15-12 軍師二人
ヴァリオンとランパシアの戦いは、アディアとメルダの戦いであった。
両軍の間で本格的な戦闘はまだ行われていないのは、剣の戦いに至る以前の軍師同士の激戦によるものなのだ。
戦線は膠着しているように見える。だからこそ、ひとたび戦いが始まれば激戦になるだろうと誰もが予感していた。
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両軍はわずか1.5ファロ(約600m)ほどを隔てて対峙していた。
ヴァリオン軍は騎兵を中央に配置し、中央突破を狙う構え。当然ランパシア軍は中央に重装歩兵、両翼に騎兵配置し、敵の圧力を受け止め包囲する構えだ。
布陣だけ見ればランパシア軍に分があるように見える。ヴァリオンが中央突破に手間取るようなら包囲される危険性が高いだろう。しかし、中央にあって敵の突撃を受け止める兵が不足していた。
結局、ゼリアニア兵団は姿を見せなかった。むしろランパシアとローディア国境地帯に兵力を集め、防衛ラインを構築しているらしい。
アディアにしては珍しい力押しの布陣は、兵力で上回っているからであろうか。
それにしても・・・
なぜアディアは歩兵を騎兵よりも先に進めないのだろうか。
攻撃をしかける者が主導権を握るのなら、この戦いの主導権はヴァリオンにある。せめて歩兵をあと1ファロ(約400m)でも進めておけば多彩な攻撃が可能となるはずなのだ。
「突破作戦と見せて包囲戦に移行します。ランパシア軍は寡兵ながら手強い。この機会に殲滅しておかねばなりません」
アディアはランパシア軍が今後の大きな障害になると見ている。力を認めたからこそランパシア軍の消滅を狙ったのだ。
「シルド殿は戦いが開始されたら敵の外側に沿って南東方面へ走ってください」
「承知した」
「姫は弓装騎兵を率いて中央から突撃を。弓の射程まで近づいたら射撃戦を展開してください。狙いは敵の騎兵です」
「この騎兵は弓を撃つのか?」
「はい」
「ヴァリオンの騎兵に弓を持たせるとは、あまり感心せんな」
「お気持ちは分かりますが、地上戦の推移として騎兵が主力となれば飛び道具が有効なのです」
アディアは結果を見てきたように言い切った。それはどの世界のどんな戦いなのだろうか。
「わかった。お前の言うとおり戦おう」
エルヴァ・ルゥはアディアに微笑んだ。それは情愛。
将軍達の目もはばからず、全てを捧げた情愛に満ちた微笑を見せた。
戦いに向かう時、エルヴァ・ルゥは最大の愛を示す。笑顔は愛に満ち、女の艶色に輝いていた。
それは父のダイアスが見てもどきりとするほどの色香に溢れ、なまめかしささえ感じさせるのだった。
アディアから一通りの指示が行き渡ると、各将軍は散った。
◇*◇*◇*◇*◇
ランパシア本陣
「ヴァリオンは動かんな」
「・・・」
「・・・メルダ?」
アジッカが目を向けると、厳しい目をしたメルダが前線を睨んでいる。
「おかしい・・・突撃騎兵じゃない」
その厳しい視線が東を見て、西に向けられた。
「駄目、このままじゃ駄目!」
「どうした?メルダ!?」
「アディアは天才の領域に片足を踏み入れた」
「は?」
「全軍を南に引かせて」
「なに言ってんだよ、おい!敵はすぐそこだ、こんな平原で後ろを見せたら、それこそ全滅だぜ!」
「大丈夫。南に小さいけど丘がある。そこに砦を築かせてある。ロングボウガンはすぐに動かさないと間に合わない!」
「落ち着け!メルダ、説明しろ」
「ごめんなさい」メルダの目は混乱と怯えに支配されている。
「謝らなくていい、説明しろ」
「私が間違えた。アディアは天才になった」
「そんな事はいい!なぜ俺たちは退く!」
「アディアは西の虚兵に気付いた。私の策に乗ったと見せて東に本隊とエルヴァ・ルゥを移動させた。でも、西にも兵力を残している。全兵力を投入したのも兵力の分散を隠して包囲戦に持ち込むため」
「なに?じゃ、擬装部隊は・・・」
「もう間に合わない」
「伝令が出るだろう?そう指示したはずだ」
「駄目。全てを知ったアディアが伝令を見逃すはずがない」
アジッカとてランパシア軍の兵力が劣っているのは最初から承知している。
しかし攻撃を受け止める側なら歩兵の壁が最初から戦いに投入できる。それにロングボウガンがある。正面からぶつかり合いなら十分に戦えると思っていたのだ。
しかし、西からも敵が迫るとなれば話は別だ。
それは西方面への誘い込みと思わせる移動経路をも失ったことを意味している。
メルダが築いておいた南方面の砦は最後の撤退路なのだ。
「主導権を持つのはヴァリオン。速攻すべき作戦なのに動かない。攻撃を開始しないのはヴァリオンの都合。それは西からの軍がまだ揃っていないから。揃ったら殲滅される。ゼリアニア兵団も来ない。アジッカが死んじゃう!」
メルダの混乱はますます酷くなっていった。目には涙が溢れている。
