エピローグ② クロフェナ
「ラオファ、俺は反対だ」
「なぜ?」
ラオファの冷静さにリョウカは苛立った。
「なぜだと?あの男はシャオル様に傷を負わせたのだぞ、クラトが居なかったら俺もろとも討ち取られていただろう」
「誰もが知る事実を改めて言うな、君の悪い癖だ」
「くそ、苛つくぜ!俺はあの男が危険だと言ってる!」
「危険?」
「そうだ!」
ここでクロファットが小さく手を上げた。
「リョウカ殿、あの男が我々の敵であった理由はバルナウルがブレシアと敵対していたからです。しかし今やブレシアは無く、バルナウルも滅びました。敵であるという理由はなくなってしまったのです」
「とはいえ兵達の感情もあるだろう」
「それを何とかするのは師団長の務めではありませんか」
「くっ」
「戦ったリョウカ殿なら分かるはずです。クスカという武人は信用できませんか」
リョウカにシェンリー川の西に広がる森での戦いが蘇った。
間合いを詰めるスピード、剣圧、そしてあの構え。
防御に徹した剣すら弾かれて一撃で沈んだ。
生き残ったのは偶然に過ぎない。
悔しい。奥歯が砕けるほどに悔しい。
しかし、会えば間違いなく惚れてしまうだろう。
あの男の退き様は戦士や武人といったものでは括れない、もっと人間の本質的な大きさを感じさせるのだ。
「あの男はシャオル様を狙い、傷を負わせたのだ・・・」
リョウカは力を失ったように呟いた。
「あなたはご自分ではなくシャオル様の立場でお考えいただいておりますか?」
「勿論シャオル様は大事だと考えている」
「ではシャオル様は何を一番大事だとお考えでしょうか」
「・・・それはクロフェナに違いあるまい」
「クロフェナとは何を指しますか?」
「・・・」
「領地ですか?系譜ですか?名前ですか?」
「クロフェナとはもとより国家を表す言葉ではない。ブレシアを源とするジルオン神の守護たる者を指す。そこには名前も血統もない。そんな者達を結びつけるのは精神しかあるまい。クロフェナとは精神そのものだ」
「模範的な回答だ。さすがは元司祭直衛隊ですね」
「クロファット、貴様、俺をからかっているのか?」
「とんでもありません。しかし、この会議、私はミューレイ様の代行で参加しております。言うべきは言わねばなりません」
「言ってみろ」
「クロフェナはシャオル様を中心とした独立勢力であるべきです」
「な、・・・それはシャオル様の真意か?」
それに答えたのはここまで一言も発言しなかったジェライナだ。
「いかにも」
リョウカの双眸は希望に輝いた。
ギルモアにクロフェナ城を急襲されてから、シャオル率いるクロフェナ勢力は客分としてラムカンに入ったが、その後のシャオルは何の動きも見せなかった。
シャオルが病身であるとはいえ、他国に囲われて過ごす日々はリョウカにとっては耐え難かったのだ。
【シャオルのラムカン亡命当時】
ギルモア本国の急襲をうけたクロフェナ城は短時間で陥落した。
要所要所で激しい抵抗を行う一方、シャオルと上層部、多くの兵士はラムカン領内へ入った。
その際、最後まで敵に抵抗したのがリョウカとホウレイの師団だった。
2人の師団は多くの被害を出したが、稼いだ時間でクロフェナの亡命要請とラムカンの承認が“形式上”行われた。
ギルモアの勢力下であるクロフェナがラムカンと通じていたという事実を“形式上”否定するための処置だった。
カノヴァは自分の居城であるゼリアム城にシャオル入れ、クロフェナの勢力をそのまま対ギルモアに充てた。
そして自らはかつての本城であるラムカン城に入ったのだ。
これによってラムカンの本城はラムカン城に戻ると思われたが、その公布は行われなかった。
カノヴァの思いはシャオルに本城を譲り、ラムカンを拠点としたジルオン連合の復活を望んでいたのだ。
しかし、ミューレイはラムカン城を本城とする旨の公布を献策する。
「ギルモアへに敵対を表立って宣言するのは避けるべきですが、その意思は伝えねばなりません。しかしこのまま立場を明確にせねばギルモアから引き渡しの要請が来るでしょう。一方でギルモアとて不安定な北方蛮族を平定した直後にラムカンと事を構えたくは無いはずです」
「それはそうだが、宣言もせず、ギルモアから要請も受けないようにするにはどうすればよいのだ?」
「シャオル様を臣下であるかのようにお振る舞い下さい」
「何と。そなたは主を他国の臣下とするか」
「いかにも」
「しかし、そなたはシャオル殿の側にあってクロフェナの中枢ともいえる存在だ。当然、私の考えがシャオル殿を中心としたジルオン連合にある事を知っておるだろう」
「無論です」
「ではなぜシャオル殿を私の下に置くか」
「戦場で勝つために、理想はいりません。軍において弱きは統制無き組織です。これまでの経緯をお考え下さい。ご無礼甚だしき事を申し上げますが、カノヴァ様とシャオル様を比較した場合、シャオル様を評価する声が多いのも事実です」
「確かにそうだ。それはわし自身が痛切に感じておる。だからこそ・・・」
「お気持ちは分かります。シャオル様を本城に据え、国王がラムカン城にお移りになる真意も・・・」
「ならばシャオル殿を臣下になどと申すな。ギルモアへの宣言無き敵対の意思表示ならばクロフェナ勢の亡命を認めた時点で示しているようなものではないか」
「足りませぬ」
「ギルモアは求めてくるというのか、クロフェナ勢の引渡しを」
「はい」
