19-12 赤い旋風
誰からも信用され愛された少年が、ティエラ団長の許へ贈物を運ぶ。
誰もがこの暗殺者を疑うどころか、微笑みながら見送った。
彼がここに居てはならない者だと知っているのは、ティエラとジュノと人員管理官だけだ。
ここに居ないはずの美しい少年は、必殺の暗殺剣を抱いている。
3枚の薄い刃から成るドゥカルタは少年の超人的な技能によって更なる力を秘めていた。
ドゥカルタが3枚の刃を持つのはベルトに仕込む為に刃を曲げる必要があるからだが、この少年は突き刺したドゥカルタの刃を再度3枚に分離する事ができる。
つまり標的は体内を3枚の刃で切り刻まれるのだ。
美しい少年は笑みを浮かべながら果物を運ぶ。
標的を貫き、切り刻むために。
「待て」
「はい、何かございますでしょうか」
エリオスは突然の鋭い声にも全く動揺せず振り向く事ができた。
見れば赤騎隊のラエリア分隊長がいた。
ラエリアは故郷に残してきた弟に似ているといってエリオスを可愛がっていた。
その優しいラエリアの目が無表情に冷めている。
「何だそれは」
「札をご覧下さい。エルトア行政長官婦人であらせられるエリオリア様からティエラ様への贈呈品です」
背後に強い気配を感じた。
振り向かなくても分かる。イオリア分隊長だ。
「そんな事は分かっている」
背後からの声は、やはりイオリア分隊長のものだった。
「この果物はキキラサ様にご確認いただいておりますが」
「用事があるのはお前の腰にある得物だ」
エリオスは両手で大皿を支えたまま、顔を真っ赤にして泣きそうな声をあげた。
「も、申し訳ありません。食料品の仕分けをしておりましたので・・・」
エリオスの腰には雑用係が使う小さなナイフが鞘に収められていた。
イオリアはエリオスのナイフを取り上げ、「注意しろ」と言って去っていった。
エリオスは詫びて再び歩き出す。
何とも危ないところだった。
もしドゥカルタに気付かれたらその場で戦わねばならなかった。
あの2人を前後に受けては敵うはずもない。
エリオスは神の祝福を感じた。
心の中で神に感謝の言葉を捧げながら、不思議な感覚に戸惑った。
自分が一歩一歩目的に近づいている。
それは一歩一歩終末に近づいているのと同じ事だ。
目的とは終末なのか?人の終末とはなんだ?人生の目的とは・・・
その答えが出ないまま、ついにエリオスはティエラの前に立った。
ティエラは明日の作戦事なのか、傍らの者と話し込んでいるようだった。
片膝をつき、果物を捧げるようにして言う。
ティエラからではエリオスの顔は見えないはずだった。
「エルトア行政区、エリオリア様より贈呈品が届いております」
ティエラは一目見て「ご苦労、下がってよい」と言うと、ふたたび傍らの者と話し始めた。
贈呈品を運ぶため、2人の兵士が左右から皿を持ち上げるとティエラの横顔が見えた。
同時にエリオスの視線はティエラから遠く離れた後方に3人の見習兵を捉える。
彼らはエリオスと同じく入団を希望した者だ。
輜重隊として武具を運んでいるようで、荷車を押している。
その中の1人、エリオスの従者だった男がこちらを見た。
一瞬、エリオスとティエラ、従者が一直線に結ばれた。
エリオスの膝に置かれた手が動いた瞬間、小さな金属音と共に暗殺剣が現れた。
兵士が持った皿の下を潜る様に飛び出したエリオスは叫んだ。
「我は成し遂げたり!!」
しかし、思いに反して声は出なかった。
突き出した暗殺剣ドゥカルタもティエラの20ミティ(約30cm)手前で止まった。
息ができない。
体も動かない。
視線を降ろすと自分の胸から突き出した槍が地面に達しているのが見えた。
「愚か者め」
背後から聞こえたのはイオリアの声だ。
ティエラは兵士に護られながら暗殺者から離れた。
もうドゥカルタを投げる事もできない。
終わった。
しかし、私の任務はこれからだ。
ドゥカルタを横に振った。足を切断された兵士の悲鳴があがる。
怒号と砂煙、そして血が舞う。
暗殺者の首を落としたのはラエリアの刀だった。
凍りつくような緊迫感が融け始めた時、小さな悲鳴があがった。
