16-8 ゼラ=レスタ
クラトとジュノがバルカに帰還して2ヶ月が過ぎた。
クラトは1ヶ月ほど前にグリファを経由してタルキアに派遣されていた。
ラシェットの献策によってヴェルーノから特別任務を与えられたのだ。
グリファに向かうカピアーノ博士の使節団を護衛した後、ジルフォース街道を南下、グリファのリンチェ郷からタルキア街道に出るというルートは、この世界に来たばかりのクラトがジュノとの逃避行に使ったルートそのままだ。
ヴェルーノはティエラ女王に配慮して、暫くの間はクラトをバルカ城に留め置くつもりだったが、ラシェットが強硬に主張したのだった。
バイカルノが死ぬ前にもたらした情報にサンプリオスの復権が記されていたという。
サンプリオスの復権といえば、かつての強国だったサンプリオスの勢力回復を意味する。
サンプリオスが国力が増しているのはヴェルーノも把握していた。海の回廊の物流量が急激に増加していたからだ。
それらの物品は旧サンプリオスの各国を通じ、更にタルキアを経由してギルモア、トレヴェント、バルカ、グリファに流れている。
最初に違和感を持ったのはタルキアの態度だった。
様々な議論において、何かと結論を先延ばしにしようとする。
それだけにヴェルーノとてタルキアへ使節を送る事の重要性は認識しているが、この人選が適切だとはとても思えなかった。
「クラトに務まるのか?適任とは思えないが」
「情報収集にはサバール隊からキキラサ他6名を、情報の取りまとめと分析にはジェルハをつけます。また、戦力補強としてルオングとラクエルを加えました」
ジェルハとはラシェットがランクス旗下の特装隊から見出した若者で、北の戦乱ではアジャン率いる高機動隊に所属していた。
トレヴェント軍に捕らえられた“飛行型エナルダ”イーネスを奪還したグラシスの追撃戦にも参加した人物である。
まだ24歳ながら軍略と兵法に通じ、実に堅実な戦い方をする。
“堅実さ”これはラシェットが軍人に最も求めるものだった。
今ではラシェットの従者の身分であり、軍師見習いといえるだろう。
「サバール隊は良いとしても、情報管理にあんな若い者を?そこまでしてクラトを行かせる必要はあるのか?それにルオングとラクエルは特例組ではないか」
「確かに適任でいえばジュノ軍団長です。バイカルノ様がご存命なら私でも良かったでしょう。しかし、若き人材も育てねばなりませんし、キキラサを使うのであれば単に任務だけで終わらせたくはありません」
ラシェットはキキラサ、ひいてはサイモスとバルカの繋がりを強化したいのだろう。バイカルノがいない今、それができるのはクラトだと考えているようだ。
ラシェットはクラトに心から服していると言って良いだろう。
女王を始め、レガーノやアヴァン、そして気難しいピサノまでクラトを好意的に思っているようだ。
ヴェルーノはかつてランクスが言った言葉を思い出していた。
“クラトという男、多くの人間を死に導く者かもしれない”
「ばかな」
クラトはバルカを救ったのだ。
ラシェット、アイシャ、エルファ、ルシルヴァ、ホーカー・・・、クラトによってバルカに身を投じた者全てが今や重要人物だ。
クラトやバイカルノが居なかったらバルカは国家にはなりえなかっただろうし、ギルモアに力を削がれ、小さな郷として細々と存続を許される存在になっていたかもしれない。
『それでもバルカの名は残ったはずだ』
ヴェルーノは頭の中に響く言葉が自分のものだとは思えなかった。
なぜこんな言葉が頭に浮かんだのだろう。
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バルカの基本路線はトレヴェントとの同盟にグリファを加えた三国軍事同盟と、更にタルキアを加えた連合体だ。
現在のところは周辺国の警戒をかわすため、トレヴェントとグリファは直接同盟を結んではいないし、タルキアとは通商条約の締結に留まってはいるが、この4国が協力する事でギルモアの包囲、クエーシトの囲い込みを形成しているのだ。
バルカはこれをジーク同盟(東部同盟)と呼び、将来はクエーシトを加え、軍事技術を含めた連合体にまで発展させる計画だった。もちろん仮想敵国はギルモアだ。
