17-2 ジルキニア戦争
後にジルキニア戦争と名付けられたこの戦いは、バルカとグリファのみが戦場でありながら、その参加国が広範囲に及び、大陸の歴史において大きな転換点となった。
この戦いの火種は、今から4年ほど時を遡った、ギルモアによるエルトア併合とサンプリオスの再統一にあった。
本来であれば、ギルモアは戦争に訴えてもサンプリオスの再統一を食い止めなければならないはずだった。
もしギルモアがサンプリオスの再統一に反対して軍を起こせば、グリファやタルキア、トレヴェント、そしてバルカまでもが、ギルモアに協力したに違いない。
サンプリオスは生活習慣や宗教などの違いにより、フォルティニアやジルキニアとは決して相容れず、有史以来対立関係にあった。
東大陸は南北に分かれ、それぞれに力を持った国が、またはそれぞれが連合をして争ってきただけにサンプリオスの統一は混乱の元凶と考えられていた。
まだ記憶に残る“大陸の炎上”の再来を誰もが怖れていたのだ。
しかしギルモアは動かなかった。
サンプリオス統一の翌年、つまり今から3年前に両国の間にあったトレヴェントがギルモアに帰順。
独立して2年、南北を強大国で挟まれたトレヴェントとしては、苦渋の選択だったと言える。
それに対しバルカ、バルナウル、クロフェナなど周辺の国家や勢力は何もできなかった。
これはゼリアニア蛮族戦争で膠着状態に陥ったバルナウルが積極的に動けず足並みが揃わなかった事もあるが、すでに再統一を果たしたサンプリオスに対して戦力の温存を図った事などより大きく作用したといえる。
そして同年、タルキアが商業特区および中立宣言を行った。
商業特区とは経済活動において重要な地区の非軍事化を目的としたもので、バルナウルの首都ブレイザクの西方にある商業都市ノア・バラゼナ(ゼリアニアの言葉で“新しいブレイザク”の意味)も商業特区宣言されている。
しかしタルキアの宣言は国全体を商業特区にするという前代未聞の内容であった。
それは周辺国家を驚かせるに十分なものだったが、同時に行われた中立宣言を非武装中立としている点がタルキアの本意だったのだ。
“非武装中立”など幻想に過ぎない。
それは真剣に国家の在りかたを考える者からすれば、あまりに“幼稚で無責任”であり、ある意味では国家という存在を否定する“図々しい愚か者”の発想に過ぎない。
どの世界に血を流す努力もせずに得られる平和があろうか。
どの世界に戦わずして保てる誇りがあろうか。
軍事力を全く持たない中立など成り立たず、他国との軍事同盟に頼る他ないだろう。
そして商業特区宣言と合わせて考えれば答えは簡単だ。
事実上の身売りである。
タルキアは元よりそのつもりだろうし、周辺国家もその通り受け取った。
タルキアは宣言の直後、ギルモアとサンプリオスとの安全保障条約を締結した。
北部をギルモア、南部をサンプリオスとして分割管理されるのだが、これは前述のように事実上の併合である。
全ての国家は認識した。“出来レース”である事を。
無節操な戦略ではあっても、余りにスピーディな展開に周辺の国家はついて行くことが出来なかった。
なお、タルキアの消滅に伴いクエーシト管理機構は解体される事となった。
議長国であるタルキアに残された記録ではクエーシトの管理状態はすこぶる良好で、条約の内容は完璧に履行されており、特にエナル研究については一切行われていないとされていた。これは管理機構の参加国も派遣した職員から報告を受けて承知している内容だ。
これはクエーシトは完全に無害な国家であると認定されたも同然だった。
戦力は国内の治安を維持するのに精一杯、唯一頼みの綱としたエナル研究も人員・資料・施設、全ての面で消滅してしまっている。
そんなクエーシトでも、北はジルディオ山脈、大陸の東海岸に面しており、戦略的価値はそれなりに存在する。
ギルモアがタルキアから議長権の委任を受けたとして、クエーシトの管理委任国である旨を主張したが、さすがにそこまではサンプリオスの同意を得てはいなかったようで、サンプリオスを含む諸国の反対により、クエーシトは再び独立国家として成立する事になった。
ただし、ギルモアの主張で発足した“クエーシト友好協力機構”によって、半年に1回は監査を受ける事とされた。
ギルモアのクエーシト併合が阻止され、クエーシトの監視体制も継続される事に胸をなで下ろした国々は、ここで気付いた。
2大国家が存在する世界は小国の主張は無意味だという事に。
2大国家は相互の承認さえ得れば良い、小国などに気を使う必要はないのだと。
バルカは戦略の変更を強いられたものの、同様の危惧を抱くグリファとの同盟はより強固なものとなっており、水面下では非公式ながらクエーシトとの不可侵条約も締結されていた。これには潜在的なジェダンとの協力が含まれているのは当然事だ。
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ジルキニア戦争勃発前のバルカの基本的な防衛戦略は西方と北方に対するものだった。
