17-3 恐怖
南、西、2方向から侵入した敵軍、そして北西に構えるイグナス。
ラシェットの策はイグナスに対してレガーノで備えるというものだったが、ティエラより異論が出た。
女王としてティエラの発言は重く、会議の流れはレガーノを南部へ送る意見に傾く。
しかし軍師は作戦立案において最高責任者である。
女王はそれを可とするか不可とするかのみだ。
ラシェットはテーブルに肘をついた手を組んで目を閉じた。
勿論ティエラ女王の意向もあるが、会議室の雰囲気は大方レガーノを南部へ派遣する方向へ傾いている。
作戦の立案は軍師の権限とはいえ、会議の意見をないがしろには出来ない。
ふと視線を感じた。
視線を上げるとジュノがじっと見つめている。
その目が小さく瞬き、決断を促した。
“やりましょう”
ジュノの視線は頷いていた。
“戦においては、武人より軍人であらんとす。軍人は命に従うのみ”
ラシェットも小さく頷いた。
姿勢を正し、参加者を見渡したラシェットが改めて作戦を示す。
「ネメグト丘陵南方の敵にはクラト軍団長4,000。参謀としてジェルハをつけます」
「バルゴー高地の敵40,000にはアヴァン軍団長とランクス軍団長の合計7,000。これに機械化部隊を同行させます」
「バルカ本城の守りはジュノ軍団長3,000と女王護衛に赤騎隊。ジュノ軍団長には徴兵と編制を行ってもらいます」
「レガーノ元帥には3,000を率いてアティーレを牽制すべく、ネメグト丘陵北部へ、アジャンの高機動隊を連れて行ってください」
ラシェットは強い口調で付け加えた。
「アティーレのイグナスは動かないかもしれません。しかし動いた時、行き先はバルカ城とは限りません。もしジレイト街道を利用してカペリアを急襲されたらバルカは完全に包囲されてしまいます」
これにはレガーノやヴェルーノもはっとしたようだが、ティエラは不満げに唇を強く結んだ。
会議の参加者は誰一人として身じろぎもしない。
重苦しい沈黙をクラトが破った。
「って事は俺の相手はギルモア本国軍か、あいつらにはちっとばかり借りがある。ちょうどいい、きっちり返してやるぜ」
ティエラが呆れたように笑った。
「何を言うか、お主の貸しの方がとてつもなく大きいはずじゃ」
「それはそうだ」レガーノやヴェルーノも笑い出した。
意見の相違、それは対立だ。
クラトの存在が、その空気を一気にかき混ぜ一体化させた。
“やはり不思議な力をお持ちだ”
ラシェットはクラトに小さく一礼した。
「女王、ご判断を」
「よし、決まりじゃ。“軍師は慎重である事に金の価値がある”という諺もあるからの」
「はっ、ありがとうございます」
ラシェットは恒例となっている軍師の締めの言葉を力強く言い放った。
「各々、命に服し力の限り戦え、その一挙手一投足をバルカの空が大地が見ているだろう。いざ行けッ!」
『はッ!』
◇*◇*◇*◇*◇
南西2方面からの侵攻を受けたバルカは直ちに防衛戦を展開。
南にはアヴァン、ランクスの2個軍団、西にはクラトの1個軍団が派遣された。
クラトの後方にはレガーノ元帥旗下の1個師団を投入し、後詰と陣地設営にあたらせた。
ラシェットはバルカ本城からメツェル支城に移り、1個軍団をメツェル支城の南方に展開させた。
バルカ本城の防衛には赤騎隊とジュノの第3軍団を残している。ジュノは防衛任務の他、ヴェルーノ卿と協力して新たな軍団の編制にあたっている。
サバール隊は南部をサイモス、西部をキキラサがそれぞれ担当する。
しかし、サバール隊を正式にバルカ軍に加える際、所属と管理者が問題となった。
すでに防衛線は展開されており、各軍団長の出席の無い会議は紛糾した。
ここまで黙っていたティエラがついに口を開く。
「サイモスとキキラサをここへ」
「女王、まだ所属が何も決まっては・・・」
