15-10 メルダ
アジッカ本陣
戦局を見ていたアジッカが苛ついた声をもらした。
「西の敵は動かないか」
「敵は西の丘のロングボウガンに気付いた」
答える声はアジッカの傍ら、下方から聞こえた。
アジッカの胸の高さで金色の髪が揺れる。
断定的な表現と無愛想な物言い。その声は落ち着いた冷たさと同時に幼さも感じさせた。
苛ついたアジッカはなおも吐き捨てるように言った。
「ちっ、結構な金と手間をかけたロングボウガンが宝の持ち腐れかよ」
「あの場所はヴァリオン軍にとって死地。つまり壁があるようなもの」
「壁があったって敵は倒せんぜ」
「単なる壁とは違う。飛び道具を備えた壁。だから敵は西方面で包囲されているのと同じ。残るは東と北、東から包囲すれば勝ち」
言い切った軍師はあどけない少女。
名はメルダ・フィルダーク。
明るい金髪と華奢な身体。年齢はまだ14歳でしかない。
ヴァリオンとバルナウルによって滅ぼされたゼレンティ王国の将軍の娘だ。
「西の壁に気付いた敵は戦場を東へ移そうとする。ゼレンティ街道戦線からバルナウルのシルドもこちらの戦線に投入して突破を狙っている」
「押されてるじゃねぇかよ」
「ヴァリオンは戦線に全兵力を投入している」
「何でよ?」
「馬鹿だから」
「はぁ?相手は花の軍師だぞ」
「みんなそう思う。だから敵の作戦兵力を見誤る。アディアが馬鹿な事をしたら、まさかって思う。だから迷う。みんな単純」
「くそ、単純って俺もか」
メルダはアジッカのぼやきを無視して声のトーンを下げた。
「アディアが天才なら西から出て来る」
「はぁ?なんでそうなる?」
「アディアは誠実。だから優秀な軍師」
「意味が分からんぞ」
「アディアは誠実。歴史・地形・季候・摂理に対して。人の思考にも誠実。誠実ゆえに策は理に適っている」
「だから、アディアが天才じゃないってのは何なんだよ」
「西の丘にロングボウガン隊はいない。天才なら西を押さえて、東からシルドで包囲する」
「なに!?ロングボウガン隊はどうした!?」
「もう東方面に展開している頃」
「いつ動いた?」
「一昨日の夜」
「かぁ~、頭領の俺が知らんのか。メルダ、俺に話さなかった理由が作戦を成功させる為だって言うなら、この軍勢はそっくりお前に譲って、俺は消えるぜ」
「・・・ごめんない」
メルダが泣き出した。
「あぁ、もぉ、泣くな。それで東はどうなる」
涙を拭きながら応えるメルダの声はいつもと同じように低く冷静だ。
「東は難しい。もう一つの戦線が動いているから。私にはそれが見えない。だから不確実」
「もう一つの戦線って、ゼレンティ街道の戦線は200ファロ(80㎞)以上離れているんだぞ」
「中途半端な距離は危険」
「よし、俺は500騎ばかりを連れて東へ駆けよう」
「あ・・・」
「メルダも一緒に来い」
「いいだろう」
ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に明るい声が乾燥した空気を震わせた。
◇*◇*◇*◇*◇
先に行われたゼレンティ戦争(ヴァリオンが砂嵐作戦と呼んだ、ゼレンティ首都急襲作戦)はヴァリオン・バルナウル連合の圧勝に終わった。
アディアの作戦では王族・貴族をゼレンティ南部へ追い出す予定だった。
ゼレンティの王族を残す事でゼリアニア諸国の干渉を最小限に食い止めようとしたのだ。
しかし、ヴァリオン軍とゼレンティ軍の戦闘能力の差はアディアの予想以上に大きかった。急襲作戦は上手く行きすぎ、多くの王族や貴族が捕虜となった。
ヴァリオン軍がゼレンティ城に踏み込んだ時、城内はお茶の時間だった。誰もが理解できなかった。目の前に現れた蛮族に。
振られた剣も倒れる給仕も全てがスローモーションのように見えた。
蛮族は服装で貴族か否かを判断し、質素な服装の者は直ちに殺された。
メルダも他の女達と一緒に捕らえられ、縄に繋がれて城外に引き出された。
捕らわれた時も全く感情を見せなかったメルダは、あまりのショックに茫然自失の状態だと誰の目にも映った。
しかし、彼女にとっては何も変わらなかったのだ。
ゼレンティの屋敷でもヴァリオンの牢獄でも。花咲く庭園でも乾燥した荒野でも。
ゼレンティの屋敷では、豪華な部屋と食事、見事な調度品と美しい装飾品、彼女は全ての物を与えられた。しかし愛情だけは与えられなかった。
誰もがうらやむゼレンティ王国の貴族に生まれたメルダは、決して幸福ではなかったのだ。
彼女は天才と言ってよかったが、大人から見れば不気味な子でしかなかった。
多くの人間に囲まれながらも彼女は孤独だった。
