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1-1 思いつき

東京某所 夏。


考え事をしていた俺は上司の声で我に返った。

鳴海ナルミ、資料はどうした」

「え゛・・・」


・・・しまった、作っていない。


「済みません、もう少し時間を下さい」

「なに言ってるんだ、提出は11:00だと言っただろ」

「済みません、あと30分でできます」

「30分だな?分かった、急いでくれ」


何てこった、またポカしちまった。

普通、資料作成は30分じゃとても無理だが、俺はこの資料が体裁だけ整えてあれば問題無いことを知っていた。

前回の資料に数字だけ入れ替えて、グラフを差し込めばいい。

20分で出来た。

データを上司に転送すると、すぐにOKの返信があった。

軽く自己嫌悪に陥る。


◇*◇*◇*◇*◇


外に出ると路上は7月の太陽を受けてうだるような暑さだ。

「なぁ、ナルミ。お前、最近おかしいぞ?」

「あ?資料の事か?」

「課長と合わないのは分かるけど、それなら尚更ミスはしない方がいいぞ。っていうか、俺の業務まで影響するんだよ。今回の資料だって、前回の焼き直しじゃないか」

「あぁ、悪かった、気をつけるよ」

「それにしてもお前、最近元気が無いんじゃないか。何かあったら力になるから言ってくれ。・・・ま、金と女以外だけどな」

「じゃ、いらねぇよ」


明るく笑って別れた。良い奴だ。同期の中でも配属が同じだったせいか、何かと一緒に動く事が多かった。

入社した時は体育会系の筋肉バカって感じで、不器用なところもあったが、今じゃ業務もしっかりとこなして、上司との交渉や新人の指導もしっかりやってるし、着実に積み上げているという感じだ。

一方で俺は何をしていたんだろう。いつもその場しのぎで仕事をしてる。

働き始めて4年が経つ。今年の春には主任になって形の上では部下もいる。

もういっぱしの社会人だ。

ところがこのところ何をする気も起きないし、つまらない事にイラついていた。

原因不明の頭痛があって、慢性的に俺を苦しめた。

上司は面倒そうな顔で「大丈夫か?無理はするなよ」という。

俗に言う「無理させて、無理はするなと、無理を言い」ってヤツだ。

頭痛もあったし有給もたんまり残っているので、土日に引っ掛けて4日間の休みを取った。

この会社にしては大盤振舞といえる。


「どうだ。田舎にでも帰って元気な顔を見せて来いよ」

「はぃ、そうっスね」

先輩の言葉を軽く流しておいた。

普通、俺らくらいの年になれば親に感謝の一つもするだろう。

だが、俺は働き始めてからほとんど帰らなかった。何と言ったら良いのか、遠慮してしまうんだ。

俺が幼い頃、父親が失踪した。

父親は臨床心理学の研究員だったのだと聞いている。

父がいなくなってから母親は苦労したらしい。

母はいつも忙しく働いて、一緒にいられる時間はほとんどなかった。

俺は周囲から母親に感謝しろと言われ続けてきた。


そんな事は分かってるんだ、俺だって。

でも、どうしていいのか分らないんだよ。

ずっと母親だけが頼りだった。でも孤独な環境を憎んでた。

それをぶつける相手が母親しかいなかったんだろう。

母親にはいつもふて腐れて反発ばかりしてた。

子供の頃、疑問というか不安というか、常にそんな事が頭を巡っていた。

俺は母親から愛されているのか?

本当はお荷物なんじゃないのか?

俺なんか居ない方がイイんじゃないのか?