ギルモアはその動きに対抗して、北方蛮族を併合、バルナウルと不戦協定を締結、更にはエルトアへの工作に動いていた。軍事、経済、技術の統合を目指したバルカと同じ戦略といえるだろう。
しかし、偶発的とはいえ、クラト達のクロフェナでの動きがギルモアの戦略に楔を打ち込む形となった。その楔とはクロフェナのシャオル率いるヴァル・ジルオンであり、ギルモア最強のラティカ軍団を有するイグナスのアティーレの挟撃、バルナウルからの物流遮断や側面攻撃など有効な動きが期待できた。
ギルモアもヴァル・ジルオンとバルカの交流までは気付いていないようだが、元々ギルモアはクロフェナを信用していないだろう。いずれ元凶であるシャオル一派を除こうとするに違いない。
それぞれがそれぞれの思惑と情報で動き始めていた。生き残るために。
そのようなところへサンプリオスの復権だ。
ギルモアもサンプリオスと結んでトレヴェントを挟撃しようなどとは考えまい。何しろサンプリオスとは過去に“大陸の炎上”で東大陸の覇権を争ったのであり、現在に至っても旧サンプリオスの国家とは国交を断ったままだ。
もしサンプリオスの復権が実現すれば、ギルモアにとってバルカやトレヴェントよりも厄介な相手になるに違いないのだ。
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【ギルモア王国】
ギルモア王国軍事府、軍師執務室でセシウスは報告書を目で追いながら思わず声を上げた。
「ゼラ=レスタ同盟?」
これはゼリア(西)とレスタ(南)の同盟という意味だが、ザレヴィアとサンプリオスの同盟だと記してあった。もちろん正式な同盟でない。
いずれ公式な形になる頃には、何かが始まり、そして終わっているだろう。
これらはギルモアのレノ部隊“フォーラ隊”がもたらした情報だった。
この“影”という意味のレノ部隊はセシウスが既存の王直府諜報部隊を拡大強化したもので、北の戦乱中期から本格稼動し、北東部首長連合の戦乱不介入の情報を掴むなどの成果を残した。
しかし、レノ部隊の運用に長けているジェダン、クエーシトとの戦いは消耗が激しく、ガンファー動乱ではその多くを失った。
一時は運用不可能な状態にまで追い込まれ、クロフェナからジェダンにわたる北部戦線の情報が空白の状態であったが、ガンファー動乱後に再整備され現在に至る。
セシウスの優れたところは北の戦乱でジェダン、ガンファー動乱ではヴァリオン、そしてレストルニア諸国にフォーラ隊を派遣した事だ。
「通商条約から同盟に発展するというのか?しかし地理的に軍事協力は十分に行えまい・・・経済面なら通商条約のままでよかったはずだ。何があった?」
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【サンプリオス】
首都アビリオンにザレヴィアの使節が来訪していた。
ザレヴィア外務府東部局長の肩書きを持つこの使節団長は、アルエス教の教祖と縁者という理由で現在の地位を得、アルエス教会においても司教の地位にあった。
サンプリオスからは外務大臣の他、軍事大臣も同席している。これはザレヴィア使節団からの要望でもあった。
「サンプリオスにはもっと大きな軍艦が必要ですな」
「海洋性オルグの出没は激減していますし、これからは海の時代がくるでしょう。念の為に船に連装ボウガンと忌避カプセルは装備しておりますが、使用する機会はほとんどありません」
忌避カプセルとは数種類の毒草とタールを混ぜて容器に詰めたもので、容器にはいくつもの穴が空けられており、海に投入すると毒が少しづつ海水に溶け出すのだ。
駆除するまでには至らないが、この毒を嫌ってオルグは寄り付かない。一種の忌避剤だ。
「海は新たな領土と考えていい。豊富な海産資源と通商ルート、そして海の道を渡るのは何も商人だけではありません」
「例えばの話ですが、ここアビリオンからクエーシトまでどの位の行程になるでしょうか。海路であれば沿岸から離れて移動したとしても、陸路の半分以下で到着できます。しかもタガンザク山脈を迂回したように、ジルディオ山脈を海路で迂回すればジェダンにも到達できるはずです」
軍事大臣は自分の同席を求めておいて例え話もないものだと思いながら、ザレヴィア使節団長の次の言葉を待った。
「我が教皇の命によりサンプリオス国王に贈るべく新型戦艦を建造中です」
