18-6 会談
バルカ赤騎隊を3万もの兵力で包囲したサンプリオス軍から訪れた使者は西部方面軍主席軍師だった。
持参した荷馬車には食料と水、そして煌びやかな衣類や宝物が載せられていたが、応対に出たラエリアは水しか受け取らなかった。
荷馬車の御者と護衛は丘の中腹まで下がって待機し、使者である軍師のみが隊員達のマントで仕切られた奥に導かれる。
軍師がティエラ女王を目にするのは勿論初めてだ。
その噂は聞いている。
大陸中に鳴り響く武王ヴェルハントの娘にして軍神バルカの気高く美しき女王、エナルダ覚醒し烈火閃光のごとき騎士。
しかし今は国家の大事。30歳にも満たぬ小娘に何ができよう。
軍師は自分が思いのほか落ち着いている事に驚きながらも満足していた。
応対はラエリアと名乗る美しい女だった。
聞けば赤騎隊の第二分隊長であるという。
これほどの女はそうそう目にする事もなかろうと思われた。
「こちらでお控え願います」
2つ向かい合う床几の1つを示すラエリア。
その立ち振る舞いや言葉から単に外見が美しいだけの女ではないことが分かった。
「あのような娘が戦場に出るのか」
この若く美しい分団長は終戦後どのような運命を辿るのだろうか。自分のものにしたいと密かに思った。
女王直下の騎馬隊の分隊長だ。あの美しさに加えて教養もあるだろうし、気位も高いに違いない。そんな女を自由にするのも悪くない。
西大陸から押し寄せた波に乗った軍師にもはや軍人の矜持はなかった。
その劣情はラエリアの凛とした声に遮られた。
「ご出座」
軍師は、戦いに疲れ戦塵に汚れた女王が気丈に振舞いながらも、兵士と市民、そして王室の安全を保証され安堵する様子を思い描いていた。
自分を勝者と疑わない軍師にとって、まだ見ぬ女王はか弱き少女のごとき存在に過ぎなかった。
しかし、現れたバルカ女王を目にした軍師は言葉を失った。
こ、これは・・・全てを持つ者だ・・・
使者の口上すら忘れた軍師にティエラが口を開く。
「そのほうはサンプリオス西部軍主席軍師と聞いたが」
「は、その通りでございます」
軍師は思わず深く頭を垂れていた。
脳裏にあったラエリアの美しさも、思い描いていた女王のか弱さも消え去った。
「こ、この度は突然なる面会の申し出を快くお受けいただき感謝いたしております。世に名高い女王にお目通りが叶うとは恐悦至極にして・・・」
「よいよい、使者の口上とは形ばかりのもの。ここは忌憚無く論じたい。遠慮は無用じゃ」
「は、恐縮であります」
軍師はバルカ女王が噂以上の人物であると感じた。
自分が狼狽えているのが分かる。何たる事か。
自分を叱咤した。
何をしている。条件を示して、降伏か死かを求めるのみではないか。
私は世界の大きな流れに乗って手に入れるのだ、地位も名声も金も女も。
「女王に置かれましては、この窮地を如何なされますか。バルカの兵士を市民をどのようにお考えでしょうか。戦の慣いであれば、将には死を与えられ、兵士や市民は奴隷に落とされ、まさに塗炭の苦しみを味わうに違いありません」
「・・・」
「されど私は綿々と刻まれたバルカの歴史を惜しみます。またそれを紡いできた兵士と市民、そしてバルカ王室を惜しみます。如何でしょう、ここに携えました書簡をご覧下さい。これには我が軍の最大限の譲歩を条件とした終戦条約の締結について記してあります」
サンプリオス軍師は言葉を続けながら、徐々に力を取り戻した。
我は勝者なり、敗者に温情を与えるのだ。
更に言葉を続ける。しかも自信を取り戻したせいか圧力のつもりで若干の横柄さを見せた。
「ご賢察を持ってご承知頂きたい。これを交渉とはお考えにならないことだ。私が求めるのは可否のみであり、否であれば誰も救う事はできず、何も残す事はできますまい」