俺は子供の事の出来事はあまり憶えていなかった。

いつも一人だったし、記憶に残る様な事なんてなかったんだろう。


そんな思いはあったが、この休みは田舎へ行くことにした。

子供の頃の思い出の場所へ行こうと思いついたのだ。

急に、本当に急に思い出した、俺だけの秘密基地。

小学校に入る前だから5歳くらいだったはずだ。

当時、新しく出来た山越えのバイパス道路から林道を入ったところだ。

思いついた時からウキウキしはじめた。

最近こんな気持ちになった事はないなぁ。

よし、朝7:00に出発すれば9:00には林道の入り口まで行けるだろう。

秘密基地までの道筋はあやふやだが、林道の待避所から沢を渡って登ると林にポッカリと空き地があって小さな小屋がある。

林と藪に囲まれた空き地は狭く、見上げると木々の梢が伸びて丸く見えた空を鮮明に覚えている。


その後は何か買って母親のところに寄ってみようかと考えた。

そこまで考えたところで携帯が鳴る。母からだ。

ちょっと驚きながら出と、少しおずおずした声が聞こえた。


「体は大丈夫?同窓会のハガキが来てるよ。名簿の住所とか変更してないの?来月15日だけど、参加で良いよね?」

「いや、後でこっちから連絡するから。今、部屋を片付けてるんだ。じゃ、後で」

母との電話を切った時、いつも母親に悪い事をしたような気持ちになる。

どうしてもう少し優しくできないのか。

「やっぱり明日寄ってみるか・・・」


そうだ、果物でも買って、こっちに用事があったからとか言って、母さんに会いに行こう。


◇*◇*◇*◇*◇


翌朝、昨日の計画では林道に到着しているはずの9:00に出発した。

ま、単なる寝坊だ。

バイクで高速を飛ばす。


缶コーヒーで一服しようとサービスエリアに寄った。

自販機の前に立つと新発売の文字が躍る。

『シブいボトルで新登場』

スポーツドリンクだ。カーキ色の500mlアルミボトル。

買っとくか。コーヒーとスポーツドリンクを手に喫煙所へ。

いつもの癖でせかせかと煙草を吸う。

コーヒーの空き缶を捨て、ふらっと、売店に入ってみた。


奥の一角で女の子が声をあげている。

「いらっしゃいませ~、新発売で~す。応募ハガキにご記入下されば、素敵なプレゼントが当たりま~す」

微妙に茶色く胸まで届く髪はさらさらとしていた。

ややとんがった顔つきはツンの要素で満たされている。

俺は奥のドアから出ようと前を通りながら視線を送ると、その娘の視線とぶつかった。

年の頃から見れば、高校生だろう。バイトって訳か。

「ねぇ、おにいさん見てってよ。新商品よ」

呼び込みとは違う声色に、つい足を止めた。

「新しいボトルのスポーツドリンク、キャンペーンなの。4本パックを買ってもらえると応募ハガキがついてて、特等は温泉旅行」

ややきつめの瞳はお願いするような目になる。

これはヤバイ。このは目だけでツンデレする。


「スポーツドリンクと温泉旅行ってターゲットがずれてないか?」

お願いの目は驚きの目、そして柔らかく笑った。カワイイ。

「そうよね。そうですよね。でも、若い人が温泉に行ってもいいでしょ。親にプレゼントしてもいいし」

微妙な抵抗は更にカワイイのゲージを押し上げる。

「じゃ、ハガキ出してみるか」

「毎度どうも~」

買うとは言っていないのに遅滞なく返答する。頭も悪くない。非常に惹かれる。

財布を出そうとして、右手にぶら下げていたカーキ色のボトルをテーブルに置く。

女の子はまたもや驚いた目をして、今度は掛け値なしの笑顔だ。

その中に参ったという色が見える。


俺はリュックに4本パックを入れようとしていると、応募ハガキとボールペンが差し出された。

「わたし、書きましょうか?」

なにやら急に距離が近い感じの問いに、「じゃ、頼むわ」と応え、名前と住所、連絡先を訊かれる。


俺の名前はナルミ。

「ナルミさん?それって上?」

「あぁ、口に鳥でナル、それに海でナルミだ」

「へぇ、下は?」

名前を上と下という表現で分けるあたりに親近感が湧く。

「クラト。林家木久蔵の蔵に人でクラト」

「キクゾー?あぁ、落語の?はい、ク・ラ・ト、さんっと」

少しウケたような気もする。昔はもっとウケたんだが。

林家木久蔵の例えは名前を言う時のクセのようなものだ。

やや後悔しつつ、訊かれるままに住所や電話番号を答え、アンケートの内容にも適当に回答して完了。


「この連絡先って今持っている携帯ですか?」

「そうだよ。いつも家には居ないし」

「今日は休み?どこかへ行くの?」

「いや、予定は無いんだ。ただブラっと出てきただけだよ」

「へぇ~、・・・あの、後で連絡してもいいですか?」

「そりゃ、構わないけど・・・」

「ここでバイトしてると遊びに行く人達ばかりだから、ちょっとツライの」

「ま、世は夏休みだからな。山か海にでも行くんだろう」

「私、海に行きたいなぁ、今年はまだ行ってないもの」

「海かぁ、いいなぁ。最近行ってないなぁ」

「じゃ、行こうよ~。海」

「これ、電話で話をする内容じゃないの?」

「あ、ホントだ。いやだなぁ、私ったら、もう~」


というような妄想をしている間に応募ハガキは完成し、応募箱とハデに書かれた箱に入れられた。

「またお願いしま~す」という声に押し出されるようにその場を離れる。

久し振りにやっちまったな。妄想。可愛かったなぁ。

バイクのところに戻ると声が追いかけてくる。

「ナルミさ~ん」

先ほどの女の子だ。胸が小さく高鳴った。

「これ、忘れてますよ」

あ、自販機で買ったスポーツドリンクだ。

高鳴った胸に耳が赤くなりそうだ。


「じゃ、運転気をつけて下さい。またお話とかできたらいいですね」

ツン顔の女の子はそれだけ言うと、パッと走って行った。

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