エピローグ⑤ 戦艦アビリオン
サンプリオス首都アビリオン郊外 ゼリアン研究所
「私にも出来るだろうか。あの子達と同じように出来るだろうか」
誰かに訊いて欲しい。
“できるかな?”
優しく微笑んで欲しい。
そうすれば私も笑顔で答える事ができるだろう。
“できる”
ニュロンが装着した甲冑は、その表面に縦横の細かい溝が刻まれている。ニュロンが望めば甲冑はその破片を四方八方に飛ばして周囲20リティ(約16m)半径の敵を殲滅するだろう。
自分の命と引き換えに・・・
感じる。大勢の人間。
このがちゃがちゃと金属が触れ合う音は兵士だろう。
「私にも出来るだろうか。あの子達のように上手に出来るだろうか」
ギッ
執務室の大きな扉が開いた。
ニュロンは身を堅くして雪崩れ込んで来るはずのサンプリオス衛兵を待った。
しかし、聞こえてきたのは騒々しい軍靴の音ではなく、落ち着いたブーツの音だった。
カツカツカツ
「ニュロン博士、バウリスタだ」
「・・・バウリスタ艦長?」
ザレヴィア護衛艦隊の指揮官がどうしてこんなところへ・・・
「ニュロン博士、この研究所の周囲は我が艦隊の陸戦隊が制圧したが、一時的なものに過ぎん。サンプリオスの伝令要員を討ち洩らした。あと1時間(地球の2時間)ほどでサンプリオス第1軍団が到着するだろう。そうなれば我々に勝ち目は無い。すぐに決めてくれ。その鎧で数名ばかりのサンプリオス兵士を打ち倒すか、それとも鎧を脱いで我々と共に行くか」
「共に行く・・・?」
命が助かったとは思わなかったが、研究が続けられるかもしれないという思いが私に希望を与えた。
しかし私をどうしようというのだ。
「私達は南へ向かう。ザレヴィア海軍は自主退役した。まぁ、脱走なのだが」
バウリスタはひとしきり笑うとニュロンの目を見据えた。
「南にはここよりも広い大陸やひしめくような島々があるという噂だ。そこで好き勝手にやってみようと思ったのさ。ただ、好き勝手をやるには力がいる。力のためには組織がいる。組織のためには色々な人間が必要だ。エナル研究者がいても良いだろう」
バウリスタはそれだけ言うと、くるりと振り向いて歩き出した。
「よし、ニュロン博士の搭乗準備を手伝え、資料や機材器具などもあるだろうから急ぐんだ」
「ニュロン博士、時間がありません。ご準備願います」
ふと横をみると礼をとっている青年がいた。私より少し若いようだ。
私の目が問いかけていたのだろうか、彼は小さく頷いた。
「私は戦艦アビリオンの航海士でヴァルノーと申します。何なりとお申し付け下さい」
青年は慇懃に名乗って笑みを見せた。
考えれば、私はこの青年の優しい微笑みで決心をしたのかもしれない。
◇*◇*◇*◇*◇
港には白い壁の倉庫が立ち並び、整備された道路には風に飛ばされた砂が積もっている。
昨日と同じ強い日差しが照りつけ、強い南風は明日も同じように吹きつけるだろう。
大型船舶用の第2埠頭に戦艦が3隻停泊していた。
戦艦の間には小型で船幅の広い補給艦も6隻ほど見えた。
補給は済んだのか、タラップは既に引き上げられている。
しかし、中央の一際大きな戦艦だけは乗組員用のタラップを降ろしたままだ。
最後にタラップを上ったのはヘルメットのようなものを被った男を含む数名の兵士だった。
「二番艦、三番艦、左右に避けて補給艦を離岸させろ!我が艦もすぐに離岸する」
「艦長!丘にサンプリオス軍が見えます!軍団旗は第3軍団のものです!」
「ほう、第1軍団より遠方に駐屯していたはずだが、さすがはスレイド将軍だ。二番艦、三番艦はロングボウガン準備! 補給艦の離脱急げ!」
「アビリオン離岸準備完了しました!」
「よし、錨を上げろ!」
「錨あげぇ!!」
「このまま我等を逃したとあっては、サンプリオス軍きっての猛将といわれるスレイド将軍も報告のしようがあるまい。あまりに気の毒だ、取り逃がした理由を進呈しよう」
バウリスタの瞳に残酷な色が映った。
「離岸直後に右回頭、ロングボウガンをおみまいしてやれ」
「艦長!いけません!」
「なんだヴァルノー」
「我等はこれからどのような敵と遭遇するか分かりません。矢の浪費は避けてください」
バウリスタが答える前に、ヴァルノーの背後から黄色い声があがった。
「ちょっとー!航海士のあんたが何言ってんのよ!射撃は私の管轄でしょ!」
「ニケネー射撃長!」
ニケネーという名の射撃長は褐色の肌をした小柄な女だった。
いつも海風に晒されているせいか、ふわっとしたカーリーの髪は色が抜けて黄色かった。
ディカノのたてがみで作った飾りが揺れる指揮杖を突きつけ、ヴァルノーを睨みつけている。
「私の管轄に口出ししないで欲しいわね!」
「管轄外だろうと何だろうと艦隊に利しない事には反対だ!」
「もう接敵してるのよ!それにバウリスタの命令じゃないの!」
「艦長を呼び捨てにするな!」
「目標確認!!」
2人の言い争いは兵士の報告で中断された。
「騎兵およびロングボウガン隊、新型です!」
