18-11 挟撃
ティエラの右手が上げられ振り下ろされる時、誰もがそれを待っていた。
何の為に?なぜこれほど高揚する?身体は傷つき疲れ果てているのに。
剣を振るい敵を殺すためか。いや、それは単なる行為に過ぎない。
敵軍を打ち払い国を守るためか。いや、それは義務でしかない。
それとも家族や恋人を守るためか。いや、それは愛でしかない。
愛でしかない?
愛とは美しく崇高ではあるが、あまりに脆く不確かなものだ。
生物のそれは種を保つための様々な行為から都合よく抜き出したものに過ぎない。
もっと毅然たるもの。“決して譲れないもの”
クラトはティエラの左、やや後方にいた。
ティエラを中心に左右をラエリアとイオリアが守り、それぞれの分隊が続く。
傾きかけた陽光に照らされた赤騎隊は、これから凱旋式にでも向かうかのように美しく輝いていた。
その光の中にティエラがいた。
全兵士の視線を集めてなお毅然と在るティエラ。
見つめていると輝きが増した。これは愛か忠義か、憧れか崇拝か。
「よく分からんが、大したもんだ。俺もやられちまったのかな」
*-*-*-*-*-*
その時、後方から地響きのような振動を感じた。
振り返った俺はどんな顔をしていただろう。
幸いにも最後尾にはジェルハが居た。
伝達事項は簡潔にして明瞭だ。
「後方より所属不明の軍勢! およそ3個軍団規模!!」
所属不明という事は旗を立てていないという事だが、これだけの軍勢をこの方面から投入できるのはギルモアだけだ。
隠す意味がない旗を立てないのは強行軍であるためだろうが、まだ戦闘態勢にはない事を示していた。
3個軍団規模とは兵力の総数は分からないが、軍勢から3個軍団で組織されている事を意味する。
戦いを考える上で把握すべき重要事項とは、厳密な兵力よりも戦闘組織数なのだ。それに3個軍団なら兵力は少なくとも6,000の戦力といえる。
ジェルハはぞっとしていた。
もしティエラがバルカ城に走っていたら、突撃大隊と分断され各個撃破されていたに違いない。
続いて報告が入る。
「兵力約10,000!」
どう考えても絶望しかなかった。
しかし、ここでバルカ軍に幸運が起こる。
サンプリオスの中央にあってヴェルカノ、インゲニアの精鋭を率いた総長の許へ伝令が駆け込む。
「バルカ軍の後方から砂煙が見えます!」
「なんだと!? 確認しろ!!」
「旗を掲げておりません、兵力は5,000以上と見えます!!」
「ギルモア軍は政府間の協議によって動かないはず、となればバルカの増援か! 追撃戦を中止する! 会戦準備! 陣を構えよ! 後方の丘は確保しておけ!」
バルカ軍が認識したギルモア軍をサンプリオス軍はバルカの援軍だと誤認した。
つまり、ネメグトラインを突破したギルモア軍の動きはギルモア独自のものだったのだ。
その誤認がサンプリオス軍の追撃を止めた。
元々、ギルモアはこの作戦へ2万もの兵力供出を申し出ていたが、サンプリオス政府は兵力の供出を拒否し名目だけの参加を促したのだ。
これはバルカ女王をアルエス教会の裁判へ確実に送るためであるが、軍部にも内密にサンプリオス本国で決定されていた。
このような理由を知る由もないギルモア政府は、この不可解な申し出に対し、自国に有利な内容ではあったものの疑念を抱き、ついには独自に軍を進発させるに至る。
この軍に与えた任務の名目はサンプリオスの申し出を考慮して、大規模な示威行動とされていたが、実際はネディン平原周辺へ急行してバルカ軍を殲滅せよというものだった。
一方のラシェットは、ギルモア軍の動きはサンプリオスとの協同作戦だと考えた。だからカティーナに“ギルモア軍の後方から威嚇せよ”と命じたのだ。
これはつまり“ギルモア軍にバルカ援軍の存在を示して動きを封じよ”という事だった。しかし、カティーナは戦果を求め奇襲を狙った。
もし、カティーナがラシェットの命令どおりに存在を示して威嚇していればギルモアは軍旗を掲げただろうし、サンプリオス軍が追撃を停止する事も無かっただろう。
◇*◇*◇*◇*◇
「サンプリオス軍が停止しました!」
「なんだと? ティエラ! どうする!?」
「サンプリオスはなぜ止まった?」
「分からん」