「なんと、新型を」
「はい、速度、積載量、対オルグ装備、全てにおいてこれまでの戦艦を上回っています」
「それを我がサンプリオスに?」
「はい。我々は同盟国なのですから。しかも利害で繋がっている蛮族どもとは違います。アルエス教という共通の教えを持つ盟友なのです」
「ふぅ」
ため息のような声が聞こえた。
使節団の団長は眉間に皺を寄せて隣席の男を睨んだ。
「どうした?」
「これは失礼しました。田舎者ゆえ、このような煌びやかな場所は落ち着かず緊張が続いておりまして・・・」
「そなたには新型戦艦をサンプリオスに回航する任に就いてもらう予定だ。しっかりしてもらわねば困る」
「は、お恥ずかしい限りです」
「このような無骨者ではありますが、戦艦を率いさせたら右に出る者はおりません。どうかご安心を」
緊張しているどころか尊大にすらみえる態度の男はバウリスタと名乗った。
「戦艦の名前は、僭越ながら教皇より提案を仰せつかっております」
「教皇様のご提案であれば国王も依存は無いでしょうが、ちなみに・・・」
「は、記念艦ゆえ、サンプリオス王国首都の名前を冠してはどうかと」
「アビリオン・・・ですか」
「はい、戦艦アビリオンです」
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【バルカ王国】
ティエラ女王の病状は、医師が快方に向かうだろうと診断してから1ヶ月以上が経過していた。
そして身重の身をおして女王の看病にあたっていたファトマも体調を崩してしまった。
病気ではないのだが、出産予定日をだいぶ過ぎているらいしいのだ。
この世界では妊娠後約150日が出産の目安だ。地球ではまだ7ヶ月というところだろう。
この世界の人間は早産なのだ。
しかし、それは胎児の成長が早いのではなく、まだ未熟な状態で生まれくるという。
それゆえに幼児の死亡率は非常に高く、出産予定日が遅れるのは良い事とさえ言われていた。
しかしファトマに妊娠期間はすでに200日を経過している。
つい数日までは、身重の身体を苦にもせず、廊下などで出会った者には実に元気に見えたのだが・・・。
それを気遣ったティエラが奥室の一室をファトマに与えた。
快方に向かっているティエラが、医師が常勤している奥室なら都合が良いだろうと命じたようだ。二人の看護にはルクレアがついた。
医師以外で入室を許されているのはルクレアだけだ。
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「奥室を出産に使うとは、少々特別扱いが過ぎるのではないか?相手は侍女であろう?」
「ファトマはいまや白銀の軍師の奥方でもあるし、身重でありながら女王に尽くし切ったのだ、女王としても何とかしたいと思うのは当然であるし、それをお諫めする事などできまい」
「それにしてもだ、ラシェットは何だ。白銀の軍師の称号もそうだが、ファトマの件もそうだ。まるで遠慮というものを見せぬではないか」
「バイカルノ殿がおらぬ中、ラシェットを外すことなど考えられまい」
「元奴隷でありながら、クラト軍団長に拾われ、バイカルノ主席軍師にも高く評価された。娘のアイシャは赤騎隊で女王みずから騎馬戦の手ほどきをなさった。確かに優秀だ。しかしラシェットが何を残したというのだ?」
「ラシェットの体術調練によって確実にバルカ軍は強化されたのは間違いなかろう」「それに女王の心中を察して差し上げろ。ラヴィス護紅隊長亡き今、ファトマは女王にとって単なる侍女長ではないし、アイシャの銀狼隊は赤騎隊の隷下部隊、つまり女王の直属なのだ」
「しかし・・・」
「もうやめておけ。それ以上言うなら、それは女王への非難ともなりかねん」
◇*◇*◇*◇*◇
ファトマは奥室の一室を与えられてから半月後に男の子を出産した。
難産とされていたファトマだったが、意外にも安産だったという事だ。
生まれた子の黒い髪と白い肌はファトマから引き継いだようだ。
出産にはティエラも立ち会ったという。
ティエラは出産に感銘を受けたらしく、ファトマのファトマの子をいたく気に入り「シヴェルト」という名前を授けた。
女王より名前を賜るのはこの上もない栄誉である。
シヴェルトとは黒き者という意味があり、遅く生まれたせいか髪が黒々としていたからだという。