新型とは、通常12本の矢を装着する大型のユニットに、対マテリアルの巨大な矢を2本装着したロングボウガンだ。
艦船にとっては非常に危険な相手といえる。
振り向いたニケネーはヴァルノーを無視して、指揮杖を振り上げた。
「左舷ロングボウガン!遠距離用ユニット、サンプル306装着!!」
「サンプル306ユニット装着します!!」
「装着完了しました!!」
間髪入れず指揮杖が振り下ろされる。
「撃てぇッ!!」
甲板は激しい夕立のような音に包まれた。
射線上からだと、対オルグ用の大きな矢はゆっくりと飛んでいくように見えた。
バババッ
着弾と同時に激しい砂煙があがり、その中に青みがかった白い煙が舞っている。
「サンプル3シリーズだって?」
青白い煙が収まった後に残されたのは、人形のように折り重なって息絶えたサンプリオス兵士だった。
「なんだこれは・・・。ニケネー射撃長、何を撃った」
ヴァルノーが大声を張り上げた。
「ニケネー!貴様、何を撃った!!」
「なに騒いでんのよ、開発中の対人用カプセル弾、知ってるでしょ」
「ふざけるな!対人用カプセルユニットは艦長の許可が無ければ撃ってはならないはずだ!」
ニケネーは目を細めて吐き捨てた。
「ったく、ヴァルノーってば面倒な男ね」
詰め寄ろうとしたヴァルノーの耳に、バウリスタの声がぼそっと聞こえた。
「許可した」
「えっ・・・」
振り返ったヴァルノーの目は驚きの中に怯えを含んでいた。
「許可したんだよ俺が。1回だけだ」
「何故ですか!」
「今回の攻撃に使ったカプセル内容物の量と被害状況から有効な使用量を計算させる。それによって戦闘能力だけを奪う事も可能になるだろう。ニュロン博士、よろしく頼む」
「はい」
ヘッドギアを装着した長身の男。
エナル研究者だと聞いていたが、忌避カプセルもこの男が開発したのだという。
クエーシトからサンプリオスに辿り着いた白い肌の研究者。
その表情は陽光を照り返すバイザーのせいで窺うことはできなかった。
◇*◇*◇*◇*◇
北の戦乱の末期、サンプリオスに流れ着いたニュロンは、サンプリオス政府の援助を受けて、エナルダ無力化の研究に全力を傾けていた。
脳神経のエナル認識の阻害によるエナルダの無力化。
これが完成すれば、この世界の戦いを大きく変える発明になるはずだ。
この時、ニュロンにはエナルダ国家であるクエーシトの滅亡が見えていたのかもしれない。
しかし、結果からいえば研究は失敗だった。脳細胞のエナル認識だけを阻害する物質が見つからなかったのだ。
ニュロンが使用を予定をしていた物質はエナル認識の阻害物質ではなく、脳細胞自体を破壊する毒でしかなかった。これでは自軍の非エナルダ部隊にも被害が出てしまう事が予想され、とても運用する事はできない。
しかし、ニュロンの研究は副産的に新しい兵器を生み出していた。それがカプセル兵器だ。
その一種としてザレヴィア海軍に採用されている対オルグ用忌避剤と駆除剤があるが、ゼリアン研究所を管理するサンプリオス軍事府兵站庁の長官は研究の対象外であるとして開発を制限。後にザレヴィア海軍の研究開発として実用化されたが、長官が技術を売ったのは間違いなかった。
ニュロンは長官に対し不信感を持ち、次第に対立していく。
一方で忌避剤開発の真相を知ったバウリスタが、対オルグカプセルの改良についてニュロンに意見を求めてから、徐々に両者は協力関係を構築していた。
孤高の研究者と尊大な船乗りに何か通じるものがあったのだろうか。2人の間ではニュロンのザレヴィア亡命も話し合われていた。
そしてまだ研究段階であった対人用カプセルが密かにバウリスタに届けられ極秘裏に開発されていたのだ。
そんな折、研究に投入された莫大な費用に疑問を感じたサンプリオス政府は調査を開始。
内務省によるゼリアン研究所の査察が行われ、会計収支が合わない事が判明した。
兵站庁の長官はこれまで施設の拡充や薬剤の調達を名目に莫大な金額を国庫から引き出していたのだが、そのうち相当な額を研究とは何ら関係のない目的で使用している。つまり横領だ。
窮地に追い込まれた長官は、自らの横領を隠そうとニュロンに罪を被せた。
研究内容は元々が実現不可能な絵空事であり、膨大な研究費用がニュロンによって横領されていたという筋書きだ。
並行して研究開発が進んでいた対オルグ、対人のカプセル兵器は有効なものであったが、長官の保身のために握りつぶされた。
長官の筋書きにとって、ニュロンは才能のかけらもない詐欺師でなければならないのだ。
ニュロンは出頭を命じられた。
しかし、ニュロンに心酔する研究者によって危険が知らされ、捕縛隊が派遣されたところをバウリスタによって救われたのだ。
バウリスタはニュロンを救うことで大きな力を得る事になる。
サイベル・ハイラから引き継がれ、ニュロンが研究に没頭した対エナルダの兵器は、全ての兵士、いや全ての人間を対象とした無差別殺戮兵器に姿を変えて表舞台に登場しようとしていた。