19-4 カペリア要塞
ギルモアとサンプリオスはジルキニア戦争の軍事的最終目標をカペリアに定めた。
バルカ軍と戦いを極力避けるため、バルカ本城への攻撃は見送り、唯一の逃亡路である北を押さえるべく、その拠点カペリアの制圧に着手したのだ。
カペリアの制圧によってバルカ本城を完全に包囲してしまえば、後は降伏を待つだけだ。
この後繰り広げられるカペリア攻防戦はジルキニア戦争最後の戦闘であり、バルカ軍最後の戦場となった。
カペリア要塞とはかつてバルカ北部の小さな宿場町に過ぎなかったカペリアが北の戦乱の際、北から侵入したギルモアの拠点に利用された事から、戦乱後にバルカが北部の要衝として城を建設して要塞都市としたものだ。
城の規模はバルカ本城に及ばないものの、その堅牢さは勝るとも劣らないという。
その堅牢さは幾重にも築かれた城壁にあり、その複雑な形状によって侵入した敵への攻撃機会を増やしている。それが故に防衛には多くの守備兵力を要するという一見矛盾した問題も孕んでいた。
建設当時は“攻撃的要塞”と持てはやされたが、いざ戦いになってみれば隙間だらけの城塞でしかなかった。
しかしそれは攻撃側にも過酷な被害をもたらしたのだ。
バルカ軍は敵の攻撃を撃退するだけでなく追撃を行い、好機とみれば軍団の本隊にまで攻撃を行う。これによるサンプリオス軍団長の戦死は既に3名を数える。
カペリア要塞はもはやそれ自体が戦場であったのだ。
サンプリオス軍はカペリア要塞から1ファロ(約400m)離れた丘に大げさな防塞を設けて物見櫓を建て、その側面に各1個軍団を配置して櫓を守っていた。
「昨日はサンプリオス第7軍団がやられたらしいが」
「ああ、聞いてる。最近じゃ兵がすぐに浮き足立っちまう。すると俺たち下級将校が上官から叩かれるって寸法だ。やってられんよ」
「しかし俺たちが攻撃してるんじゃなかったのか?軍団長が3人も討たれた。一体何だというんだ、この戦いは」
「バルカは降伏するんだろう?なぜこいつらは戦う?戦う事に何の意味がある?」
「降伏するのは新政権だ、つまりニセモノだよ。俺たちが戦っているのが本物のバルカだ」
2人の中隊長は自分達が明日攻撃を行う事になるカペリア要塞を見た。
城壁には数人の男達がこちらを見ている。
「あの青い胸当ての男がジュノ・ガクレイ、バルカの青い毒蛇だ。ギルモア軍は青い城壁と呼んでる。北の戦乱ではここカペリアから侵入したギルモア軍がいいように翻弄されたあげく撃退されたって話だ」
「ゼリアニア兵もだいぶ恐れているようだな。カペリア要塞制圧作戦の開始が遅れたのもあの男のせいなんだろう?」
「そうだ。しかし最も恐れられているのが、黒い大剣クラト・ナルミだ。何しろギルモアの連中はあの名前を聞くだけで戦意を失うって話だし、ゼリアニア兵2万を殺戮したネディン平原会戦以降は黒い悪魔と呼ばれてる。奴のせいで大損害を出して失敗した魔女狩り作戦は知っているだろう?」
「俺はあの時、南部戦線でヘキサロス(隻眼の竜)やレガーノと戦っていた」
「俺はその2人をよく知らんが、どうだった?」
「とんでもない奴らだった。軍師や軍団長の話じゃバルカの最も優れた将軍だそうだ。そのレガーノは戦死したって話だが、死体が見つかっていないそうじゃないか。誰も信じやしせんよ」
カペリアの戦いはいつまで続くのだろう。
バルカ軍を殺し尽くすまで、バルカ軍が消えて無くなるまで続けられるのだろうか。
◇*◇*◇*◇*◇
部隊を率いて城外の敵を奇襲したアヴァンが戻ってきた。
アヴァンは返り血を浴びて真っ赤に染まり、麾下の第2軍団は度重なる出撃で消耗しきっていた。
アヴァンは剣を握った拳を布で縛っていた。
アヴァンほどの男でも剣を握る力すら失いつつあるのだろう。
拳の布に向けられた視線を感じたアヴァンは恥じるような笑みを見せて言った。
「返り血でな、滑るんだよ剣の柄が」
アヴァンは視線を外した。
「俺としたことが情けない事だ」
それは力の衰えを言っているのか、返り血のせいにした事を言っているのか分からなかった。