見ればティエラが肩を押さえて崩れた。
ティエラの背後30リティ(約24m)ほどに第2の暗殺者がいた。
これも見習兵だ。
運搬中の武具に紛らせていたのか小さな弓を手にしている。レノが使う暗殺用の弓だ。
イオリアが叫んだ。
「捕らえよ!殺すな!」
兵士が殺到し、3人の見習兵はあっという間に捕縛された。
◇*◇*◇*◇*◇
決戦が予定されていた日。
ヴィア・バルカ傭兵団は沈鬱な雰囲気に包まれていた。
昨日ティエラが受けた矢には毒が塗ってあったらしく、ティエラは戦うどころか、立ち上がる事すらできなくなってしまったのだ。
暗殺者に拷問を加えてでも黒幕を吐かせようと主張するのはイオリアとラエリアだ。
彼女達の双眸は復讐の炎に燃えていた。
あれほど美しく、凛とし、また誠実な人間であっても、復讐に染まればその瞳は何と禍々しい色を宿すのだろう。
ジュノとキキラサは優先すべき事があるという理由で反対したが、いつもは冷静なラエリアも普通ではなかった。
「ジュノ殿、キキラサ殿、むしろ猶予がないのは首謀者の特定です、捕らえた者を殺そうとするのは我等だけではありません。手足を落そうと目を潰そうと、あやつ等など口さえ利ければよいのです。早速尋問を」
ラエリアの主張は兵士達の代弁でもあった。
赤騎隊の幾十もの狂った瞳がクラトに向いた。
「クラト殿、ティエラ様に最も近しきあなた様ならお分かりいただけますね、どうかお口添えを」
クラトはラエリアが苛つくほど静かだった。
「ティエラは戦場にいたんだ。
それが自陣であろうとここは戦場なんだよ。
矢が飛んでくるのも、槍で突かれるのも、刀で斬られるのも承知してるはずじゃないのか。
戦場の結果を怨むくらいなら最初から戦場に立つべきじゃない。
ティエラはそう考えるはずだ」
「そのような言葉で主の敵討ちを逃げるのですか! ティエラ様の建前にあなたも縛られるというのですか!!」
「ティエラの代わりは誰もいない。
黒幕を知る理由は復讐だけだ。
そうなればまた戦いが起きる。
戦いが起きればあるのは仲間の死と未来の喪失だ。
だからどこのどいつが命令したかなんて知る必要がない」
「あなたは!・・・あなたは・・・何者なのです!ティエラ様の何だというのですか!
我等が命よりかけがえのないティエラ様の!」
「俺はティエラ女王の軍団長だったし、ティエラ団長の配下だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ティエラ様を救っていただける方だと思っていました。ティエラ様を包み護っていただける方だと思っていました」
「俺はティエラがやって欲しいと思う事やる。
復讐を言うのはティエラ以外の勝手な感情だ」
イオリアとラエリアは言葉を失った。
そうだ。
この男はティエラの為に命などいくつも捨てているではないか。
赤騎隊が落ち着くとジュノが口を開いた。
「我々は敵と対峙しています。勝利こそティエラ様のお望みでしょう。ティエラ様を動かすのは危険ですので、戦線を維持したまま医者を呼びます」
「フォルティニア治安維持部隊から派遣された軍医は毒の成分が分からないと言っていたが・・・」
「毒なら北方蛮族が詳しい。シャオル様を頼りましょう」
「分かった、俺が行くぜ」
「いえ、クラトさんはティエラ様の傍に居て下さい。私が行きます」
「クラト殿とジュノ殿が抜けるのは作戦上困ります」
「私が行こう」
部屋に入って来たキキラサはすでに偵察用の装備を整えていた。
「キキラサ、これを持っていけ」
クラトが手渡したのはラヴィスの遺刀だった。
「これを見ればシャオルはバルカの使者だと分かるはずだ」
「承知」
キキラサが後ろに倒れたように見えた次の瞬間、その姿は消えていた。
すぐさま作戦会議となった。
作戦の立案はジュノが中心だ。
「まずはこの戦線を押し上げましょう。劣勢なこの戦線で敵を打ち破れば敵は総崩れとなるはずです」
「ジュノ殿の御意見はもっともですが、幸いにも戦線は膠着していますし、このまま戦線を維持するとか、ティエラ様を護って退くという手は無いのでしょうか。」