「ラムカンはジルディオ連合の一員なのだぞ、それでもか」
「は、言うだけなら“ただ”でございます。しかもギルモアの要請自体は正当なものであり、ラムカンを始めジルディオに敵対する行動には成りません。それに我々が相対するのはギルモアだけではありません」
「まだ何かあるのか」
「ジェダンをお忘れではないでしょうか」
「・・・!」
「ジルオン連合とは、ギルモアにもジェダンにも不利益な勢力であります」
「そうか、相分かった。早速ラムカン城を本城とし、シャオル殿には西部防衛任務に就くよう発令しよう」
「は、ご賢察に感謝いたします」
「それにしても、シャオル殿は良い軍師をお持ちだ」
「恐縮です。なお、シャオル様は病身ゆえ、任務につきましてはジェライナが代行いたしましょう」
「承知した。しかしシャオル殿の病はそんなに篤いか」
「は、小康を得てはおりますが、かつてのように戦場へ出る事は叶いません」
「そうか、戦場を駆けていただくつもりはないが、少しでも早い平癒をお祈りいたそう」
「お気遣いに感謝いたします。それでは私はゼリアムに戻ります」
ミューレイは僅かな護衛に守られながらゼリアムへの道を急ぐ。
唇を噛んだ。
シャオルを貶めたようで心は冷静ではいられなかった。
“これで良い”
そうだ、これで正しいはずだ。
今のクロフェナは未来を描くよりも、今を生きねばならない。
しかし“苦しい”。
自分でも呆れる感情だ。
シャオルを唯一とする心がまるで少年のように残っているのだ。
*-*-*-*-*-*
話をゼリアム城の特別会議室に戻す。
クロファットはベルロス兵団を前身としたベルロス傭兵団の受け入れについて、最初から説明した。
「ラムカン国王カノヴァ様、マバザク郷領主ムヴェカ様には了承を得ており、パルヒムからシェンリー川を渡河した後、ルチアナを経由してゼリアムに到着する経路はマバザク族が手配する手はずです。
また、ジェダンにはカノヴァ様を通じてゼリアム城の戦力補強のため、親クロフェナの勢力から兵を集める旨を報告しております。ジェダンとてギルモアとの対峙はクエーシトと連合をした時点で決定的ですし、クロフェナの亡命を了承した理由もラムカンの補強にあるのですから、反対する理由は無いでしょう」
そこまでして迎え入れるべきなのか?
口に出さずとも誰もが思うはずだ。
数日前にその疑問をぶつけたミューレイに対するシャオルの回答は次のとおりだ。
「クラトらがクロフェナに留まっていたら、クロフェナ城はあれほど簡単に落ちただろうか」
短時間でクロフェナ城が落ちたのは戦局を見切る判断が早かったからだが、ミューレイですらあの3人が居ればと思う場面は少なくなかった。
つまり、シャオルはベルロス兵団にクラトら3人と同じものを求めているのだ。
それは単なる兵力ではないはずだ。
以前であれば何があっても反対したであろうミューレイだが、今回の作戦ではむしろ積極的だった。
クロフェナ城を早々に捨てたのは、再興を期すればこそなのだから。
◇*◇*◇*◇*◇
【ジェダン本城】
ジェダンの若き国師シャゼル・リオン。
ジェダン国王キルゼイ・ジェダンの執務室に入れるのは天使と彼のみだ。
「クロフェナの動きがうるさいようだが」
「ゆくゆくは我等の戦力と考え放置しておくのが良いでしょう」
「しかしラムカンが絡むようでは放置できぬ」
「ラムカンなどクロフェナにくれてやれば良いのです」
「ほぅ、面白いな。我がジェダンにとってラムカンは西の壁ではないか」
「そのラムカンがクロフェナに代わるだけではありませんか。それにクロフェナが独立するならマバザクやルチアナ、ゼンティカ、マヤサラを糾合するでしょう」
「やはりそう動くか」
「小さき国は大きく、弱き国は強く、それぞれなろうとします。しかし小さく弱いからこそ存続できる場合もあるのです。北方の蛮族がまさにそれにあたるでしょう」
「小さかろうとまとまれば、それはまさに新たな勢力といえるではないか」
「新たな勢力は取り込めば良いのです。クロフェナがいくら近隣の郷や部族を統合しようと単独で存続することはできませんが、分離したギルモアとの連合するとは思えません。我等に接近してくるのは至極当然な事です。それに今度は完全にギルモアを遮断できます」
「それをもって西の壁は完成するという訳か」
「はい、ラムカンをクロフェナに預ければマバザクやルチアナなどを連れて帰ってくるようなものです。それに、いずれ中心となる人物が消えれば頼るのは我がジェダンしかありすまい」
「それは随分と悠長ではないか」
「いえ、クロフェナのシャオル、そう長くはないと見ております」
「なぜそう言える」
「クロフェナ城の早々の落城は、先に滅んだバルカの女王と同じく国よりも人を守るが為でしょう。しかし、クロフェナのレギオルスと恐れられた激しき女領主が簡単に城を捨てるとは考えられません。自分の命数が短いと承知しての動きでしょう」
「今、我等は何をすべきか」
「クエーシトもまた、そう遠くない未来に消えてしまう国です。まずはジェダン=クエーシト連合から統一国家へ移行すべきでしょう」
「それはそれで難事ではないか」
「デュロンと連邦国家として調整中です」
「国王は?」
「クエーシトに国王など存在しません。クエーシトにあるのはエナルダの技術と戦力のみです」
「我等がクエーシトに求めるのはエナルダ技術のみなのですから」