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エピローグ⑧ 婚約者

バルナウル王国、ヴァリオン王国、ランパシア公国から成るゾアニア同盟は、ゼレンティ街道を中心に旧ゼレンティ王国のほとんどをゼリアニア連合に奪還され、ヴァリオンとバルナウルの接点は北部の山岳地帯を残すのみとなった。

その山岳地帯にあるヴァリオン防衛線の内側、北の砦付近で1人の侵入者が発見された。

発見したのは崖の中腹に設置された小さな監視塔に詰めていた監視要員。

この監視塔の後方にはヴァリオンがゼレンティ街道の襲撃のための集結場所であった。

何者であろうと、この場所に居て良い人間はいない。


監視塔には僅か2個小隊しか配置されていなかった。

監視塔が設置された崖はまさに目も眩むような断崖絶壁のうえに岩場が脆く、登攀とうはん不可能とされているからだ。

ここに至るには遥か下の谷から大きく迂回して幾つかの尾根を越える必要があるが、そのルートにはヴァリオンの駐屯地や関所があって、険しい地形に張り巡らされた監視網となっており、工作員の侵入は不可能のはずだった。


監視要員が侵入者を発見した場合、まず後方と防衛線沿いに隣接する砦への連絡が最優先される。

1個小隊6名が伝令となって走り、残る1個小隊が侵入者に対応するのだ。


侵入者対応小隊が連装ボウガンで威嚇しながらやっとの事で岩肌をくり抜いた貯蔵倉庫に追い詰めた侵入者は少女だった。


「この小娘、手間をとらせやがって」

少女は大腿を露にし、マントを羽織っていた。驚くような軽装だ。

そして何よりも、この山岳地帯を移動するには不向きとしか言えない騎士用のフットガードを装着している。

黒い髪に白い肌。

逃亡の疲労からか憔悴しているように見える。

にもかかわらずヴァリオンの監視兵が近づくのをためらうほどの気を放っていた。


「言っておくが、俺たちはお前の命などどうでもいいんだ。侵入者は殺されて当然だからな。ただお前がここに来た理由とどうやって来たかを話してもらわなくちゃならん」

少女の顔は疲労の陰が差しながらも穏やかで、むしろ男達の方が落ち着きを無くすほどだった。


唐突に少女が口を開いた。

「わたしは、クラト様を探しています」

「クラト?・・・あの黒い大剣か、バルカの」

「ふざけるな伝説の剣士とお前に何の関係がある。

クラト将軍はバルナウル経由でヴァリオン軍に加わったんだ。俺は噂でしか知らんが、強襲隊のビスガルド様でも相手にならなかったそうだ。とても人間とは思えねぇ。

20リグノもある大剣で必ず先陣を切ったそうだ。そして笑っていたらしいぜ、笑いながら突撃するんだそうだ。

ゼリアニア軍は異人だって事を聞きつけて“異界の黒き悪魔”と呼んでいたが、味方から見ても悪魔にしか見えなかったらしいぜ」


少女が微笑んだ。


そうよ、あのひとはいつだって軍の先頭に立って戦う、剣の切っ先のようなひとなの。

でも、あなた達はあのひとの心も本当の強さも知らないでしょう。


男達が数歩近づいた。

少女は左手でマントを抑えながら、右手にダガーを握った。

「女、そのダガーを渡せ」

少女は避けようとして呻いた。

体勢が崩れ、ダガーを両手で握り抱えるようにして抵抗した。

「こいつ、俺は渡せと言ってる!」

男の手を振り払った勢いで羽織っていたマントが落ちる。

「!!」

素肌のままの上半身が露になった。女の肌はきめ細かく白かった。

しかし、男達の目は違うものを見ていた。

その肩甲骨の辺りは何か刃物でめちゃくちゃに切り裂いたような傷があったのだ。

「こ、これは・・・」

「ひでぇ傷だな、俺たちだってこんな事はしねぇ」

「しかし、解せねぇな。今はゼリアニアと戦争の真っ最中、この女はゼリアニアでもヴァリオンでもねぇ。俺たちの土地の奥深い場所にどうやって入った?それに、この傷は誰にやられた?」

