18-2 カンジ
「よぉアジル、久し振りだな」
「クラト隊長、お久しぶりです。あ、軍団長でしたね」
「いいよ隊長で。それより身体の調子はどうだ」
「はい、歩兵では戦えないんで伝令になりました。足首が動かんのです」
「そうか、でも役に立つ場所があるってだけで上等だよ」
「ええ、本当は隊長の下で戦いたいんですけど、これも運命です」
「アジルは俺もびびるくらい勇敢だったよ」
「そんな事は・・・」
アジルという名の伝令は言葉が詰まったようだった。
「そういえばアイシャ殿とエルファ殿がメツェルラインにいらしてますよ」
「なんで2人がメツェルラインにいるんだ?」
「エルファ殿は上空から国境地帯の地形などを調べているようです」
「地形って、今更調べるような事か?」
「これはラシェット軍師からの指示なのですが、地形といっても新たに道路や橋が構築されていないか、森に伐採された形跡はないか、そういった変化を敵が動く前兆として捉えようというのです」
「ほぉ、さすがラシェットだな。そんな事なかなか思いつかないよな」
「えぇ、ただ広い戦線をカバーしなければならないのでエルファ殿は大変らしいですよ。メツェルラインでの滞在は明日までで、次はネメグトラインに移動するそうです」
「頑張ってるな、大変だろうが良い事だ」
「アイシャ殿は女王の護衛となるようですよ」
「それは聞いてる。銀狼隊は苦労していたからな」
銀狼隊を率いていたアイシャは類稀な才能を持ちながら、ついにその才能を戦場に咲かす事は叶わなかった。
ギルモア軍の後方撹乱やエルファと組んで重点地区の偵察を行った頃はまだ良かったが、能力を持たない兵士を率いて暗殺や破壊工作などの任務に就いた頃から本来の夜間戦闘からかけ離れていった。
任務の内容がサバール隊と重複しているうえ、隊員の消耗が余りにも激しく、現在の銀狼隊は活動をほぼ停止していた。
ネメグトラインとアティーレラインを2人で巡った後、バルカ城に戻ればアイシャは配置換えとなる。
女王の護衛への抜擢なので栄転と言っても良いだろうが、アイシャには鬱々とした思いもあるに違いない。
「隊長が近くにいらしたと聞いたら残念がるでしょう。私が突撃大隊に所属していたと知ると、私に隊長の話ばかりするんですよ。私も突撃大隊時代の、といっても誰でも知っているような話や個人的な想いなのですが、そんな話でも嬉しそうに聞いてくれます。本当に良い娘です」
「そりゃそうさ、2人ともバルカの戦士なんだ。帰ったらよろしく伝えてくれよな」
「はい、確かに伝えます」
「じゃ、俺は行くから」
「私も精一杯頑張りますよ」
「頼むぜ。そういえばティエラがメツェルラインを通っただろ?」
「いえ、赤騎隊はお見受けしませんでしたが」
「そんなことは無いぜ、俺達より先に出発したんだ・・・お前がメツェルラインを出たのはいつ頃だ?」
「ちょっと待ってください。バネ時計をセットしてますから・・・四半時間前(約30分)です」
「そりゃおかしいぜ、赤騎隊の移動スピードならお前の出発前に通過しているはずだ」
「しかし、近隣にも敵の動きはありませんでしたが・・・」
訝しげな表情をしていたクラトの目が見開かれた。
「アジル、ついて来い!」
クラトが指笛を吹くとシヴァ師団から伝令1個小隊がクラトの元へ馬を走らせる。
何かを感じたのかアンサルとブレダも駆けつけた。
「ティエラ女王の所在が不明だ。ネディン平原から西に向かったはずだが、四半時間前の時点でメツェルラインを通過していない」
「違うルートをお使いになっているのでは?」
