジュノ、キキラサ、アイシャ。
誰一人として生き残れなかったというのか。これまで何度となく過酷な戦いをくぐり抜けた者達が・・・。
「私のような者が生き残っているのにな・・・」
「失礼します」
ランクスが姿を見せた。
「ヴェルーノ団長、第4戦隊の準備が整いました」
「わかった、出陣の準備は?」
「すでに各戦隊長を含め準備は整っております」
ヴェルーノが率いる傭兵団は旧グリファ国ルーフェン郷の東部に本拠地を構え、護衛任務や近隣の盗賊討伐などの他、戦争にも兵士を送り込む、本格的な傭兵団である。
単位は2個大隊464名に伝令を3個小隊加えた482名からなる戦隊を基準とし、10個戦隊、約5千もの戦力を有していた。
これだけの戦力を持って存在を続けられるのは水面下でジェダン=クエーシト同盟の援助を受けているからだ。
ただ、本拠地である旧グリファ、バルカ、タルキア、これら地域には派兵しない。これは傭兵団として国家との摩擦を避ける為だが、結果として戦場は遠く離れた場所になる。
転戦に転戦を重ね、1年以上戦場に留まる戦隊もあれば、戦場に到着した時には戦争が終わっていたという冗談にもならないケースもあった。
「考えてみれば、いつもお前が私の傍にいてくれたな」
「は」
「私はバイカルノ傭兵団をバルカに引き入れた」
「はい」
「私は間違っていたのだろうか」
「いえ」
「まぁ・・・賭けであったな」
「はい」
ヴェルーノは終戦に向けた工作に奔走した日々を思い起こしていた。
何度も何度も思い悩んだ。
“バルカ王国は消える。しかし、郷でも行政区でも何でもいい、敵の軍門に膝を折って降り、バルカの名と血を守るべきではないのか”
その時、思い出されたのは先王ヴェルハントの言葉だった。
“疾風の軍師”フィアレスを迎える以前、兵力に劣るバルカ軍は苦戦を強いられていた。
バルカはアティーレに攻め込まれ、ヴェルハント率いる本隊が敵に包囲される事態となった。
アティーレ軍より示された停戦条件は、領土の割譲とティエラ姫を人質として送るよう求めていた。
古来より人質を送るは臣下の行い。郷は郷を属国とできないゆえ、アティーレは人質を取ることでバルカより上位にある事を示そうという意図が見て取れた。
受諾やむなしの声が大勢の中、ヴェルハントは言った。
「我はヴェルハント。バルカの名はその精神において名乗るべし。精神無くばバルカにあらず」
“国が無くとも城が無くとも精神は残る。精神は誰も奪えまい”
ヴェルーノは力強く立ち上がった。
「では行くか」
「はッ」
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バルカ系の傭兵団が重用される理由。
それは単に兵士の強靭さにあるのではない。国家の軍事府のように全てが組織化された、戦場、目標、への対応能力にある。
例えばロングボウガンの部隊も保有し、歩兵、騎兵などの兵科と共にユニット化されている点だ。これにより多彩な軍事行動が可能になる。
特に元特装隊を率いていたランクスが所属するジェヴァオス団はその装備の運用能力において群を抜いているのだ。
相手が小規模の盗賊であろうと、国家の軍団規模であろうと対応できる。
その戦闘力は国家間で10個軍団規模と評されているから、およそ5倍の戦力評価といえる。
バルカ系の傭兵団。
彼らはバルカを継承していくのだろうか。その精神を保ち続けるのだろうか。
◇*◇*◇*◇*◇
とある山間の小さな村
ファトマはティエラ女王に関する噂を聞くたびに心をかき乱された。
それが単なる噂話なのか事実なのか判断のしようが無かった。
ラシェットは“裏切り者”だとされている。
戦乱終結後、ティエラ女王の名前でラシェットの罪は問わないとの親書が旧バルカの有力者に届けられた。
とはいえ、ファトマが旧バルカ関係者と接触する事は全く無く、ラシェットからの連絡も途絶えて久しい。
しかし、これはファトマとラシェットが望んだ状況だ。
「父上はどこにいるのですか」
突然訊ねられて、もの思いに耽っていたファトマは少し戸惑った。
机に座ったシヴェルトはペンを片手にファトマを見上げていた。
いまは算術の時間だ。
算術には全く関係の無い話だったが、無理に算術に向かわせる必要はない。
子供は突然、疑問に思うのだ。
大人はそれを子供特有の集中力の無さというが、これは閃きなのだ。その閃きを閉ざしてはならない。
「遠いところにいます」
「逢いたい」
「それは叶いません」
「なぜですか」
シヴェルトは珍しく頬を膨らませて不満を見せた。
「お父様は戦われているのです」
「誰と戦っているのですか」
「わかりません」
「なぜわからないのですか」
「お父様の戦いに私達は入り込めないからです」
この子はラシェットと会うべきではない。
会えば必ず嘘が生まれる。ラシェットと私にとっては不幸であろうし、この子は気付かなくとも心に傷を負うことになるだろう。
シヴェルトは分かったような分からないような表情を見せて何か考えている様子だった。
外で遊ぶシャルアの声にうらやましそうな顔をしてから視線を上げた。
「母上」
「なんですか」
「母上は、なぜ私を呼ぶ時に悲しそうなのでしょうか」
「え・・・?」
「なぜでしょうか」
「私は悲しい顔をしていましたか」
「いいえ。母上はいつも笑顔でおられます。でも悲しそうでした」
あぁ、なんという事だろう。この子の母としてあってはならない事だ。
子供は弱い存在だからこそ敏感に読み取るのだ。
この子は自分の存在が母を悲しませると無意識に感じ取っているのかもしれない。
自分の至らなさを悔やみつつ、笑顔を思った。
本当の笑顔を。そして見つめた。
黒い髪と白い肌。強い意志と好奇心を持ち、そして優しかった。
この子は確かに父と母の血を受け継いでいる。なんと素晴らしい事だろうか。
その気持ちがファトマの笑顔を輝かせた。
「父上が居ないので寂しい思いをさせてはいないかと思っているのですよ」
「私は男です。寂しくなどありません。母上もシャルアも居ます。アペルおじさんも、婆やもいます。寂しくなどありません」
その言葉と裏腹に寂しそうなシヴェルトを見て涙が湧く。
「ごめんなさいね」
「なぜ母上が謝るのですか」
「心配させてしまいましたね。あなたは何も心配する必要はありません。いつか逢える日がくるでしょう。その時、父上は驚くと思いますよ。あなたの身体が大きくなって、知識と剣術を身に付けた事に」
「・・・」
「あなたが蒔いた種が芽を出しましたね、葉の数を増やして大きくなってきました。あなたはどう思いますか」
「うれしいです。そして少し心配です。大きな木になって欲しいです」
「父上も同じように思っていることでしょう」
「わかりました」シヴェルトは微笑んだ。
「あの種はアペルおじ様のご友人が送ってくれたものです。西大陸のものでグリエスの木と呼ばれているそうですよ。強く大きく、人を助ける木だと聞いています」
「はい、私も立派な人間になります。あと、アペルおじさんにはお礼を言います」
「そうですね、それで良いでしょう。さて、そろそろおやつにしましょう。シャルアを呼んできなさい。ちゃんと手を洗わせるのですよ」
「はい。わかりました母上」
今日は温かい日だ。
庭に咲く小さな花の周りを蝶が舞っている。
シャルアを呼ぶシヴェルトの声が聞こえる。