19-3 おでむかえ
バルカ本城の会議室。
主席軍師が座るべき場所は空席だった。
こんな噂が流れていた。
“ラシェットが家族を連れて脱出した”
確認をしている暇はないが、軍師が会議に参加していない以上、事実がどうあれ許されるものではない。
議長のヴェルーノ卿はむしろさばさばとしていた。
「いいだろう。どうせ話し合うほどの議題も無い。残されたのはティエラ女王の脱出と亡命先だけだ」
この会議には女王も参加していない。
会議の結果をヴェルーノ卿が女王に上奏し判断を仰ぐのだ。
ヴェルーノ卿は事務的な口調で会議を進行させた。
「亡命先はジェダン=クエーシト同盟」
誰からも反対意見はなかった。
当然だ。東大陸で残る勢力はジェダン=クエーシト同盟しかないのだから。
しかし受けるか?
ギルモアもサンプリオスもバルカの女王が逃げるならここしかないと思うだろう。
ジェダン=クエーシト同盟にしても、バルカの女王を守るためにギルモアとサンプリオスを敵に回すとは思えない。
水面下で交渉を続けてきたのはラシェット軍師、その人だった。
ラシェットはジルディオ同盟ではなくクエーシトを通じてジェダン=クエーシト同盟との交渉を求めた。
ラシェットは交渉の困難さを承知しており、相手をジルディオ同盟と場合、クロフェナをとの交渉できる線も消えてしまう事を避けたのだろう。
シャオルはジルディオ同盟の決定に反することを厭わないかもしれないが、それはシャオルの立場を悪くするだけで亡命者にとっても良い状況とはいえなくなってしまう。
この話題になるとラシェットは珍しく溜息をついていたそうだ。
エルトアがギルモア領となった時点で東大陸の二分化は抗し難い流れになってしまったといえる。
ギルモアによるエルトアとトレヴェントの併合。この動きを早めたのはサンプリオス再統一、つまりサンプリオスの復活だ。
まず、誰もがこれほど早い統一を予想できなかった。一旦分裂した国家は元々別だった国家よりも統合が難しいからだ。
しかし、それをアルエス教が一体化させたのだ。
エルトアの独立さえ保っていたら、再統一したサンプリオスに対抗するためにフォルティニア、ジルキニア、インティニアは協力せざるを得なかったはずだ。
クロフェナは混乱に乗じてラムカン、マバザク、ルチアナ、ゼンティカ、マヤサラを糾合してジルオン連合を組織しただろうし、ギルモアもそれを認めざるを得なかったに違いない。
また、バルナウルの運命も違ったものになっていたはずだ。
【フォルティニア】ギルモア、トレヴェント、エルトア
【インティニア】バルナウル、ジェダン、ラムカン、ジルオン(クロフェナ)
【ジルキニア】バルカ、グリファ、タルキア、クエーシト
3地域10カ国もの大連合が成立していたはずだ。
そうなれば、東西大陸ともに南北2つの勢力がにらみ合い、それぞれが手を組んで落ち着くか、それとも東西大陸を戦場とした大戦乱に発展したか。それは誰にも分からないが、少なくともバルカの滅亡は無かっただろう。
ヴェルーノ卿は会議で一番重要だという口調で次のように付け加えた。
「ジェダン=クエーシト同盟に拒否された場合だが、既にクロフェナのシャオル殿を通じてルチアナに匿ってもらえるよう了承を得ている。これは極秘中の極秘事項だ」
◇*◇*◇*◇*◇
ヴェルーノ卿の上奏の直後、緊急招集がかかった。
「ティエラ女王より直接のお言葉を賜る。直ちに参集すべし」
ヴェルーノ卿を通じてではなく、直接女王から決定方針が示されるというのだ。
会議室に昨日のような緊迫した雰囲気は無かった。
ティエラは何も意見は述べず、大臣達から改めて説明されるバルカ王国の降伏について聞いていた。
後はティエラが「可なり」と言えば良いのだが、ティエラは全く口を開こうとしなかった。
大臣が発言する内容はこれまでのものの繰り返しに過ぎないが、女王が可とするまで大臣達は続けざるを得ないのだ。
半時間も経過した頃だろうか、クラトが静かに口を開いた。
「もう、いいだろう。降伏して亡くなるのは国だけだ。バルカの人間は誰もがバルカなのさ、だから色々な形のバルカがあっても良いじゃないか。ティエラがバルカの主である事は変らないよ。それが国の主なのか、商隊の主なのか、農場の主なのか、はたまた盗賊の主なのか、って、盗賊は無いか。ま、何にせよバルカの人間にティエラは必要なんだよ」
「それでもティエラが死ぬというなら俺が付き合ってやるよ。最後に2人で斬り込んで終わるってのも面白いかもな」
*-*-*-*-*-*
結局ティエラがバルカの降伏と自らの脱出を受け入れたのはその翌日だった。
ティエラの脱出の後はピサノ大臣が最上位者として降伏を申し入れる手はずになっている。他の首脳部は全てバルカを去る。
女王も軍団長も大臣も“バルカを捨てた”という受け入れ難い行為に身を汚して散っていくのだ。
バルカの記憶と精神を消さないために。
◇*◇*◇*◇*◇
豪華な建物の奥、贅を尽くした一室に富豪と呼んで差し支えない商人達が集まっていた。
エルトアが消えて、トレヴェント、グリファが消えた。
そしてバルカも消えてしまった。
ここタルキアにやって来るのはギルモアでもサンプリオスでもないゼリアニアだ。
ゼリアニアとは何だ?