「いや、出発する時に何も言わなかった。ここ数日メツェルラインを通っただろう?何も言わなければメツェルラインという事だ」
「もしそうならメツェルラインに達しないのは解せません。しかし・・・」
「俺達が走り回ってする骨折り損で済むなら御の字だ。ブレダとアンサルは分隊をまとめて集合しろ、強行斥候を出す。ネディン平原からメツェルラインまでの地区に中隊規模で6隊、分隊から3隊づつ選抜しろ」
「はッ、直ちに!」
「伝令!第5軍団と突撃大隊も呼び戻す。個別に動けるようにしろ、第5軍団はジェルハ、突撃大隊はルシルヴァだ」
「はッ!」
クラト配下の第5軍団1,500、突撃大隊700、シヴァ師団1,000、合計3,200が戦場へ取って返すべく動き始めた。
「アジル、お前はメツェルラインに戻ってネディン平原に向けて斥候を出せ、編制は任せる」
「はッ」
「あ、ちょっと待て」
「何かございますか」
「エルファを飛ばせろ、お前達の斥候と同じ経路だ。ティエラを発見したら知らせてくれ、俺はここから真っ直ぐネディン高原へ向かう」
「了解しました!」
アジルが馬を南に向けて走らせた直後にシヴァ師団が到着し、同時に強行斥候隊を出発させる。
わずかな時間をおいて疾駆する突撃大隊と第5軍団が姿を現した。驚くべき対応速度だ。
ルシルヴァとジェルハが部隊に先んじて馬を飛ばしてきた。
「ルシルヴァ、大隊は動けるか?」
「何だって?馬鹿にしてんのかい?」
「よし、俺達はネディン平原に直行してメツェルラインを目指す、ルシルヴァはメツェルラインとの中間点に急行してくれ。第5軍団は少し間を開けてルシルヴァの後を追え」
「はいッ」ジェルハは短く答えると接近中の第5軍団に戻って行った。
自分も戻ろうとするルシルヴァをクラトが呼ぶ。
「ルシルヴァ!」
「なんだい!?」
「頼むぜ」
「・・・は?当たり前だろ、任せときなって!」
ルシルヴァの赤い髪が風になびいた。
一瞬、ほんの一瞬、クラトとルシルヴァの瞳が映し鏡のように見つめ合った。
ルシルヴァは目を逸らすと、悲しいような微笑を見せて言った。
「大丈夫だクラト、何があっても女王は守る」
クラトは目を逸らさなかった。
「頼むぜ」
クラトの視線から逃げるようにルシルヴァは馬を走らせた。
赤い髪が流れるようになびく。
乾いた空気のせいだろうか、風が目にしみた。
◇*◇*◇*◇*◇
ネディン平原の東にある小さな丘の上、鮮やかな赤い甲冑の騎馬隊が警戒態勢にあった。
「我等が退路を切り開きますゆえ、どうか御退き下さいませ」
「イオリア、この丘を囲むのはゼリアニア兵よな」
「は、いかにも」
「ここで私の首を打て」
「な、何を仰せになります!」
「我はバルカ女王ティエラ・パーセル・バルカなのだ、この命を敵に利用させたくない」
「私にそのような事を御命じになられますか」
「良いから聞け。私の首を打ったら、私の身体をマントに包んで焼いてくれ」
「なっ・・・」
「これは女王としてではなく、一人の女としての願いだ」
イオリアは声も出せず俯いた。俯いたまま目は大きく見開かれ、奥歯が折れんばかりに噛み締めて耐えた。
「ラエリアはおるか」
「はッ、ここに居ります」
「その方らは長く私に仕えてくれたな」
「滅相もございません。よき姫、よき君主にお仕えできて幸せでありました。ですからどうか首を打てなどとは御命じくださいませぬよう」
「物事にはな、必ず始まりと終わりがあるのだ。その点において、私という存在の命が消えるのは、小鳥の雛が巣から落ちて朽ちるのと大差ない。しかし最後まで共に戦ってくれた赤騎隊の者どもを思うと心が痛むのだ」