「追報! サンプリオス軍は陣形を変えています!」
「陣形は!」
「守備的会戦陣形です!」
「ならば進め!」
「何っ!?」
「バルカ城から援軍が出ていよう、ギルモア軍を突破しても追撃を受けるだけだ。南に抜ければギルモアの背後はバルカが取れる。さすれば我等の敵はサンプリオスのみ」
「女王、サンプリオス軍は守備的陣形です、それを抜くのは簡単ではありません」
「時間が無ぇ、ティエラが決めたんだ。やるしかないだろう!」
この時、サンプリオス陣営は守備的な陣形が出来上がりつつあった。
後方の丘に配置した物見の兵から報告が入る。
「バルカ増援軍は約10,000!」
「10,000だと!? ありえん!」
「総長! ギルモアです! ギルモア軍旗が揚がりました!」
ギルモア軍はバルカ軍への攻撃に際し、サンプリオス軍の存在を見て軍旗を掲げたのだ。
「ちっ! 余計な事をしおって! とんだ勘違いをしたわ!」
「追撃戦を再開する!」
「総長! まだ陣形が定まっておりません、兵が混乱するだけです!」
「何を言うか! ギルモアがバルカ軍の後方から迫っているのだ、バルカ女王がギルモアの手に落ちたら面倒だ。我等が独自で行った交渉の内容が漏れる事は避けねばならん!」
「しかし総長!」
「黙れ! もし交渉内容が漏れれば、アルエス教会どころかギルモアとの外交問題に発展しかねんのだぞ! 無理は承知でやれ! 両翼のゼリアニアの兵を前進させろ。それに、バルカとて帰還するためにギルモア軍を突破しようとするだろう」
「バルカとギルモアを接触させてはならん。ギルモア軍には今作戦への関与を拒否する使者を出す。東側から移動したサンプリオス軍から兵1,000を連れて行け、いざとなったら一戦を交える覚悟をしておくよう伝えろ」
「同盟軍に兵を向けますか!?」
「同盟軍だと? あのような姑息な者共など認めん。少なくとも私がいる戦場ではギルモアは同盟軍ではない!・・・それはともかく、バルカはせめて女王を逃がそうとするだろう。できるだけ早く北を固める必要がある」
「承知しました」
「急ぎ伝令を駆けさせろ。間に合わぬかもしれん」
*-*-*-*-*-*
バルカ軍は背腹に敵を受けながら、混乱もせず闘志はますます燃え上がった。
「よーし! 行こうか!!」
クラトの声と共にティエラの右手が上がった。
「者共、バルカの空が見、バルカの大地が聞いていよう、バルカに勝利を誓え!己に流れる血に決して背くな! 我も運命を共にしよう! かかれッ!!」
『おおぉーーー!!』
突撃が開始された。
「バ、バルカが突撃を開始しました!!」
「なにっ!なぜ城に戻ろうとしない!?」
「陣形の変更が間に合いません!」
総長は鋭くバルカ軍の動きを見た。
“中央が厚い”中央突破だ。
しかし突破してどうなる。同じ突破を仕掛けるならバルカ城に近く兵力も少ないギルモアではないのか?
「・・・!!!」
さすがにサンプリオス軍総長はすぐに悟った。
「狙いは我ら本隊だ、サンプリオス軍だけなら陣形は間に合う。防御を固めさせろ!」
「はッ、ゼリアニア勢への指示は」
「今出ている追撃指示のままで良い。それより両翼に回したサンプリオス軍に、ギルモア軍より早くバルカを包囲するよう厳命しろ」
「ははッ」
総長は飛び出して行った伝令を見送ると、騎乗して叫ぶように兵を鼓舞する。
「バルカは連戦と移動で疲れ果てている。バルカ女王を捕らえれば、この戦争は終わりだ!お前達に与えられるのは名誉と褒賞だ!戦勝の英雄となって祖国へ凱旋するぞ!」
『おぉーー!!』
サンプリオス軍は総長直参の師団は勿論、ヴェルカノ軍、インゲニア軍も指揮系統さえ整えば優れた兵士達であるのは、混乱からの立ち直りの早さが証明している。
サンプリオス軍は瞬く間に3段の防御陣を敷いた。
第1段サンプリオス軍、第2段インゲニア軍、第3段ヴェルカノ軍だ。
1段目をサンプリオス軍とした点に総長の覚悟が見て取れた。
総長はヴェルカノ、インゲニア混成軍の戦力化が最重要と考えたのだ。
この局面での主力は兵力からしてヴェルカノ、インゲニアの4,000と考えざるを得ないからだが、先の戦闘で軍団長を失い、バルカ軍に蹂躙された兵士達は恐怖を感じているに違いない。