「私は使節団としてゼリアニアを見てきた。少しは役に立てると思う」
一人の商人は静かに話し始めた。
ゼリアニアは一言でいうなら混沌だ。
戦争と平和、富裕と貧困、快楽と労苦、全てがある。
信じられないほど豊かで美しく快楽に満ちている者がいる反面、信じられないほど貧しい者が薄汚れた裏町で日々の生活に汲々としている。
ゼリアニアでは富める者は全てを持ち、貧しい者は命以外は何も持たない。
なぜか。
“彼らが追い求めるものが快楽でしかないからだ”
快楽とは、何かから生み出されるものであって、何かを生み出すものではない。
だから快楽の後には何も残らない。
快楽とは、満足する事がない。
だから快楽は継続させなければならない。
快楽とは、より強いものでなければ満足できない。
だから快楽には金が必要だ。
彼らは何も生み出さない。消費するだけだ。
彼らが生み出すといえば、意味も価値も無いものばかりだ。
しかし、だからこそ、この世の理以外のものだからこそ、彼らは権力と金を持ったのだ。
その彼らとはアルエス教会に他ならない。
私達は商業特区の人間だ。
国家たるプライドなどいらない。商人のプライドがあればいい。
商人のプライドとは金だ。どうやったら金を集められるか考えればいい。
だから国もいらない。
商人に国境などないのだから。いや、金に国境は無いというべきか。
やって来るのはゼリアニアだ。
彼らは力を持っている。だから正義だ。
その通り。
力が正義なのであって、正義が力なのではない。
つまり、正義とは力ある者が決めた正義なのだ。
そして、正義であれば全てが許される。
だから彼らは力を欲しがる。
理念によって得られた正義ではなく、形ばかりの都合が良い正義、力を行使できる正義だ。
使節団としてゼリアニアへ行ったという商人は“分かったな”という目で見渡してから、全く熱の無い笑顔で言った。
彼らを出迎えようではないか。
今では誰も身に着けないタルキアの民族衣装を着てタルキア風の挨拶をして、大げさな笑顔で迎えようじゃないか。
彼らは異国の文化に触れ、熱烈な歓迎を受ければ思うだろう。
何と遠くまで来たものか、何と大きな力持ったものかと。
彼らは自分達が標準と思っているのだ。
彼らは自分達が優れていると思っているのだ。
彼らは自分達が正義だと思っているのだ。
いいじゃないか、使者達が喜ぶようにゼリアニアの言葉で挨拶してやれば。
いいじゃないか、嬉しくてたまらないという笑顔を見せてやれば。
彼らは思うだろう。
何と健気な者共か。それほどまでするなら与えよう、望む権利を。
何と従順な者共か。それほどまでするなら許そう、過酷な運命を。
彼らは言うだろう。
信じ、従い、尽くせ、さすれば救われるだろう。
アルエスの神は慈悲に満ちているのだから。
*-*-*-*-*-*
とあるタルキア商人が捕らえられ2日拷問を受けた後、3日暗闇の中に放置された。
彼はバルカとの交易を通じてその精神に大きく影響を受けた。
ジルキニア戦争後、彼はバルカの先鋭的な反アルエス組織を援助していたのだ。
お前は死後の世界を信じているのか。
信じているならアルエスの神に従え。
信じていないなら残りの人生を楽しみ尽くす為に金を取れ。
どちらにしても、お前はバルカの残党の居場所を言うだけで救われるのだ。
ただそれだけで死後の安息も、人生の快楽も手に入るのだ。
バルカ兵の潜伏先は次々と急襲を受けて壊滅していった。
バルカ兵の潜伏を手引きした男は裏切って地位も金も手に入れた。
気付けば小さいながら行政区の権力者になっていた。
彼は死後の安息を得る為に金を貧しい市民に配って善行に励んだ。
しかし、その金は市民に課せられた過酷な税金だ。
彼が死後のための善行と思っていたのは、単に奪ったものの一部を戻すだけの行為だった。
いつでもそうだ。
正義を主張する者は無駄な事ばかりして何かを生み出す事はない。
彼らの正義とはこの世界から“掠め取るシステム”を正当化するものでしかないからだ。
彼らは周到に自分のためのシステムを築き上げる。
この世の物質という物質はその量が限られているのだ。
この世の生産と消費というサイクルは人間など居ようが居まいが繰り返されてきた、この世の理だ。人間はそのサイクルを大きく、広く、速くしただけだ。
そして権力を持つ者はそのサイクルの中に自分のシステムを築き上げるのだ。
何も生み出さずとも利益を得るシステムを。
実体が無いものに名前をつけ、意味をつくり、人々に売り捌けば、金を得る、権力を得る、そして、それは即ち正義なのだ。