彼女は父が仕事としていた戦いの資料に没頭した。それを通じて父との繋がりを求めたのだろうか。
彼女は部屋に閉じこもって戦いの資料や歴史書を読み漁った。歴史とは戦いと権謀策術の積み重ねでしかない。
戦いの記録を積み重ねると普遍の原則が見えた。“知る者が勝つ”
ヴァリオンでの捕らわれの身もそう長くは無かった。
ゼレンティの消滅だ。
ヴァリオンにとってメルダ達ゼレンティ貴族は何の価値も無くなった。
アディアが制止する前に、エルヴァ・ルゥによってゼレンティの上層部は処刑されていた。
エルヴァ・ルゥはいまだに蛮族の性質を色濃く残した女戦士なのだ。
メルダが生き残ったのもほんの僅かな幸運でしかなかった。
牢獄に踏み込んだ強襲隊に反応もしないメルダだけは殺されもしなかった。既に死んでいると思われたようだ。
彼女は死体と一緒に運び出され、荷台に載せられて、遠く離れた場所にある崖から捨てられた。
衰弱した身体と疼くような頭痛に動く気も失せていた。
空は暗くなっては明るくなることを繰り返し、メルダは死体の腐臭漂う地で果てようとしていた。
その時、声が聞こえたのだ。
「軍師はいないか。俺の野望を叶える軍師はいないか」
身体を揺らしながらやっと立ち上がったメルダは南から来る騎馬を見た。
あれほど遠くに居る男のつぶやきが聞こえるのは何故だ?
男は単騎、頭に赤い布を巻き、物憂げな眼差しは遠くを見ていた。
だいぶ近づいてもメルダに気付かないようだった。
「うっ、臭ぇな。こんなところに死体を捨てやがってヴァリオンめ」
「ここにいる」
声に振り向いたアジッカの眼が捉えたのは、まだ10歳台半ば程の少女だった。
「ここにいる」
「・・・何だこのガキ、生きているのか。こんな地獄で」
「お前が探している私はここにいる」
「何言ってる?狂ってるのか、まぁ無理もねぇ。可哀想だが・・・いや正気だった方が地獄か」
「私を連れてゆけ、お前に戦果を与える」
「貴様・・・狂ってる訳じゃないのか」
「狂ってなどいない。私を連れてゆけ」
「意味が分からん、俺を戦で勝たせるというのか」
「そうだ。私が勝利を与えよう」
「ふん、やっぱり狂ってやがる。盗賊の俺を大陸の王にでもするつもりか」
「覇権ではない、戦勝だ。大陸の覇権を与えるまでの自信はない」
アジッカは少女の目をじっと見た。
( こいつ、狂ってるどころか・・・ )
「さあ、私を連れてゆけ」
( 狂ってるどころか、冴え切ってやがる )
「連れてゆけ、私を、連れて・・・」
その後は言葉にならなかった。飲まず喰わずで涸れた身体のどこにこれだけの涙があったのだろう、とめどなく溢れた。
「手を出しな」
貴族らしく手の甲を上にしたまま差し出した手を、アジッカの大きな手が包むように握った。
軽々と引き上げられた身体はアジッカの前にストンと乗せられ、手綱を引かれた馬は来た道を戻る。
メルダは自分がなぜ泣いているのか分からなかった。自分の考えとは別に身体が反応する。その感情の爆発に驚き怖れた。
アジッカは何も言わず、時折手綱を振っては馬の腹を蹴る。
メルダはアジッカの体温を背中に感じながらうとうととしていたが、やがて体に掛けられた赤い布をぼんやりと見ながら眠りに落ちた。
眼を覚ました時には小さな泉に着いていた。
馬から降ろされたメルダは貪るように水を飲む。むせてはまた飲んだ。
「すまねぇな、飲む物っていったらこれしかなかったからな」
アジッカは酒が入っている金属製のボトルを振って見せた。
「よし、行くか」
再び馬上に引き上げられたメルダはなぜか寂しさに包まれた。
私は混乱をしていたのか。全てを失った感情に今頃気付くなど・・・。
いや、私は失うものなど持ってはいなかった。私が持っているものは全てこの頭の中にある。だから寂しくなどない。寂しいはずなどないのだ。
寂しさを癒すようにメルダの背中をアジッカの体温が包んだ。
こんな体温を感じたのはいつの事だっただろう。それはメルダの短い人生でも思い出せないほど昔の出来事だった。
メルダはまた少し泣いた後、眠ってしまった。
次に眼を覚ました時、アジッカの体温を背中に感じて安堵する自分がいた。
ふと、遠くに廃墟のような城が蜃気楼のように見えた。しかしそれが蜃気楼ではない証拠に多くの人々が出入りしている。
アジッカの困ったような呟きが聞こえた。
「行きがかり上とはいえ、俺らしくもなく連れてきちまったが、ルナヴァルに何て言えばいいんだ?」
「軍師を連れてきたと言え」
「なんだ、起きてたのか」
「私はメルダ・フィルダーク。お前の軍師だ」