「おい女、答えな。お前をこんな疵物きずものにしたのは誰だ?」

「・・・」

「答えねぇと手当てもしないぜ」

女はのろのろとマントを拾うと肩に羽織った。

ここで男達はやっと露になった胸に気付いた。

「まだガキかと思っていたが、そうでもないみたいだな」

「どうする?」

「決まってんだろ」

男達が粘つくような笑いを見せた瞬間、砂塵が舞った。

少女が消えたと思った瞬間、何かが男達の間を通り過ぎた。

気付けば男達の間をすり抜け8リティ(約6m)ほど後方に抜けていた。

少女は振り返りもせず言った。

「あなた達、次は死ぬわ」


「な、何だ、この女・・・」

言いかけて首筋に小さい痛みを感じた。指で触れるとごく浅いが斬られた傷があった。

「な、何をしやがった!」

「・・・」

「お、お前、女といっても許さんぞ!」

2人の兵士がじりじりと距離を詰める。


その背後から鋭い声が響いた。

「何をしている!」

男達の後方から黒ずくめの甲冑に身を包んだ兵士達が現れた。

「ビ、ビスガルド様!!」

「侵入者とはまさかその女か?」

「は、はい、監視塔の後方に突然現れたんです。どうやってここまで侵入したのか見当もつきません。言葉は東大陸のものですし、怪我もしています」


「女、怪我を見せろ」

ビスガルドの声に少女は意外にも素直に従った。

背中を向けマントを下ろす。

「・・・!」

背中を抉ったような傷に息を飲んだ。

どうやったらこんな傷がつくのだろうか。

「お前が置かれた状況は分かっているな?」

少女が小さく頷くのを見て、ビスガルドは後方の兵に命じた。

「おい、手当てをしてやれ」

箱を手に提げた小柄な兵士が少女に近づいた。

衛生兵は女だった。

「申し訳ありませんが、時間が無いのでここで処置します」

少女は小さく頷き、背中を見せた。


「これは酷い」

傷口をみた衛生兵は思わず声を上げた。

筋肉が断絶している。

しかし、それ以上に衛生兵を驚かせたのは筋肉の繊維方向が常人と異なる点だった。


疑問に気付いたのか少女が振り向いた。その顔は全てを失った人間の表情だった。

この少女は何者だろうか。

手早く傷口が消毒され、薬が塗られた。

少女は小さく呻きながら痛みに耐えている。


処置をしながら、衛生兵の疑問は膨れる一方だった。

どうやってここまで?この傷は?この身体は?

傷口にガーゼが置かれ、その上から粘つくものが塗られた。

「包帯で巻くよりこの方が傷に良いのです。激しく動かなければ剥がれる事はありません」

説明をしながら治療を続ける衛生兵は、少女の白く美しい肌にいくつもの傷がある事に気付いた。しかもそれは刀傷だった。

この傷は戦場に身を置いた者の傷だ。

こんな少女がどうして・・・?

