16-9 ツァイタ
大陸は大山脈で東西に分断されている。
その西側、この世界ではゼリアニアと呼ばれる地域の南端にザレヴィア王国はあった。
強大な海洋性オルグが棲む危険な海。
リアル・リーの流域変動で極端に乾燥化が進んだ大地。
強い海風と眩い日差し。
時としてフラッシュバックのように脳裏に蘇るのだ。
この世界で始めて目にした光景だから。
アディアはツァイタという樹木の煎った種を小さなハンマーで潰して布袋に入れた。
これをポットに入れて褐色のお茶を煮出すのだ。
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ゼリアニアにはツァイタという樹木がある。
この樹木の果実は果肉も種も食べる事ができ、味は美味とは言いがたいが栄養が豊富だ。
この果実によって飢饉を乗り切ったという記録が数多く残っており、特に100年前の地殻変動で発生した飢饉では多くの人命がこの木によって救われた。
ツァイタはゼリアニアのほぼ全域に分布しており、3リティ(約2.4m)ほどに成長すると気根と呼ばれる根が2リティの高さから何本も生え始め、やがて地面に到達するとそこから根を張り、まるでロープで地面に固定したような形状になる。
風が強いゼリアニアの季候に順応した形態だと思われるが、ザレヴィアのツァイタは他の地域には見られない特徴があった。
他の地域と同じく何本も生える気根は、そのうち一番地面に早く到達した根だけが太く成長し他は枯れてしまう。この根はその後、元々の幹と同じ太さまで成長し、2本の幹で樹身を支えるようになるのだ。結果としてYを逆さにした樹の形となる。
しかしゼリアニアのツァイタをよく観察してみると、幹となる気根は例外なく北側に生えている。
これは常に南から吹く風が影響していると思われた。風の影響が少ない北側の根の成長が早く、それは結果として南からの風から樹を支えるのに役立っているのだろう。
ゼリアニアに群生するツァイタは、まるで巨大な樹木の兵士が展開行軍しているようにも見えた。
その特異な形状からグリエス(巨人)の樹とも呼ばれる。
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アディアはお茶を飲みながら、新しく敵が戦線に投入し始めた市民兵団について考えていた。
死を怖れないというより死を望んでいる。
戦力として見れば非常に低いといえた。
装備も貧弱で兵士として運用するのは不可能なほど低い戦闘能力しかなかった。
しかし、その背後には必ず強力なゼリアニア兵団が配置されていた。
死を怖れないゼリアニア市民兵は笑みさえ見せながら殺されるために前進する。
決して後退などしない。
包囲戦に持ち込む場合、敵の攻撃を食い止める重装歩兵の存在が欠かせないが、市民兵団はそれを訓練と装備ではなくその肉体と命によって遂行するのだ。
その価値はヴァリオンの騎兵やランパシアのロングボウガンから、ほんの僅かな時間を奪うためでしかなかった。
アディアはまた一口、ほろ苦く香ばしいお茶を口に含んだ。
ゼリアニアの市民兵団をヴァリオンでは殉死兵団と呼んでいた。
神のために戦うのではなく神のために死ぬのが目的だというのだ。
そして、その殉死兵団の戦い方は変化してきていた。
◇*◇*◇*◇*◇
アリエスの祝福を受けた“優れた民”よ、この世界はお前達に与えられたものだ。全ての物は“優れた民”の手に帰すべきだ。
しかし見よ、“愚かなる民”が徘徊し跋扈するこの地を。
“愚かなる民”とは人ではない。なぜなら神を認めぬ者が我々と同じ人間であろうはずがないのだ。我々人間を造り育て導く神を認めぬのは、雨が天を認めず、草木が大地を認めぬ事と変わらない。神なくして人はない。神を認めぬ者は人をも認めまい。人を認めぬ者が人であろうはずがないのだ。
彼らが無知なのであればアルエスの教えに導くが良い。さすれば愚かなる民も優れた民の下僕として生きる事は許されよう。
しかし最後まで神を認めず、異教を唱え邪神を祀る者、かの者達が神を認めぬのと同様に神もかの者を認めないであろう。
神はどのように小さく醜く愚かな生き物もその生をお認めになっている。それらが我々のために、延いては神のために生きているからだ。
しかし異教徒は我々“優れた民”の為に生きるどろこか村を襲い、火を放ち、全てを奪っていく。さらわれた娘の運命がどうなるか神はお答えにならない。
神は時として答えない事で私達を導こうとなさるのだ。
(しばし祈りを捧げる)
“愚かなる民”を撃て!
我等“優れた民”より奪った土地を取り返すのだ!
彼らを打ち倒して、さらわれた娘の尊厳を取り戻せ!
彼らを滅ぼして、我等の名誉を取り戻すのだ!