「カペリアに入れなかった連中は・・・壊滅か」
「レガーノの最後は誰も見ていないそうだぜ・・・」
「クラト、もういい。バルカの組織的戦闘はもう暫く前から行われていない。ちりぢりになった部隊が単独で闘っているに過ぎん」
「女王はどうなさっている」
「一時はだいぶ混乱してたが、今は落ち着いてるよ」
「まぁ、堪えがたい事実ではあるだろう。降伏も逃亡も」
「・・・だろうな」
「徹底抗戦を叫ぶ者から見れば、降伏はともかく逃亡は裏切りと映るだろう。しかもそれでバルカを守る事はできないんだからな」
「守れるさ」
「なに?」
「バルカは守れる。バルカは領土や城じゃない、その精神だ。王室や歴史の入れ物は国家なのかもしれないけど、精神の入れ物は人間なのさ」
「おまえ・・・」
「だからバルカの人間が少しでも多く生き延びれば・・・残るさバルカは」
「俺もいつ死んでやろうかと思っていたところだ。こうなったら嫌がられるくらい生き延びてやるか」
「アヴァンがそうすれば多くの兵士が生き延びるよ」
「分かった。教えられちまったな、異人に・・・。いや、お前は異人じゃない。バルカの戦士だ」
「・・・」
「クラト」
「なんだ」
「女王を頼むぞ」
「分かってる。城も領土も全て失ったとしてもティエラさえいれば、バルカは復活できるさ」
◇*◇*◇*◇*◇
ティエラ女王が密かにバルカ城を脱出した3日後、スピノ内務大臣によってギルモアに終戦協議の開始が要請された。
カペリアの抵抗はまだ続いている。
ギルモアはピサノを正式にバルカ政権として認め、サンプリオスを含めた3カ国協議に入った。
「これではグリファの二の舞だ」誰もがそう思った。
バルカはギルモアの保護国となりいずれ郷にもならずにギルモアへ編入され、一つの地名と伝説を残すにとどまるだろう。
幸いだったのはギルモア側にセシウスがいた事だ。
ギルモアはここに来て、エルトアに左遷していたセシウスを本国に呼び戻した。
カペリアで思わぬ苦戦を強いられ、事態の打開に最高のカードを切ったと言えるが、これまでの代償は大きく、遅きに失したとも言えるだろう。
ここでピサノと単独協議を行ったセシウスは、一時的にカペリア要塞の包囲を解くことに同意する。
ピサノがどこまで説明したのかは分からない。終戦処理を全て行った後、自死してしまったからだ。
カペリア要塞の包囲が解かれた日、ティエラ女王から全バルカへ勅命があった。
バルカの臣、市民に告ぐ。
我、国を保つに能わず。
我を護る必要は無い。
国を護る必要は無い。
各々、家族と自らを守れ。
城が無かろうと国土が無かろうと、バルカは汝らひとりひとりの中にある。
汝ら、生き延びよ。
*-*-*-*-*-*
勅命の5日後、ピサノによるバルカ新政権が樹立され、更にその3日後、カペリア要塞は落城した。
ティエラ女王の言葉に脱出した兵士もいるが、最後まで武人としてあるべしとカペリア要塞にて降伏した者も少なからずいたようだ。
バルカの占領状態は驚くほど平穏に行われた。
ティエア女王の勅命がギルモア、サンプリオスだけでなく、アリエス教会からも好意的に受け取られたのだ。
「我、国を保つに能わず」
バルカ女王は罪を認め、為政者の権限を放棄したと解釈された。
「我を護る必要は無い」「国を護る必要は無い」
女王と国を守る事の否定はそのまま王室と王国の消滅を意味し、無意味な抵抗を禁じたと解釈された。
「各々、家族と自らを守れ」
新政権下で生活を守るべきと命じたと解釈された。
つまり、ティエラ女王はバルカ王室とバルカ王国の消滅を宣言し、市民に新たな政権下で生きよと命じていると解釈されたのだ。
これによってバルカ兵、あの戦闘力の抵抗を最低限に抑える事ができるだろうし、今後のバルカの統治にも有益であろうと考えられた。
ピサノとの協議で“魔女狩り作戦”と“ティエラ引渡し”の内容を知ったセシウスは愕然としたという。
「バルカ女王がアルエス教会の手に渡らなかったのは僥倖というしかありません」
本心から語るセシウスにイグナスが相槌を打った。
