17-10 氷の旅団
サンプリオス軍は正規兵ながら簡単に崩れた。
情報によると、今回の主力は武装中立国だったローヴェ王国の精鋭、第3軍団だという。
彼らの装備は噂以上に華麗かつ優れたものだった。しかしそれを活かす事も無く、醜く潰走してしまった。
ローヴェ第3軍団は何か決定的なものが劣っていたのだ。
赤騎隊とシヴァ師団、更には突撃大隊が敵の最後部を叩く。
側面から分断して殲滅する手もあるが、いかんせん兵力が足りないうえ、敵が開き直った場合の損失を考慮し、包囲戦には移行しなかった。
恐怖にとり憑かれた敵には逃げれば助かるという望みを持たせておくに限る。そうすれば反撃など考えず逃げ惑うはずだ。
「ティエラ!そろそろ潮時だぜ!」
「よし、退け!!」
苛烈な攻撃を見せた赤騎隊の撤退は華麗であった。
その両翼を護るかのようにシヴァ師団が付き従い、第5軍団が続く。殿は突撃大隊だ。
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城に戻って戦果報告を受けるティエラは上機嫌だった。
「南部、南西部は苦戦をしているようだが、ジュノが到着すれば戦線も維持できよう。まだまだバルカは戦えるぞ。いずれレガーノがグリファの援軍と共に敵の背後を突くであろうしな」
グリファの援軍?
ラシェットを始め大臣達は困惑の表情を浮かべた。
グリファは南北に分かれて内戦中ではないか。しかも親バルカ派の北軍はベルサ郷に追い込まれている。
最近のティエラは時として現実離れした事を口にする。
そのグリファ戦線だが、南部と西部の戦線すら維持できない状態にあるバルカにとって、グリファは東部戦線の生命線だ。
しかし、グリファの緒戦における消極的な対応が国内の反体制派、南軍の決起を生んだ。
この南軍とはサンプリオス派、即ちアルエス教信者の勢力であり、サンプリオスからの援助によって兵力・物資共に北軍を凌駕している。
しかし、意外にも北軍は北部に撤退した後も優勢な南軍と互角以上の戦いを展開していた。これは北軍がグリファの中でも剛勇をもって鳴る旧ルーフェンの軍人で占められていた事もあるが、北部はジルディオ山脈を聖なる山とする信仰が根強く、アルエス教を掲げる南軍に非協力的な地域であった事も強く影響しているだろう。
北軍の粘り強さは、クエーシトがエナルダ部隊を派遣していると噂されるほどであったが、援軍にサンプリオスやゼリアニアの軍が投入されるようになると膠着した戦線は一気に崩れ、北軍の一部はバルカ北部の要塞都市カペリアに逃げ込んだ。
追い込まれたグリファ北軍がバルカ側に拠った為、ベルサ郷の東、つまり海岸線はサンプリオスとギルモアから派遣された部隊を含む南軍が制圧し、クエーシト国境まで軍を進めた。
このタイミングでクエーシトが動く。
まず、ジルキニア戦争への不参加を表明。そして、グリファ進駐のサンプリオス軍に対し、クエーシト国境より50ファロ(約20km)の非武装化を要求したのだ。
これに対しサンプリオスは回答すらしなかった。
なぜなら、バルカとグリファ北軍を滅ぼした後は、軍をクエーシトに向ける事が内定していたからだ。
それはサンプリオス本国の意向とギルモアとの領土交渉によって決定されたものだ。
サンプリオス本国はゼリアニアへ兵士供与の見返りとして莫大な資金を必要としているうえ、国内に遠征の成果を示す必要があった。それに見合うものとしてタルキアの全域領有を強く求めていたのだ。
一方のギルモアはバルカに加えタルキアの北部(タルキア街道とレジーナ街道が交差する地域)の領有を望んだ。
交渉の結果、ギルモアのクエーシト領有を条件として、サンプリオスはタルキア全域領有するとの内容でまとまった。
投入された戦力や物資を考慮すれば、サンプリオスが大きく譲歩したように思えるが、サンプリオスは再建国されたばかり、本国の求心力が不十分なうえ、総合的な国力ではギルモアに及ばないのが実情なのだ。
それ故にサンプリオスの戦略は東大陸をギルモアと二分して安定を図り、ゼリアニアとの関係を保って国力増大、特に海軍力の拡充に努める事とされていた。
このギルモア、サンプリオスによるクエーシト侵攻作戦が必要となった原因はグリファの処遇にあった。
ジルキニア戦争が勃発前、サンプリオスはバルカはともかくとしてもグリファは簡単に降伏すると考えていたが、地の利を活かしたグリファの抵抗は激しく、攻め込んでは撃退される事を繰り返した。
これはタルキア傭兵の質が低かった事と、サンプリオス軍の主力であったインゲニア軍が実戦に慣れていなかった事によるが、グリファ軍が北の戦乱後、積極的に行った軍事改革が有効であった事を示している。
そういったグリファ戦線の思わぬ苦戦に加え、対バルカ戦線においては戦線が維持できないほどの被害が出ており、サンプリオス軍首脳を震撼せしめた。
何しろ緒戦のバルカ戦線だけで36,000もの兵力を喪失し、グリファ戦線でも10,000からの兵力を損失しているのだ。
ゼリアニア兵は簡単に補充されたが、胸が悪くなるほど簡単に失われていった。これによって“ジーク同盟強し”の印象が更に強調されたといえる。
サンプリオスとギルモアはグリファの取り崩しを画策。
