15-13 ラロック
ルナヴァルは配下の第3軍団を北に向けた。
エルヴァ・ルゥが撃ち落された場所にはアディアが迫っている。
ルナヴァルが駆け出した。
既に後退しつつあるメルダが気付いた。
「ルナヴァルが退かない!」
動きが鈍いロングボウガン隊を叱咤していたアジッカも慌てて視線を北に向けた。
「いざとなりゃロングボウガンなんぞ捨てたっていいんだ!あいつは何を考えてる!?」
ルナヴァルがロングボウガンを退かせる為の殿を忠実に務めていると思ったアジッカは引き連れていた精鋭500騎で前線に向かった。
「アジッカ駄目!ヴァリオン本隊が動いてる!」
「大丈夫だ、あのクソ真面目な女を引っ張ってくる」
エルヴァ・ルゥが倒れた場所を中心に、北からはアディアとラロック隊、その後ろからヴァリオン本隊が、南からはルナヴァル率いる第3軍団、更にアジッカ、両軍から騎馬が殺到していた。
アディアがエルヴァ・ルゥの許に到着する。珍しく取り乱していた。
「エルヴァ!無事か!」
軍師としてではなく愛する者として駆け寄った。
「ははは、アディア、軍師が、前線に出るとは、感心せんな。はは、あぁ、アディア、アディア・・・」
エルヴァ・ルゥの意識は途切れた。
「トールボゥ!姫をお連れして退け!」
ラロック隊の隊長トールボゥは無言で姫を馬に引き上げると後方へ駆けた。
見送ったアディアは南に視線を移す。
迫るのはルナヴァル。
飛ばしに飛ばしたルナヴァルは単騎。守護騎兵すら後方に置いたままアディアに迫った。
ラロック隊が防衛陣を張るが、アディアは馬をラロック隊の前に出した。
アディアは気付いていた。
ルナヴァルがなぜ自分を執拗に狙うのか。ゼリアニア最強との誉れも高い女戦士がどうして自ら盗賊団に身を置いたのか。
ジェルマが面倒を見ていた黒い眼帯の少女をアディアも目にした事はある。
先の戦闘で“恩知らずのアディア”と罵られるまで気付かなかった。
しかし、今はっきりと認識した。
見よ。白銀の鎧に身を包み、単騎迫る女騎士は隻眼ではないか。
あれこそルナヴァルに違いない。まさか、あのおどおどとした少女がザレヴィア最強の女騎士と同一人物だとは思いもよらなかった。
大したものだ。ゼリアニアの精鋭と呼ばれる守護騎兵の中隊長に昇りつめ、アジッカまで動かしたか・・・。
戦うべき相手ではない。
アディアの思考は未来に飛んだ。
分かり合えればルナヴァルは共にゼリアニアに向かうべき同志のはずだ。
ならばこれ以上の遺恨は残さない方がいい。
しかし、ルナヴァルに戦う理由がなくなろうと、動き出したランパシア軍は止まらないだろう。
ウルディアとゼリアニアの間で戦いが始まる前から、すでにゼリアニア側で戦うと決めていたようだ。そこに理念や主義は無かろうと戦略はあったに違いない。
そうだ。アジッカには戦略しかなかった。その戦略を与えたのはルナヴァルだ。
アジッカ率いるランパシア軍はルナヴァルに引きずられていたのだ。
しかし、動き出した今、簡単に戦略を転換できるとは思えない。
与えられた者ほど、それに執着するものだ。
では、どうする?
思考が現在に戻る。
何はともあれ、ここは両軍を退かせるしかあるまい。
「ラロック隊は待機!」
飛び出したアディアはルナヴァルと一騎打ちの形となった。
誰もがアディアの死を確信した。
ルナヴァルが先ほど見せたエルヴァ・ルゥとの一騎打ちはザレヴィア最強を証明するに十分な内容だった。
一方、アディアが戦う姿を見たものはいない。上背はあるものの華奢に見えるし、ましてや日常的な鍛錬が必要な騎上戦ができるとはとても思えなかった。
「アディア!お前の首をジェルマの墓前に供えてやる!そこでジェルマに詫びるがいい!」
ルナヴァルは一撃に突き殺そうと槍を突き出した。
(ガキィッ!!)
ルナヴァルの槍はアディアの剣に弾かれ、体勢を崩したルナヴァルはもう少しで落馬するところだった。
信じられないという目を見開くルナヴァルに、アディアが迫る。
振り下ろされた剣は鋭く重かった。
ルナヴァルが叫ぶ。
「貴様、エナルダかッ!!」
「それは君も同じ事!!」
アディアはルナヴァルを“君”と呼んだ。
ルナヴァルですら舌を巻く戦い振りをアディアは見せた。
その強さがルナヴァルを冷静にさせる。
そして何かを感じた。
「強い・・・人として強い」
それはアディアの人間性とでも言おうか。立ち振る舞いや言葉から染み出すようなその人間の本性。それは戦いにおいても、いや命をかけた戦いだからこそはっきりと見えるのだ。
2人の打ち合いは僅かに7合、戦いの間合いのまま対峙した。両軍が南北から迫る。
2人に与えられた時間は残り僅かしかなかった。
アディアが叱りつけるように大声を放つ。
「浅慮者ルナヴァルよ、聞け!」
君はジェルマに恩がある人間だという。
それがどうだ、ジェルマの尊厳まで汚したアルエス教会の守護騎兵だというではないか。それが何かの為であろうと、それは君という人間の在り方の問題ゆえ何も言わん。しかし、その手先となって他国を侵すとは何事か!