「もし敵がティエラ様の情報を得ていたら嵩にかかって攻めてくるでしょう。動けぬティエラ様を守っての撤退など不可能です。ですから出鼻を挫くべく打って出ます」
どのような状況においてもジュノの心は揺れず、窮地であるほどに冴えた。
「明日はティエラ団長の影武者を立てます」
「はたして敵はティエラ様の負傷を知り得ているでしょうか」
「もし知らないとしても打って出る作戦が最も上策です。数において優勢な敵を勢い付かせる訳にはいきません」
「わかりました」
*-*-*-*-*-*
翌日、ヴィア・バルカ団は違っていた。
一言でいえば必殺の念に燃えていた。
赤い騎馬が姿を現せばそれはヴィア・バルカ団の戦闘が始まる事を意味している。
「僭越ながら私がティエラ様の代わりを務めさせていただきます」
「イオリア殿、お願いします。先頭を駆けるだけで結構ですので」
ジュノの言葉にイオリアは頷いた。
「お待ち下さい!」
侍女の叫ぶような声に振り向けば、赤備えの騎馬が一騎、近づいてくるのが見えた。
「イオリア、戦場にあって私の前を駆けようというのか」
『ティエラ様!!』
「はは、私の代わりはイオリアで務まるであろうが、イオリアの代わりが務まる者がおるまい。なに、駆けるだけの戦場など容易い事よ」
「ティエラ様、ご自重ください」
「黙れ、私が立つ戦場は私のものだ!何人たりとも私を妨げる事は許さぬ」
対峙する敵は昨日と同じ500ほどだが、その後方にはいつの間に補充されたのだろう2,000ほどの兵士が姿を現した。
合わせるとほぼ1個軍団規模にもなろうかという兵力だ。
そんな兵力差など意にも介さぬ赤い騎馬隊が草原に映えた。
先頭はヴィア・バルカ団を率いるティエラ・バルカ。
敵軍は暗殺の情報を得ていたようで、ティエラが先頭に立つのを見てざわめいた。
「赤の女王だ!昨日暗殺されたはずではなかったのか!?」
兵士にまで伝えられていたのだろう、敵軍の動揺は大きかった。
ティエラの右手が上がる。
兵士はまるで赤騎隊が自分を狙っているような錯覚に陥り、2,500の敵軍に恐怖がうねるように拡がっていった。
敵兵士は戦場に1人きり立たされたような恐怖を感じていた。
軍隊という組織から切り離された兵士など戦力ではない。
しかし、この絶好のタイミングにティエラの右手は上げられたままだ。
敵軍の指揮官は後方の2,000を1,000づつ左右から押し上げる陣形を取った。
「恐れるな!敵は僅かに100、我等は2,500だ!周りの戦士を見よ!お前と共に戦う同朋を!」
「手負いの女が率いる軍など蹴散らしてくれよう!この戦力差だ!揉み潰せ!」
敵軍の兵士達は徐々に落ち着きを取り戻していった。
敵が赤の女王と呼ぶティエラ。
まるで敵の覚悟を待っていたかのように、その赤い篭手が前方に振られた。
戦場の赤い槍は敵陣を貫く。
敵も味方も、戦場の風さえも見惚れずにはおれなかった。
その赤い兜には異世界の文字で“旋風”と描かれている。
確かに戦場はこの女騎士のものだった。
そして後に残るのはヴィア・バルカ団の勝利と新たな伝説だ。
しかし、この日を境に赤い旋風の兜が戦場を駆ける事は二度となかった。
◇*◇*◇*◇*◇
急報を受けたシャオルは何とクロフェナの国師たるジェライナを派遣してきた。
急ぎ診察を行ったジェライナによれば、ティエラが受けたのは毒ではなく、病素と呼ばれるものだという。
これは地球で言うところのウィルスや病原菌と考えれば良いだろう。
鶏の卵の殻に小さな穴を開け、黄身に病素を付着させて蓋をした後、雌アマルカの子宮に入れて培養するのだという。
ジェライナが驚いたのは、毒性の不安定な病素が暗殺で使える品質にまで開発されている事だった。
ジェライナが知る限り、病素の研究が行われていたのはクエーシトだけだが、サイヴェルの死後、研究は中断しているはずだ。
“いったい誰が・・・”
何かとてつもない力が動き始めているようで、ジェライナは底冷えするような不気味さを感じた。