「よいから連れて参れ!」
「はっ!」
サイモスとキキラサを前に女王は言った。
「その方ら、バルカに命を預けよ、バルカはお前達に戦場と生きる理由を与えよう」
「配属は我の直下とするが、運用はヴェルーノ卿を王直府大臣として一任し、後任にはピサノを充てる」
サイモスとキキラサは少なからず驚いた。
形式上とはいえサバール隊はいきなり女王の直下部隊となり、しかも国家において最も重要とされる内務府大臣まで動かしてしまうとは・・・。
“俺をどうするつもりか”
サイモスには少なからずこのような気持ちがあった。
しかしそれはひねくれた子供のような感情だと気付いた。
いつも新兵にベテラン兵が言っている。
“剣を恐れていては剣は使いこなせない”
ティエラはサイモスもキキラサも恐れはしなかった。
大きなものを背負っている人間、大きなものが見えている人間に恐れは無い。
ティエラは“どうか”とは聞かなかった。ただ命じ求めた。
サイモスもキキラサもそのような人間を求めているのだ。
人間の居場所とは求める場所と同時に求められる場所でもあるのだ。
この時より、サイモスとキキラサはティエラに心から臣従する事となる。
*-*-*-*-*-*
ラシェットがグリファに送っていた密使が戻った。
グリファから3個軍団程度の援軍を得て、パレント南部防衛およびタルキア街道の封鎖を行い、パレントの3個軍団をバルゴー高原の東に展開させる事で、アヴァンとランクスの2個軍団をメツェル湖を中心とした遊軍として稼動させる計画だったのだ。
しかし、密使の報告ではグリファ国内はまとまりを欠き、援軍に消極的だという。グリファ南西部の防衛を強化しなければならないというのがその理由だ。
クロフェナにもベルファーを同行させた密使を送っていたが、この密使が帰ってくる事はなかった。
ギルモア本国がブレシアに内乱の兆しありとしてバルカ侵攻と同時にクロフェナ城を急襲、シャオルはミューレイ、リョウカに守られてラムカンに亡命、ジルオン派は壊滅的な損害を蒙り、ブレシア国内のクロフェナ勢力は一掃されてしまったのだ。
あまりに早いギルモアの動きにメツェル支城に到着したラシェットは唇を噛んだ。
「速い。しかも徹底している。セシウスは主席軍師を外れたと聞いていたが、一体誰が・・・」
クロフェナ派の壊滅はイグナスの背後を脅かす手段を失った事を意味する。
ギルモアはラムカンに圧力をかけ、クロフェナ派を引き渡すよう迫ったものの、インティニアにおけるギルモアの勢力拡大を防ぐため、ジェダンとクエーシトが正式に同盟を宣言、ラムカンとも軍事同盟を締結する。
この3国同盟は『ジルディオ同盟』を名乗り、ラムカン南部とクエーシト西部に兵力を展開する。
ジェダンの神聖騎兵団、クエーシトのオロフォス隊、飛行大隊、更には特別遊撃隊をも復活させてエナルダ部隊を前面に配置。
しかもクエーシトの軍師はあのデュロン・シェラーダン、北の戦乱アティーレ城攻防戦でギルモア軍を壊滅させた男である。
このジルディオ同盟の動きは、ギルモア最強と謳われたイグナスとラティカ軍団を釘付けにした。
「飛行大隊に特別遊撃隊だと!?」
イグナスは吐き捨てた。
ギルモア軍元帥の代理として会議に出席している参謀は慌てたように言い返す。
「クエーシトのエナルダ部隊は戦力が削減されたオロフォス隊だ。あんなものは虚仮威しに過ぎん」
「偵察隊からの報告では戦死したはずのジャナオンが特別遊撃隊を率いて前面に出ているそうだ。ルヴォーグとセシリアのオロフォス隊、グラシスとイーネスの飛行大隊も確認済みだ」
イグナスの態度はいつになく不遜だった。
最近、気に入らない事が多すぎる。
サンプリオスとの謀略、エルトア・トレヴェントの併合、全てはバランスを乱す作戦ばかりだ。
