19-10 母親
ヴィア・バルカ団が戦場に姿を現した。
雇い主はギルモア王国エルトア行政区。
ギルモアはジルキニア戦争後、郷制度から行政区制度に移行していた。
郷が準国家といえるほどの独立性を持つのに比べ、行政区は文字通り行政を行う為の単位であって軍事力は持たない。徴税をして本国へ納め、交付金を得て行政を行うのだ。
ただし、軍事防衛上重要な地区は例外として特別区としている。アティーレやバルカ、エルトアやトレヴェントもそうだ。
イグナスを据えたアティーレは北の防波堤として大きな特権が与えられていたし、バルカ特別区にはあのセシウスが長官として着任していた。
難しい2つの行政区に最強の2人を据えた事になる。
エルトア行政区長官時代のセシウスは、エルトア、レジーナの両街道を整備し、高い機動力を持った軍を組織する事でトレヴェント行政区やバルナウル南部を含む広範囲の治安を維持していた。
セシウスは旧バルナウル軍、地方軍閥など反政府勢力を分断して各個撃破、戦乱の芽を摘んでいたのだ。
セシウスが行った街道の整備や軍団装備の充実は莫大な費用を要したし、小さいながらも戦闘機会は増え、兵士の犠牲も少なくはなかった。
しかし、市民の安全は保たれ、街道整備の効果もあって経済は活発化、エルトア行政区の経済はかつてのエルトア王国時代を上回るほど発展した。
平和の維持とは弛まぬ努力と犠牲によってもたらされるのであって、仕組みや道理で保たれるものではないのだ。
ギルモア本国はエルトアやトレヴェントは危険地区ではないと判断してセシウスをバルカへ異動させたが、セシウスがエルトアから去ると、それまで静かだった賊が動き出した。
しかも押さえ込んでいた広範囲の軍事勢力が糾合されようとしていたのだ。
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ヴィア・バルカ団に対するトレヴェント行政区の依頼内容は旧エルトアの南部に勢力を張る盗賊の討伐。
名目上は盗賊とされてはいるが、逃れてきた旧バルナウルの軍人が反政府勢力と結びついて、その兵力は20,000を優に超えるという。
旧ヴェルカノ、サイカニアの反政府勢力とも連合しそうな勢いであり、早々に叩いておこうという思惑らしい。
勿論、20,000もの敵にヴィア・バルカ傭兵団だけでは対応しきれない。
ヴィア・バルカ団の担当は敵の遊撃隊1,000だ。
敵の本隊にはフォルティニア治安維持部隊があたるという。
「なんじゃ、そのフォルティニア治安維持部隊とは」
「ギルモアの正規軍ではない軍隊で、主力は行政区で徴兵された兵士で構成されています」
「正規軍ではないのか」
「はい、彼らは外征を行わない事になっています。兵士は市民に義務化された兵役によって確保しています」
「何と、平時から徴兵をするのか」
「はい。3年間の兵役を市民の義務とするのはゼリアニアの制度ですが、これが行政区制度にうまく適合しているようです」
「3年? たったの3年か? 期間を限定された兵士は何を目的に戦おうというのか」
「それはそのまま義務といえます」
「義務・・・か」
「はい、身体的、精神的に健康な男子は20歳までに、1年間の兵役に就く事で一人前と認められるのです。その後、35歳までに2年間の兵役に就きます」
「そのような制度では応募によって兵力が変動してしまうではないか」
「ほとんどの者が30歳から2年間の兵役に就くでしょう。これは要請であって取り決めではありませんが、国からの要請に従うと税金や支給金などが優遇されるらしく、むしろそれを見越して人生の計画を組むよう考えられているようです」
「何ともつまらんものだな」
「最初の兵役が終わると結婚し子をもうけます。そして子供が5~10歳で2回目の兵役となります。このサイクルを推進するため、国家は学校なども整備しているようです」
「随分と組織的であるな・・・セシウスだな?」
「勿論そうでしょう。ゼリアニアから導入されたのは徴兵制度のみですから」
「子供とは2年間離れ離れか・・・」
「それはそうですが、母親も居りましょうし、そのための学校制度でしょう」
「母親か・・・」
「ティエラ様」
「・・・」
「ティエラ様?」
「・・・済まない、考え事をしていた」
「明日の戦いですが、我等の相手は敵の中でも優れた部隊で兵力は1,000です。遊撃的な動きでフォルティニア軍を翻弄して、寡兵にして不利な戦局を何度も覆したとか・・・」
「ふん、少しばかり動けるようだが、そういった点では我等の方が数段上だ」
「はい。いくら戦果を重ねようと、市民兵で構成されたフォルティニア軍を相手にしてのものです。仰るとおり10倍の兵力であろうと我が傭兵団の敵ではありません。その上でお願いがございます」
「何か」
「以前にも申し上げたようにティエラ様は後方に控えて頂きたいのです」
「馬鹿を申せ、この私が紅の甲冑を身に着けておきながら戦場を駆けんでどうする」
「以前にも申し上げましたように、ティエラ様の存在は平和をもたらす象徴でありながら、大きな混乱を引き起こす引き金ともなりかねないのです」
「ジュノ、お主は優れておる、そして誠実だ。お前のような良将はまたと得られまい。だから私はお主の言葉に耳を傾ける。しかし、これだけは申して置こう。私はローレン・バルカでもパーセル・バルカでもない。今の私は1人の武人として戦場に立つのだ。武人が戦場で戦い斃れる事に何の怨みがあろうか。これまでの戦いで失った兵士と同じく、戦場に身を置いた者の結果なのだ」
「・・・」
「私が斃れた後の事はジュノ、キキラサにのみ託そう」
ティエラは自分が戦場で死ぬ時にクラトも赤騎隊も生きてはいないと考えているようだった。
そう言われてはジュノもこれ以上の言葉は見当たらない。
兵士や市民の喧騒が遠く聞こえる。
ティエラは手を額にかざして訓練の様子を見た。
「それとな」
「はい」
「優れた組織とは個人の名で戦ってはならぬ」
かつて、ディクトールが突撃大隊の中隊長となり輝くような戦果を積み重ねた時、それまでディクトールを昇格させなかった師団長が非難にさらされた事があった。しかし、バイカルノを始め、レガーノ、アヴァンはその師団長を支持したのだ。
バルカ軍の強さとは、まず第一に組織として強力であったといえる。
個人の力とは、組織の力を底上げするものであるべきなのだ。
雄々しく名乗り上げる将軍、見惚れるような一騎打ちを繰りひろげる戦士、それらは彼ら個人のものであるのと同時に、組織のものでもあるべきなのだ。
「ヴィア・バルカ団は個人のために戦ってはならぬ」
「斃れた者よりも組織を守れ。組織を守れば多くの者が生き延びよう」
しかしティエラは、そんな軍事論よりも、己が斃れた時、戦いの目的が報復になる事を恐れているようだった。
兵士達の歓声が一際大きくなった。
クラトが兵士の打ち込みを受けている。
ティエラは何か誇るような微笑をみせた。
「しかしジュノ、あの男が側に在って私が戦場に斃れるとは想像できぬ」