16-4 密談
「てめぇ!出てこい!俺たちの馬をどうした!」
薮の中から聞こえたのは高揚の無い低い声。
「喰ッタ」
「はぁ!?何を言ってやがる!!」
のそり
白い体毛に薄い灰色の縞模様。
体長が3リティ(約2.4m)はありそうな獣は、血に赤く染まった口を開いて吼えた。
「喰ッチマッタヨ」
「こいつ、オルグか?」
「恐らく。しかしこの世界にこんな獣はいません」
「俺の世界に“トラ”って獣がいてな。似てるぜ、コイツ」
白い獣はもう一度吼えた。
「沢ヲ越エタラ喰ッテイイ」
「何を言ってる?こいつは」
「沢ヲ越エタラ、人間デモ喰ッテイイ」
沢とはあの険しい崖のことか。
「バイカルノ、下がってな」
「お前の世話になるかって言いたいところだが、今日のところは頼むぜ」
バイカルノはキキラサを抱いて身を引いた。
キキラサは恐怖が大きすぎるせいか、むしろ獣を凝視している。
「バイカルノ殿、逃げ切れません。ここで戦います」
向けられた剣など気にもせず、白い獣は前足を舐めては顔を撫で回している。
口許に付いていた馬の血がきれいに舐め取られ、白い獣は不意に地を蹴った。
ジュノは横に飛び、クラトの20リグノ剣が横殴りに迎え撃つ。
白い獣はクラトの20リグノ剣の直前で横に跳び、ジュノの背後に迫った。
「ジュノ!」
鋭い爪が空を切り、ジュノは身体を捻って刀を振った。
(ガッ!)
ジュノの刀を爪が弾いた。
そこへクラトが第2撃を打ち込む。
白い獣は後ろに跳んで身構えた。
「オ前達、少シ強イナ」
また突っ込んで来た。さっきよりも速い。
そしてまたもやクラトの前で横に跳んだが、ジュノを追わず後方へ抜けた。
「バイカルノ!!」
間に合わない!さすがのジュノも目をつぶりそうになった。
その時、黒い影がバイカルノにぶつかり、獣の爪はまたもや空を切った。
「サイモス!!」
「グズ共め。お前ら2人も揃って頭を守れないのか?」
そのサイモスに獣の爪が振られる。
クラトにはサイモスが消えたように見えた。
白い獣は驚いたように振り向いてもう一撃。
サイモスはまたもや同じ姿勢で獣の背後に立っていた。
「すごい・・・」
ジュノの口から感嘆の声が漏れた。
白い獣は地面に座ってサイモスを見た。
「オ前、ガルディト同ジダナ」
「ガルディ?」
「ガルディハ仲間。オ前達ハ ガルディノ仲間カ?ソレナラ敵ジャナイ。仲間ヲ喰ッテハ駄目」
「オ前達ハ、ガルディノ仲間カ?」
サイモスは口許を小さく歪めて言った。
「違うな」
突然、白い獣が笑い出した。
「当タリ前ダ!ガルディノ仲間ハ俺ダケダカラナ!」
白い獣はまた少し笑ってから、先ほどまでの恐ろしい目とは違って不気味な視線を向けた。
「何故違ウト言ッタ?ソウダト言エバ見逃サレルト思ワナカッタノカ?」
「お前、獣のくせに随分と口数が多いな」
「何故ダ」
「事実を言うのに理由がいるのか?人喰い!」
サイモスの右腕だけが消えた。
刀身が反射する光さえ遅れて見えるようだった。
しかし白い獣はすでに刀の範囲の外にいた。
「今日ハ面白イ1日ダッタ。ソロソロ ガルディガ戻ル時間ダ。早クオ前達ヲ喰ッテシマオウ」
白い獣は低い姿勢でするすると近づいて来る。
隙が大きい跳躍はせず、確実に仕留めるつもりだ。
クラトとジュノが前面で迎え撃ち、その後ろでサイモスが細長い剣を逆手に構える。
「ヴァイロン!やめるんだ!皆様も剣をお引き下さい!」
不意に人間の声が制止した。
ジュノが声の方向に刀を構え、白い獣は大きく跳ねて声の主の前に身を置いた。
声の主は筋骨隆々たる褐色の肌に髪を剃り上げた男だ。ただその目は白く濁り顔を何度も傾けながらクラト達を確認しようとしているようだった。
「私はガルディと申します。以前、エルトアで軍務についておりましたが、この通り目に傷を負ってしまい、今ではこのヴァイロンとこの森で細々と暮らしております」
「ヴァイロンはこの世界の生き物ではございません。しかもオルグ化しております。しかし、ご安心下さい。私の言葉には従うようです」
「ご迷惑をお掛けしたようです。この森を抜けるのであればご案内します。しかし、もう日が沈む。今晩は私の小屋でお休みになってはいかがですか」
少しの間をおいてバイカルノが言葉を返した。
「そうするか。ガルディとやら、俺達はエルトアを目指している者だ。この辺りの地理には疎くてな。この森を突っ切る形になってしまった。案内をしてもらえるのなら助かる」
「では、こちらにどうぞ。ヴァイロン、何度も言っているだろう。人間を襲っては駄目だ。空腹ならば家に着くまで待ちなさい」
ヴァイロンと呼ばれた白い獣は、何かを問いかけるようにガルディの顔を見上げたが、無言で歩き出した。
「こちらです」
振り向いたガルディはバイカルノ達を促し、ヴァイロンの後について歩き出した。
「ま、結果オーライだ。もう夕方だし今晩は世話になろう。勿論、サイモスも来いよ」
「え、私もですか」
「当たり前だ、心配させるんじゃない」
「分かりました」
歩き出そうとしたとき、腕を組んだクラトが口を開いた。