しかし、彼らは優秀な兵士だ。彼らの軍人魂が燃え上がれば力を発揮するだろう。
その魂に火が点くのはサンプリオス1,000が破られた時だ。
シヴァ師団の長弓で被害は出たものの、1段目のサンプリオス軍は崩れなかった。
そこへルシルヴァ率いる突撃大隊500が突っ込む。
なお崩れないサンプリオス軍を見て、突撃大隊は中隊規模の突撃を開始。徐々にサンプリオス軍の被害は増えるが、まだ耐えていた。
そこへ長弓を撃ち尽くしたシヴァ師団が突撃し、ついにサンプリオス軍は崩れる。
2段目に控えるインゲニア軍はバルカ歩兵に対しても対騎馬用の防御柵を用いた。
あれほど脆かったインゲニア軍は良く耐え、突破力を削がれた突撃大隊とシヴァ師団の側面をサンプリオス遊撃部隊が衝く。
それを見て3段目のヴェルカノ軍は総長を守りつつ、ゆっくりと後退し始めた。
東西から進出したサンプリオス軍が包囲に動く。
クラトは第5軍団を率いて赤騎隊と共にあった。
ティエラの側にいて欲しいと、イオリアとラエリアに懇願されたのだ。
戦況を見ていたティエラの目が鋭く光った。
「クラト、私と共に参れ!」
イオリアとラエリアはスッと下がり、ティエラの隣に場所を空ける。
「いいのか?俺が突っ走っちまっても!」
「何を言う、私がお主に遅れを取るとでも思っておるのか」
ティエラは剣を抜いて天にかざした。
「皆の者! これより敵陣を突破し本隊を殲滅する!我に・・・我らに続けぇ!!」
『ははぁッ!!』
バルカ軍の本隊である赤騎隊と第5軍団がインゲニア軍に突入した。
「目指すは敵の総長ぞ!それ以外は敵も味方も捨て置け!!」
必殺かつ非情な命令にすら何も感じる余裕は無かった。
インゲニア軍と突撃大隊、シヴァ師団の揉み合いを横目にサンプリオス布陣の2段目を突き抜けた。無傷で3段目のヴェルカノ軍に向かった。
ヴェルカノ軍はサンプリオスの遊軍1,000を含めて3,000。
そこへ赤い弾頭の弾丸のように赤騎隊と第5軍団1,500が突入する。
双剣のティエラ、槍のイオリア、刀のラエリア、大剣のクラト、凄まじい突破力は抵抗など全く感じず敵陣を抜いた。
しかし、突破したクラトが目にしたのは、総長の本陣ではなくゼリアニアの大軍だった。
その陣形は守りに撤している。
これはバルカ軍を取り囲んだ壁だ。攻撃せずとも動きを封じる壁なのだ。
その更に外郭からサンプリオス軍が包囲に動く。
「やられたな」
ティエラの周りに各部隊が集結し始めた。
突撃大隊は300ほどに減っていたし、シヴァ師団にいたっては両分隊を併せても500に満たず、なお後方にあってホーカーの長弓隊を守っていた。
バルカ軍においても随一の帰還率を誇るクラト旗下の3,200は、たった一度の突撃でその半数を失っていた。
勿論サンプリオス軍の被害も甚大で、両翼に配したサンプリオスの将校が駆けつけて何とか持ちこたえたのだ。
そこへギルモア軍が迫る。
サンプリオス軍総長の指示が間に合わなかったのか、それともサンプリオス軍の要請を聞き入れなかったのか、ギルモア軍は隊列を組んでバルカ軍の後方へ軍を進めた。
「あれはギルモア軍ではないか! 使者は間に合わなかったか!」
「恐らくはそうでしょう。ギルモア軍が要請を聞き入れないとは考えられません」
「くそっ、こうなればバルカ女王の身柄確保は望まぬ。ただ確実に討ち取れ!!」
この時、サンプリオス側の有効な戦力といえばゼリアニア軍を残すばかりだった。
ヴェルカノ、インゲニアの混成軍はほぼ壊滅状態であったし、東西から迂回したサンプリオス本隊は主力とするには規模が小さすぎた。
「ゼリアニア軍にバルカ女王を討ち取るよう伝令を出せ! バルカの赤い魔女にはバルカ兵幾万もの価値があるだろう。アルエスの神も大いなる祝福を施すに違いない。バルカ女王の首を私の許に持参すれば、総長の名においてその功績を神に証明してやると言え!」
ゼリアニア軍の動きが活発になった。
恐れていた“蹂躙の雨音”こと長弓の矢弾は尽きた。
バルカ軍は半数もの兵力を失い、残った兵も疲労と負傷でまともには戦えまい。
勝てるとなればどこまでも貪欲なのがゼリアニア軍の特徴だ。