疑問の答えをが見つかる前に傷の処置が終わった。

「さ、これで良いでしょう」

衛生兵は、この少女を保護するべきという結論に達した。

治療が終わると、2人の兵士が騒ぎ立てた。

「ビスガルド様、その女はおかしな動きをします。それにダガーを持っている。危険ですから取り上げた方がいい」

これまで不自然なほど落ち着いていた少女が激しく動揺した。ダガーを抱えるように身を縮め、背中の痛みに呻いた。

「放っておけ、それだけの大怪我だ。それにそんなダガーで何ができる」


この時、ビスガルトは背後から微かな声を聞いた。

恐らく他の者には聞こえまい。それは気の属性、しかも高いエナル係数を持つエナルダ同士でなければ不可能な会話だった。

「ビスガルド様、この少女は保護すべきです」

「なぜ?」

「この少女は人間とは違います」

「人間ではない?どういう事だ」

「すみません。語弊がありました。通常の人間とは身体構造が違います。違うといっても、あの傷口の部分だけですが。この少女が何者であれ、確保が必要です」

「よし、任せる」


ビスガルドは治療が終わった少女に命じた。

「おい娘、お前はゼリアニア工作員の容疑がある。城まで同行してもらう。ラディナ、お前が連れてゆけ。必要なものは我が軍のものを与えてよい」

「は、了解しました」

先ほどの衛生兵がビスガルドの背後から進み出た。

「さ、城まで同行願います。何も心配する事は・・・」

ラディナの言葉に少女は微笑んだ。

「大丈夫。聞こえています」

「あなたはもしや・・・」

傷ついた少女は小さく頷いた。

ラディナはなおも聞こうとして思いとどまった。

「私の仕事はあなたを城まで連行する事です」


◇*◇*◇*◇*◇


ヴァリオンの北東、要所にある城に着いて2日後、少女はビスガルドの執務室に呼び出された。

「お前達は下がっていろ」

「しかし」

「大丈夫だ、こんな怪我した小娘に心配は無用、ダガーも取り上げなくていいぞ」

少女を連れてきた兵士達は一礼して部屋を出て行った。

「ラディナ、お前もだ」

「私はここに居ます」

「駄目だ。この娘とは大事な話がある」

「立ち会ってはいけない理由を教えてください」

「立ち会う理由がないというのが理由だ」

「わかりました!」

ぷいっと顔を背けると靴音も荒く出て行った。

ラディナがビスガルドにこんな態度をとるのは珍しい。

荒々しく締められたドアに小さく怯んだ少女に苦笑いを見せながらビスガルドは椅子の背もたれに身体を預けた。


「お前はクラト殿を探していると言ったな」

「私はクラト様の婚約者でした」

砂塵の矢と呼ばれるヴァリオンの将軍は思わず聞き返した。

「婚約者だと?」

「はい」

「俺はな、クラト殿と共に戦った強襲隊のビスガルドだ。クラト殿には恩義がある。ヴァリオンとしても、俺個人としてもだ。お前が本当に婚約者ならば、このビスガルドが悪いようにはせん」

「・・・」

「ただし、偽りなら赦すわけにはいかんぞ」

ビスガルドの目は最後に冷たく光り、言いようのない重圧プレッシャーが部屋中に満ちた。

「全てを話してもらおうか」

「傷の手当と保護には感謝しますが、これ以上、何もお話する事はありません」

「ふん、俺に睨まれて視線も外さんとは。これはニセモノとは言い難いな。あの方の妻であってもおかしく無い気がする」

少女の顔が驚き、そして輝いた。


「東大陸はギルモアとサンプリオスに二分された。ジルディオ同盟が何とか頑張ってはいるが、かなり厳しいだろう。

西大陸も似たようなものだ。我等ウルディア同盟(バルナウルの滅亡によりゾアニア同盟とは呼ばなくなっていた)もゼリアニアにだいぶ押されている。ゼリアニアといってもその実はアルエス教勢力だがね。

東大陸のギルモアとサンプリオスもそうだ。神というものは、ただそこに在るという存在だと思っていたが、どうやらアリエスの神は欲望も恐怖も持っているらしい。確かに全能の神というわけだ」

ビスガルドは皮肉な微笑を浮かべた。

そして少々しゃべりすぎたとでもいうように咳払いをすると切り出した。

「お前はバルカの飛行型エナルダスツーカだな?」

「はい」

「なるほど、それしか全てが納得できる理由はなかった」

頬に刀傷のある強襲隊の分隊長は小さく頷いた。


「しかし、クラト殿が結婚しているという話も婚約しているという話も聞いた事がないが?」

エルファがカポルの一件を話すと、ヴァリオンの将軍は途中から笑いながら聞いていた。

「あの方らしい話だ。裁判所に持ち込めば、クラト殿が何と言おうとお前の主張は通るだろう。好きなだけここにいるが良い。面倒はラディナがみる」

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