特にイグナスのアティーレ特別行政区はバルカ本城に近く、ジレイト街道を利用すれば多彩な攻撃が可能となる。
トレヴェント独立戦争やガンファー動乱で勇名を馳せたラティカ軍団に対し、ラシェットはバルカ通常兵力の半数を充てる考えだった。
総指揮はレガーノ元帥、ランクス指揮下の特装隊からアジャン率いる高機動隊を編入する。
イグナスが有効に運用しているロングボウガン隊に対抗するため、同じロングボウガンでも機動力を有した高機動隊で対抗しようというのだ。
クラトはギルモア本国とトレヴェント双方に睨みを利かすネメグト丘陵の南部に置く。
突撃大隊の恐ろしさを最も知っているのはギルモア本国軍とクエーシト戦線で共に戦ったトレヴェント軍だ。
しかも異人の隊長が率いるのは軍団規模だ。勝利するにしてもどれだけの被害が出るか分かったものではない。おそらく躊躇するに違いない。
本城の守りはジュノを置き、各戦線への後詰はランクスとジェルハだ。
残るは南部だが、ギルモア領になったとはいえ元々本格的な国軍を持たないタルキアなど物の数ではないし、グリファとの共同戦線も張れる。
そして何といってもタルキアの南にはサンプリオスがいた。いくら協調しているとはいえ、積み重なった敵対意識が簡単に消えるとは思えない。そのサンプリオスを背後にしたまま軍を北上させるとは考えづらかった。
そのような理由で南部は重視されず、他方面への応援も兼ねて、バルカ軍随一の機動力を誇るアヴァン軍団を遊軍として配置する事とされていた。
このバルカ防衛構想に対し、敵は北西部そして南部から侵入を開始した。
季節は本格的な春を迎えた2月。
バルカ西部、ネメグト丘陵の南側からギルモア軍8個軍団32,000が侵入。
この方面から侵入は想定していたが、その兵力は想定を大幅に上回っていた。
そしてほぼ同時に南部バルゴー高原に見慣れない軍装の軍が姿を見せる。
その数およそ40,000。
「40,000だと?先の報告ではギルモアの別働隊という話ではなかったのか?」
ティエラの口調も思わず詰問調になる。
答えるラシェットの声も硬い。
「は、第一報ではレストルニアの軍装をした兵力4,000という報告でした。ギルモア軍の指揮下に置かれたタルキア傭兵部隊と判断したのですが、その後方からレストルニアとも違う装備の軍が姿を見せたのです。恐らくはエルトアやトレヴェント、タルキアにて徴兵した兵と傭兵の混合部隊かと思われます」
軍事顧問として会議に出席しているヴェルーノ卿が訊ねた。
「アティーレのイグナスが動かないのは何故だ?」
「イグナスとラティカ軍団はギルモアの切り札です。切り札とは決定的な場面で使うものです」
「やっかいなものだな」
腕を組んでいたレガーノが小さく笑った。
「ラシェット、俺を南部に回せ。バルゴー高原に」
「レガーノ元帥にはイグナスの抑えを」
「イグナスは切り札なのだろう?」
「なるほどね」
何かを悟ったようなクラトにティエラが視線を向けた。
そのティエラは3年前に病を患ってから身体がふっくらとして、可憐な美しさに艶が乗ったとでもいおうか女性としての魅力を増したようだ。
相変わらず騎馬の鍛錬は怠らないが、さすがに赤騎隊はイオリアに任せている。
「クラト、何がなるほどなのじゃ」
「イグナスが出てくる時が決定的な場面なら、その場面を作らなきゃいいって事」
「それはそうだが、動かないという確証があるまい」
「現時点で72,000、後からまだ出てくるだろう。最初から全力で行かないとじわじわやられちまうんじゃないかな」
ラシェットはクラトの発言を遮るように言った。
「クラト様、お考えは承知しております。しかし万が一イグナスがラティカ軍団を前面に攻め入った場合、戦闘地域を迂回してバルカ城を直接突く事も可能です」
「でもなぁ、打って出ないと主導権が取れないぜ。劣勢なバルカが主導権を握られたら本当にアウトだっつーの」
「レガーノをどこへ配置するかは別として、打って出るというのはクラトの言葉は良い」
ティエラが珍しくクラトを褒めた。
「それに、それほどまでにラティカを恐れては、城の守将が任に能わぬかと無念に思うだろう。のう、ジュノ」
ジュノは伏せていた顔を上げた。
「私にバルカ城と第3軍団があれば、相手が鬼神の兵団でも守りきってご覧に入れます」
言い切ってからジュノは真剣な眼差しをラシェットに移す。
「私は武人である自負があります。しかし、それ以前にバルカの軍人であり、バルカの臣です」
「ジュノの健気な言葉も良い。ラシェット、私はレガーノの配置の事を申しているのではない。打って出るにはもっと戦力が必要だと申しておるのだ」
ラシェットは思った。
“同じ事ではないか”
例えば、レガーノの代わりにジュノを南部へ送るという手もある。しかしそうなれば本城の守備が疎かになるだけでない。新たな軍団の徴兵と編制にも影響が出る。つまり後詰の兵が乏しくなるという事だ。
ラシェットは孤独な判断を迫られていた。