黙って書簡に目を通していたティエラがゆっくりと口を開いた。
「我がバルカはギルモアと交戦状態にある」
「は?」
「しかし貴国、サンプリオス王国からは開戦の宣言すら受けてはおらぬ。にもかかわらず終戦条約とは如何なる事か」
思いもよらぬ言葉に軍師は慌てた。
「は・・・、サンプリオス軍はギルモア王国との軍事同盟に基づき、ギルモアと戦闘状態となった貴国に対し、交戦権を行使しております」
「ほぅ、それではサンプリオスはギルモアの属国であると申すか」
「・・・な、何を仰せになりますか」
「これは言葉が過ぎたか、許されよ。しかし、そも交戦権とは国家が持つ権利にして大なるものだ。それを宣言もせず他国の戦いに参じるとは属国の行いに等しいと考えるが」
「そ、それは」
「その辺りはレストルニアの考え方なのかもしれぬな。どんなに辺境の国であろうと、その考え方を否定するつもりはない。先ほどの言葉は戯言と思ってくくれば良い」
サンプリオス軍師は完全にティエラに呑まれていた。
人間の器量としての負けを悟ったからこそ立場や条件で勝とうとする。そして余裕がないから言葉に品が無くなる。よくある事だ。
「私は全権を持つのです。つまり私の判断によって女王、あなたの処遇が決まる」
「ほぉ、これもまたレストルニア風の考え方というものか。戦いとは始めるよりも収める判断が難事であるが、西部軍の軍師がそのような権限を持つとは。それとも宣言も無く始めた戦いゆえ、御身程度の立場で構わぬとでもいうのか」
「立場をお考えになった方が良いのはあなたですぞ、バルカ女王!」
「私の立場は知っておるつもりだが」
「3万もの軍勢に囲まれ、孤立無援の状態にあるお立場をわきまえているとでも?」
ここでティエラはからからと笑った。
軍師は自分が何か大きな間違いを犯しているのではないかと感じた。
しかしそれが何なのか考える余裕は時間の上でも感情の上でも無かった。
「そなたも、せめて総軍主席軍団長とでも名乗っておけば良いものを」
「私の言葉に偽りがあると仰せか」
「何を申すか、この戦いの収め方を真剣に考えた事などなかろう。最初から軽々しい者と思っておった。少しばかり気が利くようだが、腰が据わらぬ男は薄っぺらなだけよな」
「何を言うか!お前達など私が一言号令を掛ければ、打ち倒され、犯され、切り刻まれる存在なのだぞ!」
動こうとしたラエリアをティエラの右手が制した。
「よかろう、では号令を掛けてみよ。その号令とやらはお主がどこまで退き下がったら出すつもりなのか申してみよ」
軍師はもう感情をコントロールできなくなっていた。
「もはやこれまで!後悔するな!」
床几を蹴るように立ち上がると背を向けて歩き出した。
「殺してやる殺してやる殺してやる」
恐ろしい顔で呟きながら騎乗しようとする軍師はラエリアによって引き倒され、旗下の赤騎隊第2分隊に取り押さえられた。
「な、何をするか!使者に狼藉を働くとは、戦場の紀律も知らぬか!」
抵抗するサンプリオス軍師をラエリアが槍の柄で突いた。
「黙れ!我等が女王への無礼や暴言、何が使者か!何が戦場の紀律か!」
腹を突かれて呻いた軍師はティエラの前に引き据えられた。
ラエリアだけではない、他の者もすぐにでも打ち殺そうという目で軍師を睨みつけている。
「な、何をしようというのだ、この私に」
「もう暫くここにいて貰う」
無理やり床几に座らされた軍師を6人の赤い甲冑が槍を構えて囲んだ。
「な、なにを・・・」
6本の槍が振り下ろされた。
「ひっ!」
地面に突き立てられた6本の槍で囲われてしまった軍師は、瞬きもせず見開かれた目を左右に泳がせるしかなかった。
ティエラは笑みすら見せて床几から立ち上がった。
「よし、交渉は決裂じゃ!」