ルナヴァルも叫ぶように返す。
「盗人猛々しいとはお前の事だ!」
お前がジェルマを殺したのを私はこの眼で見たのだ。元よりアルエス教会もザレヴィアも相容れる者達ではない。
ランパシア公国とてお前への復讐のため利用しているに過ぎん。お前の首をもって南へ取って返し、ゼリアニアを恐怖と混乱に陥れてやる!
アディアはもう剣を降ろしていた。
「悲しい事だ、ルナヴァル。君はジェルマと接していながら、人の苦しみは理解できても人の愛は理解できなかったか」
ジェルマの最後の言葉を教えよう。
『それで良い』ジェルマはそう言った。
だからジェルマと共に死ぬはずだった私はヴァリオンに来た。そうだ、私もザレヴィアへの復讐という目的のために生きているのだ。だが、君とと一緒にされては困るぞ、私は仲間を捨てたりはしない。
西大陸がヴァリオンの旗で埋め尽くされた時、私の復讐も終わるだろう。もしヴァリオンの旗が全て潰える時が来れば、私も生きてはいない。望みは果たせぬとも自らの行いの結果を受け入れるのみ。これもジェルマの教えだ。
ルナヴァルの槍が手から落ちて派手な音を立てた。
そこへ守護騎兵6騎が迫った。
さすがにラロック隊も馬を進める。
『手出し無用ッ!!』
アディアとルナヴァル、双方の口から絶叫に近い声が響き、両軍が停止した。
ダイアスとアジッカが軍を停止させたのだ。
ダイアスが馬を進めて言った。
「ルナヴァルと言ったな。アジッカに申し伝えよ」「ヴァリオンの敵はゼリアニアであり、それは相容れぬ者との戦いであると」
「・・・」
「伝えなくても、聞こえたぜ」
アジッカだった。
全軍が緊張に包まれた。両軍の王が対峙している。
「アジッカ、久しぶりだな」
「ふん、相変わらず偉そうだぜ。それに久しぶりなんていうほどの付き合いなんぞ無ぇ」
「公爵になったと聞いたが、品の無さは蛮族以上だな」
「うるせぇ、今日のところは退いてやる。だが、戦いは終わらねぇ。次に会う時は俺が玉座でお前は床だ」
「いいだろう。心してかかって来い」
「ふん」
振り返ったアジッカがどなった。
「よし、全軍退けぇ!」「ルナヴァル!何してやがる!とっとと退け!」
アジッカは全軍を下げ、大胆にも背を向けた。
その胆力にダイアスも珍しく見惚れている。
そのダイアスに耳打ちをする将校がいた。
「ダイアス様、全軍が背を向けるなど戦う者として迂闊に過ぎます。いま追撃すればアジッカを討ち取って大勝間違いありません。すぐに・・・」
その先の言葉は続かなかった。
ダイアスの剣が胸を貫いたのだ。
「いらぬ事を」
血を吐きながら馬から落ちる将軍を一瞥して、小さくなったアジッカの背中に目をやった。
なるほど、あいつ器を大きくしたな。
昔は見るからに危ない抜き身の剣のような男だった。
それが鞘に収まった。その鞘がランパシア公国なのか他の何かなのかは分からない。
ヴァリオンがこの大陸で覇を唱えるのであれば、必ずぶつかる事になるだろう。
まぁ、そんなところまでいければ俺もアジッカも大したものなのだがな。
「者共、勘違いするでないぞ。戦場に情などない。この砂の戦場はそんな生やさしいものが根を張れるほど甘くはないのだ。アジッカを討たぬのは奴らの勢力が後に我等の力となるからだ。ただし、あくまでヴァリオンと対峙するというのであれば、完膚なきまでに叩き潰してくれよう」
戦場は静まり返った。
「よし、退け!!」
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総合的に見れば両軍ともに被害は驚くほど小さかった。
これは戦力的に優勢であったヴァリオンの動きが慎重だったのと、アディアとダイアスのランパシアに対する考えが一致していた事。また、両軍とも指揮系統が強固だった事による。
また、主戦場の西ではビスガルドの強襲隊がマゴルタのランパシア第2軍団とバルナウルのシルド将軍を相手に互角に戦い、ビスガルトはその名を高める事となった。
こうしてヴァリオンとランパシアの戦いはその第一幕を閉じた。
そして、今度はランパシアが動く番だった。
ダイアスはアジッカに投げかけたのだ。“共闘か決戦か”