「おい、ガルディとかいったな、ちょっと聞いていいか?」
バイカルノとジュノがしまったという顔をし、サイモスはクラトを睨んだ。
「何でしょうか」
振り返って応えるガルディの表情は硬かった。
「ちと、聞きづらいんだが・・・」
「はい」
いつの間にか、ガルディの横には先行していたはずのヴァイロンがいる。
次の一言が激闘の合図になるのではないかと、誰もが身を固くしてクラトを見つめた。
「いや、何というか、その、メシというか食べ物はある?」
「はぁ~」
ジュノのため息。
それぞれの緊張が一気に解け、ガルディが微笑みながら言った。
「ございますよ。この森で獲れた猪の肉ときのこ、今日は市場に行きましたのでパンと干した果物もあります」
「おー、すごいじゃんか。じゃー急いで行こうか!」
ガルディの小屋は、居間兼台所の他、奥に2つほど部屋があるようだ。
「ほぉ、1人にしちゃ随分と広いな」
「えぇ、前の住人は家族で住んでいたのでしょう」
「皆様はどちらまで?」
「エルトアだ」
「エルトアですって?」
「何か変か?」
「いえ、エルトアでしたらレジーナ街道を通った方が・・・」
「ちょっとな。大きな森だったんで興味本位で入ったんだが、あまりに深い森でな」
「あんな子供を連れて?」
ガルディはキキラサを寝かせた部屋のドアに顔を向けた。
「随分と詮索するようだが、俺達が何者か気になるのか?」
「いえ、私は盗られるものもありませんし、命もそれほど大事ではありません。ただ・・・」
「ただ、何だ」
「この森の夜は長いのです」
「・・・」
「だから、つい色々と訊ねてしまうのですよ。ご不快でしたらご勘弁下さい」
バイカルノとガルディが向かって座り、ヴァイロンはガルディの左隣でまどろんでいる。
バイカルノの右隣、つまりヴァイロンの向かいにはサイモスとクラト、左隣にはジュノが座っていた。
暫く沈黙があって暖炉兼かまどで薪が燃える音だけが続いていた。
突然、クラトがガルディに話しかけた。
「ガルディ、俺達はさ、バルカからエルトアに向かってるのさ。あの娘は途中で両親が殺されて、ま、多分なんだけど。で、エルトアに親類がいるからって送っている最中なんだよ。この森に入ったのも、あの娘が近道だって言ったからなんだ」
「あなたはバルカの黒い大剣、クラト様ですね」
深い森の山小屋に緊張が走った。
「当りだ」
クラトは事も無げに答え、サイモスが懐に手を入れた。ジュノも刀を引き寄せている。
ヴァイロンも目を開き四肢に力が入っている。いつでも跳べる体勢だ。
「やはりそうですか。良かった。エルトアの追っ手かと思っていたのです。ヴァイロン、この方々は敵ではない。正しい人間だ」
「正シイ?頭ガ良イトイウ事カ?」
「そういう事ではなく、信用できる人間だという事だ」
「皆様、これまでのご無礼大変失礼しました」
「いやいや、無礼なんてないだろ、なぁ」
「能天気な奴め、この小屋に来る道すらがも結構な探りあいだったんだぞ」
バイカルノの声にクラトは「知るか」と言って笑った。
「頭、この男は“盲目のガルディ”ですよ」
「盲目のガルディ?」
サイモスはガルディについて語った。
優れたエナルダであった事、失明した後に視覚に頼らない周囲の認識能力を得た事、能力を恐れた上官の讒言により軍を追われた事。
ランパシアのルナヴァル、バルカのアイシャも同じような能力を持つが、ガルディの能力は格段に優れている。
彼女達がエナル属性と強弱だけを認識しているだけなのに比べ、ガルディはエナル属性ごとに自分の意思で噴射し、それぞれの反響や軌道の違いによって、ほんの小さな形、例えばコインの刻印であったり、人の表情まで読み取る事ができるのだ。
「そうか、お前がガルディか。それにしてもエルトアはグラシスといい優れた軍人を自ら失うという事を繰り返しているな。挙句の果てがギルモアとの接近とは愚か過ぎる」
「バイカルノ殿、私はバルカに仇なす者ではありませんが、あなた方がエルトアに向かうと言う以上、危害を及ぼさないとは言い切れません」
「それはお前が迷っているからだろう?」
「・・・」
「お前がどう考えどう動こうと知った事ではない。ただ、エルトアがギルモアに併合されたら大戦乱になる。それはバルカの求めるところではい。そして俺達はバルカの臣だ」
「・・・」
答えが見つからないのか、答えるつもりがないのか、ガルディは視線を暖炉の炎に向けていた。
不意にヴァイロンがガルディに言った。
「ガルディ、ソロソロコイツ等ヲ喰ッテ良イカ?」
「駄目だ。この方達は敵だろうと喰ってはならん。敵だとしても戦って打ち倒す相手だ」
ガルディは笑顔を見せて付け足した。
「それに、この方々はとてつもなく強いぞ」
「ジャ、寝ルノヲ待ッテカラ喰ッテヤロウ」
クラトが笑い出した。
「おい、目の前で密談してんじゃねぇよ。つーか、喰うつもりだったのかよ」
バイカルノが噴き出して笑い、小屋はこれまでにない笑い声に満ちた。
サイモスだけが、くだらんという表情で苦りきっている。この男はこういった場面が苦手なのだ。