「全くだ。しかし、ゼリアニアやサンプリオスの連中ならいざ知らず、ギルモア政府があのような協定を結ぶとは。バルカを知らないにも程があるというものだ」
「バルカの最後も良かった。女王の勅命、新政権の発足、軍の解体、そして女王の逃亡。これによって無益な戦いを回避し、バルカの統治が可能になったと言ってよいでしょう」
「しかしアルエス教会は何と言うかな。積極的な動きはしないまでも大臣や将軍も含めて賞金付き指名手配ぐらいはするだろう」
「はい。しかしバルカ女王の身に何か起きればバルカは再び火の海となるでしょう。それによって最も割を食うのは我等ギルモアです。領内にバルカのような反対勢力をかかえていては国力の消耗は莫大なものとなります」
ここでイグナスは面白そうに笑って言った。
「では、そうしようというのだ?かつての敵国の女王に何をしようというのだ?」
セシウスはイグナスが自分の考えを知っていながら聞いていると気付いた。
イグナスにしては珍しい戯事だった。
「我々ギルモアはバルカ女王を守る必要があります」
イグナスは今度こそ声をあげて笑った。
「そうか、ギルモアにあれ程までの損害と屈辱を与えたバルカ女王を我々は守らねばならんか」
「最も良いのはバルカをギルモアの郷とする事でした。しかしサンプリオスとゼリアニア、また、その背後にいるアルエス教会は納得しないでしょう」
「それはギルモア国王も納得はしないだろう」
「はい、しかしバルカ兵や市民がレジスタンスに身を投じたらギルモアは大きな損害を強いられるでしょう。しかも国内の反政府勢力と結びついたら重大事です。バルカを抑えるためにはティエラ女王の安全確保がどうしても必要なのです」
「それであの勅命とピサノの新政権という訳か」
「はい。ティエラ女王の勅命は、自ら女王の座から降り、戦争の集結とその後の安定を望んだ内容となっています。実質的にここでバルカは降伏した事になるでしょう。その上で新政権を発足させ、バルカの責任も含めた終戦の交渉をピサノが行ったのです」
「ピサノという男もたいしたものだったな」
「はい、私との単独交渉でも実に堂々としており、自分はバルカの黒い大剣に戦士と呼ばれた男だと言っておりました。為すべきを事を全てやり遂げた後に従容として死に就くあたり、なかなか出来る事ではありません」
「この後はどうするつもりだ」
「ただ静かにバルカの血と記憶が消えていくのを待ちます。バルカ女王は勢力を持たず静かにしてもらえれば良いのです」
「静かに生き、そして死ねという事か」
「ありていに言えばそうです。しかし・・・」
「しかしなんだ」
「我等と無関係の勢力によってバルカ女王が除かれるのであれば問題はありません」
◇*◇*◇*◇*◇
【戦後処理】
ギルモアによるバルカ占領はセシウスの意向により寛大かつ平穏に行われた。
一般兵士は市民に戻るという誓約書にサインさえすれば釈放されたし、市民にも日常に戻るよう布告されたたけだ。
その後、バルカの国力を調査するためにバルカに入ったギルモアとサンプリオスの査察官は驚いた。
兵士だけでなく市民の人口が驚く程少なかったのだ。備蓄してある物資もほんの僅かで財宝の類はほとんどなかった。
これは北の戦乱でフィアレスが、ジルキニア戦争前にバイカルノが、軍事物資や馬の購入のために使用したからだが、余りの国力の疲弊ぶりに、報告書の最後には特別に次の所見が添えられている。
「バルカはこの戦いにおいて国力を最後の一滴まで絞りきっており、兵無く、市民無く、物資無く、統治者も無く、この地には何も残ってはいない。この地を領有する事はむしろ負担が大きいと判断せざるを得ない。僅かに残った兵士や市民へ過酷な処分はますますこの地域を疲弊させるだろう。温情と慈悲をもってギルモア領内に加えるべきであると進言する」
バルカ軍は北部の地カペリアで消えた。突撃大隊も既に無い。
バルカ軍は消滅したのだ。
しかし、それは壊滅ではなく、この世界に広く拡散してしまったのだ。
ティエラが発した、「各々バルカの精神を持ち生き延びよ」という命令に従って。