「なんの、この期に及んで 狼狽える者など赤騎隊には居りません。女王一人で行かせはしません。われ等も殉じる覚悟でありますゆえ、この願いだけはお聞き入れ下さい」
そんなやり取りの中、丘を囲んだ敵兵がゆっくりと前進を開始した。
いよいよ最後の戦いが始まろうとしている。
その甲冑と唇を真紅に染め、戦場を切り裂く騎馬隊。
バルカの赤い槍と呼ばれた赤騎隊が組織されたのは、10年以上前、ティエラが13歳の時であった。
ティエラの戦場には常に騎馬隊があった。
ティエラの戦果は常に赤騎隊と共にあった。
そして今、戦場の運命が求めるのは赤騎隊の破滅か、ティエラの命か。
ティエラの前に控えるイオリアとラエリア。
イオリアの肩当には黒いラインが1本、ラエリアには2本入っている。これは第1分隊、第2分隊を示す。
赤い甲冑に黒のラインが目に沁みるように映える。
北の戦乱後の事ではあるが、ティエラは突撃用兜に一言だけ言葉を書く事を隊員に許していた。
中には恋人の名前を記す者がいて、イオリアは小言を言ったものだが、ジルキニア戦争が始まると何も言わなくなった。
赤い突撃兜に書かれた黒い文字は肩当のラインと同じく映えていた。
イオリアは“人生如槍”であったし、ラエリアは“抱刀散華”となかなか勇ましい。
これはクラトが生まれた世界の文字だという。
クラトの世界の文字“カンジ”に無骨なイメージがあるといって、ティエラが珍しくねだって書いてもらったのが“旋風”だ。
しかし、ティエラは“カンジ”を書くクラトがあまりに寂しそうに見えたので禁止してしまった。クラトにそのような感情はなかったのかもしれないが、ティエラは何かを感じたのだろう。
ともあれティエラの命によって、兜に刻まれた“カンジ”は赤騎隊の3人だけのものとなってしまったのだ。
そんな事を思い出した直後、ティエラの脳裏は絶望という言葉で満たされた。
女王として死ぬ時に。
幾多もの命を道連れに消えていくこの時に。
あの男を思い出してしまった。
“何たる不覚”
しかし、それは新たな光を思い出させた。
私の意識が途絶えようと、バルカの精神は残る。
私の命が絶たれようと、この血は受け継がれる。
そうだ。
一つの幸運が千の不運を覆すように、一日の幸せが千日の苦痛を癒すように、私は女王としても女としても幸せであった。運命を共にする隊員に申し訳ないくらいだ。
「よし全員下馬せよ、ここに集まるがよい」
赤騎隊、数えてみれば43騎を残すのみだ。
隊員達は馬を降り、ここまで駆けてくれた戦友に感謝の言葉を述べ、首を撫でた。
馬は立ち去るでもなく、健気にも主人の乗馬を待っている。
ティエラが整列した隊員を見渡すように視線を送った。
誰一人の視線も揺れたりはしない。
その身体は背をつぃと伸ばし顎が引かれている。
ティエラは美しいと思った。
白い鎧下に赤い甲冑、白い肌に赤い唇。
「その方らには今さら感謝の言葉すら思いつかぬ。ただ、女王である前に赤騎隊を率いて戦う時が最も私らしくあったと思う。その方らは出会った時から今、そしてこの先も私の誇りだ」
「泣くなよ、泣くではないぞ。お主らは美しい。惚れ惚れするほどにな。恥ずかしながら今になって知り得たのだ。決して穢れぬ、決して侵されぬ、そういった美しさがある事を」
「まだ、少しの時はあろう。各々、想いもあるだろうが、ここに来て無様はすまいぞ。それぞれ良い始末をせい」
『ははッ!!』
その時大笛が聞こえた。ゼリアニアの大笛だ。