クロフェナの急襲作戦からも外された。
マバザクなど北方部族には手もつけない中途半端な戦略で憂いを残したのも気に入らない。
バルナウル侵攻作戦も検討されているらしいが、その作戦からも外されるだろう。
まったく馬鹿げた話だ。
我がギルモアは大国にも関わらず上手く立ち回って利を得ようとしている。
サンプリオスを動かし、ゼリアニアを利用したつもりだろうが、奴らの前に置かれた獲物を身を屈めて拾っているだけではないか。
インティニアなどひと呑みにできるなどと考えていたのだろう。
こともあろうかセシウスをエルトアに飛ばして新たな軍師に貴族の若造を据えた。
士官学校では優秀な成績だったらしいが、それで軍師が務まるくらいなら誰も苦労などしない。
無責任な連中と奴らに祭り上げられた若造が国策を弄り回した結果、サンプリオスという旧来の大敵を復活させてしまった。
それにサンプリオスに勢力を広げているアルエス教も気になる。
ギルモアも本国を中心に信者を増やしているらしい。
軍人として宗教に口を出すつもりはないが、宗教が戦に口を出されては困る。
それがゼリアニアの戦場はどうだ。
国旗でも軍団旗でもなく、教会の旗を掲げて戦っているというではないか。
「とにかくあのエナルダ部隊は本物だ」
じろりと軍師に視線を向けると、軍師は唸った。
「なんという・・・」
イグナスの怒りはますます燃えさかった。
この軍師は何も策がない。だから黙っているのだ。
俺に睨まれても何も言える事がない。だから今更に驚いて見せるのだ。
思わず声が大きくなる。
「クエーシトに謀られたのだよ!」
「く・・・」
「この様子では、あのジョシュの生存も疑わねばならん」
「まさか?」
「まさかだと?あの国境に現れたエナルダ部隊は“まさか”ではないのか?ましてや研究成果というものは書類や人の頭に納めて簡単に移動できる」
「しかし研究施設は移動できません。クエーシト領内にエナル研究施設は存在しなかった。これは最も徹底して調査しています」
イグナスは目の前が暗くなった。
「クエーシトはジェダンと同盟を宣言したのだぞ!その関係が突然始まったはずもなかろうが!」
イグナスは対バルカ戦の切り札どころか、北と東に備えねばならなくなった。
“全てはバルカ戦のために”
耐えてきたイグナスは持ち前の冷静ささえ欠いていた。
そこへ次の急使が飛びこんできた。
ジェダン=クエーシト同盟はバルカ、グリファと不可侵条約を締結、バルカ、グリファ地区への不参戦を宣言したという。中立条約ではなく不可侵条約としたところにジェダン=クエーシト同盟の強い意思が現れている。
しかし、これはどちらかといえば中途半端な対処であり、それだけこの戦いの趨勢が微妙だと判断したのだろう。
「イグナス将軍、ジェダン=クエーシト同盟への対応として本国へ増援を依頼しましょう」
若い軍師の言葉はやや上ずっていた。
「私が手配をして差上げます。ジルキニア戦争の只中ではありますが、私が指示すれば・・・」
「いらん。それより南部に兵を回せ。俺が動けないとなればカペリアの戦力も南部に回すはずだ」
「しかし、南部はサンプリオスとゼリアニアの兵団が・・・」
「若造、いい加減にしろ!お前はとんだお人好しだ!報告も同盟国も信じるな!それにギルモア軍無くして切り取った領土を、どうやってギルモア領だと主張するつもりだ!」
イグナスは怒りに任せて元帥参謀と軍師をやり込めた。
会議の後、親しい者から詫びの書簡を送るよう促されたが、どうしても書く気にはならなかった。
しかしイグナスの丁重な詫び状が進物をつけて元帥参謀と軍師に送られた。それはラティカ軍団の副長が送ったのだという。
それを聞いたイグナスは怒りも感謝もしなかったが、進物の費用を私費から軍団会計に返納したという事だ。