「よし、分かった。大丈夫だメルダ。お前なら大丈夫だ。慌てなければ策はあるはずだ」
「駄目!網にかかる前に逃げないと!」
アジッカはメルダの頬を両手で包むように押さえた。
「メルダ!!・・・大丈夫、落ち着けば大丈夫だ」
混乱したメルダが動きを止めてアジッカを見た。
アジッカはその目に強くそして優しく言った。
「大丈夫だ。俺の軍師はそんなヤワじゃない。このアジッカの軍師なら」
メルダは沈黙し、徐々にその瞳に落ち着きを取り戻していった。
「大丈夫。私はメルダ・フィルダーク、アジッカの軍師だ」
「そうだ、お前は俺の軍師だ。だから俺を救え、俺に命じろ、どうすればいいかを」
「少し待て」
メルダが思考していた時間はほんの僅かだった。
「ロングボウガン隊を前面に。マゴルタ将軍の第2軍団は西へ走って、西から来る敵に一撃を」
「な!?・・・いや、分かった」
メルダから直接指示が飛ぶ。
「西から敵軍が来る。マゴルタ将軍は西へ進出してこれを防げ!」
「中央歩兵はロングボウガン隊が最前列になるよう後方へ移動!」
「敵騎兵は軽騎、突撃はしない。左右に展開して射撃に入る。ロングボウガンの射程に入ったら射撃を開始!」
一瞬、ランパシア軍の動きが止まった。
メルダから直接の指示が出たためか、その内容が思いがけないものだったのか、沈黙がランパシア軍を支配した。
直後アジッカの大声が響いた。
「どうした野郎ども!行けぇッ!!」
「俺に続け!」マゴルタが飛び出していった。
本隊も次々と移動を開始する。
丁度その時だった。ヴァリオン軍の突撃が開始されたのは。
アディアは、突撃を開始したエルヴァ・ルゥを見送った直後、ランパシアの軍から西に走る一隊を見た。
「いかん!姫をお止めしろ!!」
「シルド殿は西へ走ってビスガルドの援護を!」
「ダイアス様!本隊の指揮をお願いいたします!」
マントを投げ捨てると蒼い鎧が陽光に輝いた。
アディアは兵が準備した馬に乗るや飛び出す。
その直後には“ラロック隊”3個小隊が続いた。ラロックとは花に住む小さな甲虫で、花の蜜を吸う代わりに葉を食べる虫から守るのだという。
そこから花の軍師の親衛隊はラロック隊と名付けられたのだ。
アディアを追う一団はまるで青い花を追う虫たちのように付き従った。
突撃のタイミングは両軍にとって早過ぎた。
ヴァリオン軍は西に走るマゴルタ隊によって策が破れた事に気付いたであろうし、ランパシア軍はロングボウガンによる迎撃態勢も整ったであろう。
エルヴァ・ルゥ率いる弓騎兵が射撃位置につく前にランパシア軍は引いていた。
「なんだこれは?」
速度を緩めつつ訝るエルヴァ・ルゥ。
「これでは弓が届かん。もっと敵に接近せねば・・・しかし、なぜ敵は退いた?」
改めて敵を見た。
違和感。
敵の退き方がおかしい。まるで潰走だが混乱はしていない。
こんな退き方などあるものか。
ランパシア軍内で何か混乱が起きたか?いや、我等の追撃を想定していないのだ・・・
エルヴァ・ルゥの脳裏に警報が鳴る。
「開けぇッ!!」
エルヴァ・ルゥは“退け”と命じようとして“開け”と叫んだ。
作戦では敵を射程内に捉えてから散開して射撃を行うはずだったが、まだ敵は射程外にも関わらず散開を命じたのだ。
直後、鋭い音が空気を切り裂いた。
エルヴァ・ルゥの周りにいた騎兵は馬も兵士も鎧ごと撃ち抜かれた。
エルヴァ・ルゥも右大腿部に衝撃を受けて落馬、自慢の駿馬はエルヴァ・ルゥの盾になったように何本もの矢が突き刺さったまま横倒しになった。
「くっ!ロングボウガンか!?」
焼けるような痛みに顔をしかめながらもエルヴァ・ルゥは敵陣を睨んだ。
矢を放った後のロングボウガンなど単なる荷馬車だ。
直前に散開していたため被害は小さい。何とか攻撃には出れそうだ。
そう思った瞬間だった。
ロングボウガンが再び矢を放った。
左腕を引きちぎられたような激しい衝撃。
それでも落馬し地面に伏していたエルヴァ・ルゥは幸運であった。
エルヴァ・ルゥの視界にバタバタと騎兵が落馬してゆく。
朦朧とする意識の中、倒れた兵士に馬に突き刺さった太い矢を見た。
通常の弓やボウガンとは比べ物にならないほど太い矢。
馬ですら即死の必殺の矢だ。
ランパシア軍のロングボウガン隊は、エルヴァ・ルゥ率いる弓騎兵の射程外から必殺の破壊力を秘めた矢を放った。
移動が間に合わず、矢を放つ事ができたのは全体の1/3にも満たないが、ランパシア軍陣営からはエルヴァ・ルゥを仕留めたように見えた。
そのロングボウガン隊も退き始め、殿に残るのはルナヴァルが率いる第3軍団だ。
「よし、退くぞ」
そう言って振り返りかけたルナヴァルの視界の端に蒼い騎士が映った。
見開かれた右目がはっきりと捉えた。
「アディア!!」
アディアを先頭に十数騎の騎馬がエルヴァ・ルゥの許へ向かう。
「くそっ、ロングボウガン隊が残っていれば!!」
「第3軍団は移動止めぇ!頭ッ、北ッ!」
ルナヴァルは配下の第3軍団を北へ向けた。