貧困も苦痛も原因は、神が“優れた民”に与えたものを奪った“愚かなる民”にある。
この度、神から重大な啓示があった。
神の兵として教会に認められ戦った者は、上級聖者として神の住む天空の直下、中空の世界に生まれ変わる事が出来る。
教会より発行された、清められし誓約書を待て。そして神の兵となれ。神の下に集い愚かなる民を撃て。さすれば永遠の幸せを手にする事ができるだろう。
死によってこの世の苦痛から開放される。
彼らは死によって救われるのだ。
そう、彼らは救われたいのだ。
日々の労苦から、未来の不安から、実現できない欲望から、そして小さくか弱い自分から。
彼らは救われたいのだ。
“自分のために”
全ては己から発する現実からの逃避でしかない。
しかし、神が崇高な理由を与えた。
“神のために”
理由が目的にすり替わるのは簡単だ。
“神のために戦い、そして殺すのだ”
“神のために戦い、そして壊すのだ”
“神のために戦い、そして死ぬのだ”
そして目的が“神のため”である限り、全ての行為は容認されるべきなのだ。
神のために戦う自分は救われる。“当然だ”
神のために戦う自分は市民から奪う。“当然だ”
神のために戦う自分は罪から免れる。“当然だ”
前世の記憶が存在しないのなら教会の言葉は少なくとも嘘ではない。
“証明できないから”
神は証明できない事しか約束しないものなのだ。
そんな皮肉な言葉すら凍りつかせる市民兵団の戦い。
勿論その人的損害は大きい。
一時の戦死者比率は10:1といわれ、消耗率60%以上の部隊が多く発生した。
これにはさすがにゼリアニア軍首脳も捨てては置けず、教会から次のような告知が市民兵団に行われた。
「敵兵を1人殺すごとに1つの願いが叶えられる。その数は神によって数えられ、中空の世界に復活した際、告げられるだろう。そして願いを神に告げるが良い」
こんな冗談のような告知も神の言葉である。
“神が”というだけで全ては保証される。
神はその数を正確に数え告げるだろう。そして間違いなく叶えられるだろう。
実に便利なものなのだ。
恥知らずな欲望と脆弱な精神を持つ者にとって、神とは実に便利な存在なのだ。
◇*◇*◇*◇*◇
訓練と装備、精神と規律が兵士を強くする。
しかし、欲望も兵士を強くした。
ゼリアニア市民兵は復活後に望みを叶える為に猛烈な殺戮を開始した。
ヴァリオン兵の被害は次第に大きくなっていく。
その戦い方はもとより兵士のものではなく軍事行動でもなかった。
単に殺すのである。
戦いの目標も戦術も関係は無い。
彼らの頭にあるのは“死ぬまでに何人殺せるか”だけだ。
戦闘能力を失った瀕死のヴァリオン兵ほど狙われた。
死体も槍で突かれ、剣で斬られた。
もし死んでいなければ自分の願いを叶える数が増えるからだ。
ある兵士が自分でも願いの数を数えておきたいと始めた、殺した敵兵の指を切り取って保管する事が瞬く間に市民兵団に広まった。
この事からこの数の事を“証の指”と呼ぶようになった。
市民兵は“証の指”を増やすために戦うのだ。
市民兵団が戦った戦場に残されるのは、膨大な市民兵の死体と、切り刻まれ原形すら留めない敵兵の肉片だった。
「これは酷いな」
呟くようなベルート・ラスティンの言葉に参謀は応えた。
「はい、市民兵団の戦場はいつもこうです」
遠くに市民兵の一団が残党狩りと称して息がある敵兵を探しているのが見える。
彼らは少なからず剣や槍を突き立てていた。
それほど生き残った敵兵がいるとは思えない。
願いを叶える生きた敵兵が居ない事に苛ついているのか、それとも単に手持ち無沙汰なのか、それは分からないが、彼らは“楽しそう”だった。
「何と残忍な。そして浅ましい。もはや人間とは言えないな」
「はい、見ていて空恐ろしい気がします。彼らは“証の指”を増やす事ばかりに懸命で、味方の兵を救うという事もしません」
「では、味方の兵を1人救っても証の指として数えるよう神の告知を行うが良いだろう」
「は、直ちに手配をとります」
「彼らは同胞を救うだろう。これこそ神の御心に沿うものだ。神の告知が戦ばかりでは教会も都合が悪かろうからな」
「はい」
「告知というよりも利己のためという事なのだろうがね」
ラスティンは皮肉な笑みを見せた。
もとよりそのように仕向けたのはラスティンなのだから。
◇*◇*◇*◇*◇
これまでヴァリオンが殉死兵団と呼んでいたゼリアニア市民兵団は、この後も繰り返された神の告知によって軍隊としての体裁を急速に整え、侮れない戦力となっていく。
後にゼリアニア兵団に代わって重装歩兵の主力を占める事となるアリエス兵団は、この時生まれたといって良いだろう。
そして、ヴァリオン、ランパシア、バルナウルからなるゾアニア同盟は戦線を後退させていくのだった。