グリファ国内のアルエス教勢力を支援して内乱を起こさせ、グリファを無力化、バルカを孤立させる作戦に出た。
この作戦は成功したが、グリファ南軍がジルキニア戦争においてサンプリオス、ギルモア側に立つ見返りとしてグリファ王国の継承勢力としての承認を与えたのだった。
つまりクエーシト侵攻はグリファ王国存続に端を発した、タルキア北部の帰属問題に対する解決策として計画されたのである。
セシウスがいれば、“クエーシトの領有とその為の被害はつり合うか?”と忠告しただろうし、イグナスならば“土足でグリファに入りながら些細や約束のために何も盗らないとは呆れた泥棒だ”とでも苦々しく語っただろう。そのセシウスはエルトアへ、イグナスはブレシアに派遣されている。
勿論、グリファ占領の話が無かった訳ではないが、承認を反故にするなら武力を持って占領するしかなかった。
それに対してサンプリオスから反対意見がでたのだ。それはゼリアニア、ザレヴィアにあるアルエス教会の教皇の意向だという。
「もしアルエス教勢力として認知されたグリファ南軍に攻撃が加えられるようであれば、今後の援助は行わないだけでなくゼリアニアはグリファ保全のための行動をする」
こう言われてはギルモアも認めざるを得なかった。
しかし、クエーシトの通告から数日後、グリファ南軍の指揮本部が壊滅したという情報が入る。
グリファ南軍は勝ち戦にのってベルサ郷の東に駐屯していた。
彼らはサンプリオス軍から、グリファの独立はクエーシトの占領が条件とされており、それならばと、クエーシト国境近くに陣を張っていたのだ。
グリファ北軍を追い出した後はクエーシトに侵攻するつもりだったのだろうが、北軍を東へ追い詰め、南には友軍のサンプリオスが展開しているという安心感がグリファ南軍の油断となった。
愚かな攻撃者とは攻める相手から攻められる事を考慮しないものなのだ。
数日前まで敵地だった土地に指揮本部を構えるには余りにも緊張感に欠けていたといえる。
正体不明の武装勢力に襲撃された師団規模の本部がほぼ壊滅。本部の西に展開していた2個軍団が気付いた時には全てが終わっていた。
グリファ南軍の主要な将軍や要人、有力者は全員が死亡した。むしろそれが目的だったのではないかと思わせるほど、殺戮は徹底していた。
襲撃の一部始終はギルモアとサンプリオスからグリファ南軍に参謀として派遣された将校によって両国に伝えられた。
捕らわれた将校は、武装勢力の要求と警告をギルモアとサンプリオスに伝える事を条件に開放されたのだ。
襲撃した軍は“氷の旅団”を名乗り、サンプリオスがグリファを制圧後、グリファ北部50ファロの非武装化を要求。もし要求が受け入れられない場合、50人の軍団が破壊活動を行うとも忠告していた。
また、この襲撃が100人足らずの戦力で行われた事も告げられた。
両国の将校は捕らえられた動揺もあって言葉の意味が理解できなかったが、氷の旅団の要求は、先のクエーシトの要求と同じものであり、氷の旅団の中核はクエーシトの強力なエナルダ部隊と見るべきだった。
それならば50人の軍団というのも、軍団規模の戦力を持つエナルダ部隊という意味に理解できる。
開放される直前、武装勢力のリーダーはこう言って笑ったという。
「我々の襲撃でグリファで政治をやろうという人間は消滅した。空白の地図をどうするかはお前達が決めれば良い」
南軍の上層部が殺し尽くされた事でグリファ内戦の勝者は消滅した。つまりグリファ王国はその領土を治める者が不在という事であり、サンプリオスとグリファはグリファ南軍の勢力の扱いを考慮する必要も無くなった。それはクエーシトに侵攻する1つの理由が消えた事を意味していた。
この氷の旅団の襲撃はギルモア・サンプリオスに遺恨を残さない示威行為であると共に、両国のクエーシト侵攻の原因であろうグリファ領有問題をも解決していた。
この襲撃がそこまで意図して行われたというのだろうか。だとすれば単なる武装勢力ではあるまい。
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このグリファ南軍本部に対する襲撃事件は北軍が用意周到に準備した反攻作戦として処理された。
ギルモアとサンプリオスは協議を行い、クエーシトの要求に沿う事で一致。
クエーシトの要求は無視したまま、ジルキニア戦争の拡大防止を目的としてクエーシト国境に非武装地帯を設ける事が宣言された。
非武装地帯はもちろん国境から50ファロだ。
クエーシトからすれば苦笑いせずにはおれない両国の宣言だが、目的は達成された。
ジルディオ同盟がバルカ、グリファのジーク同盟と共闘しなかったのはなぜかという声もあるが、クエーシトにしてみればギリギリの選択だったといえる。
ジルキニア戦争によるギルモアとサンプリオスの損害、クエーシトという国の価値、クエーシトのエナルダ戦力、ジルディオ同盟とマバザク、全てを熟考した結果としてクエーシトの存続はこの選択しかないという判断だ。
もちろんクエーシトの生き残り戦略はジルディオ同盟の存続に直結する。デュロン・シェラーダンとシャゼル・リオンの間で話し合いが行われたのは間違いないだろう。