15-1ゼリアニア
タガンザク山脈の西にある地域をゼリアニアと呼ぶ。
その昔、東西の交流が盛んになるにつれ、タガンザク山脈を境に東大陸、西大陸と呼ばれるようになっていった。東大陸の国々は西大陸を単にゼリアニアと呼び、東大陸を北南西の3地域(後に中央が加わり4地域)に区別した。
西大陸の国家群は西大陸を東西南北には区別しなかった。それ故に東大陸の人々が使うゼリアニアの呼称をそのまま自らを指すものとして用い、それ以外を蛮族と呼んでいた。
東大陸の呼称もインティニア、レストルニア、ジルキニア、(後にフォルティニアが追加される)と、そのまま使用している。インティニアは東大陸では蛮族と呼ばれる事も多かったが、前出のようにゼリアニアは西大陸の蛮族のみを蛮族としていたのでインティニアと呼んでいる。
この一事でもゼリアニアの人々が合理主義に根ざしている事が分かる。ギルモアがフォルティニアなどと言いはじめた事を奇異に感じた事だろう。
合理主義とは感覚より理論を重んじるが、これはゼリアニア南部が太古より農業に適した地域であった事による。
春に種を蒔けば秋には収穫が出来る。他の地域に比べ干ばつや水害が極端に少ないゼリアニア南部はそれが約束された“幸福な地域”だったのだ。
2倍の面積を耕せば2倍の収穫を得る事ができる。
この、物事を始める時点で結果が約束されるという事が合理主義の出発点と言って良い。
そして合理主義は理論さえあれば、つまり辻褄さえ合っていれば何をしても良いという考えに変わっていった。それでも土地が豊かな時代は良かった。大地や海から得られる人間の報酬は格差こそあれ全ての人間を満たしていたから。
しかし、約100年前に発生した地殻変動によって、ゼリアニアを北から南に流れていた大河、ルアル・リーがその流域を西に変え、中南部を極端な乾燥地帯に変えてしまう。
更に地面の隆起によってタガンザク山脈の雪解け水は流れ込む場所をうしなって湿地と化し、この地域も作物の栽培には適さなくなってしまった。
この世界から人間が得る報酬が減った時、理論と辻褄はイコールではなくなった。辻褄は一部さえ合っていれば拡大解釈によって理論づけられ正当化された。それはもはやこじつけであり、どんな絵空事もまかり通った。黒でなければ白と言って良く、いや、黒でなければ青でも赤でも良いのだ。力ある者は自分の行いを正当化した。勿論、その行いとは欲望から発した行いだ。
人々の多くは疲弊し救いを求めた。もとより人々を疲弊させた張本人である王族や貴族に人々を救う能力はない。
むしろ助けを求める者は、利用され搾取されるばかりだった。
そのような暗黒ともいえる時代にアルエスという名の年老いた教師が書いた“全解の書”が人々の間に広まった。その内容は盗まない殺さないなどといった誰が見ても正しいと思う事の羅列に過ぎなかったが、ただ一言、“正しい者の死後は幸福である”という部分があったことで宗教の書になってしまった。
その老教師は人々に先導師として祭り上げられ、困惑の中で死んだ。
残されたのは救われたいと願うだけの人々だった。人々は真実など求めてはいなかった。この貧困や労苦から逃れる“辻褄”が欲しいだけだったのだ。
ゼリアニア最南端にあるザレヴィア王国は海路による大陸東との交易で栄えた国だったが、交易国だったサンプリオスが“大陸の炎上”によって崩壊し、強大な海洋性オルグの出現によって、その勢力は低下の一途を辿っていった。
厳しい環境が厳格な宗教を生み、宗教国家への道を歩んだのだ。
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ザレヴィア南部の地方都市アランジェから発生した宗教“アルエス教”は環境の変化に苦しむゼリアニア全域に勢力を拡大、いち早く国教としたザレヴィアはアルエス教の中心地として絶大な力を得る。
ザレヴィア国アランジェ教会にはアリエス教信者の最高位である教皇が居り、各国における中心的な教会である基幹教会の司教を任命する権限をも持っている。
ザレヴィア国王は教皇の協力を得てゼリアニアでの版図を拡大する一方、海の回廊を復活させていた。
巨大な装甲艦によって海洋性オルグから商船を守り、ロングボウガンを装備した戦闘艦による駆除も行って、オルグの被害をほぼ完全に押さえ込んだ。最近では海洋性オルグの出没頻度は極端に低くなっており、サンプリオスとの交易が再開され、徐々に物流量も増してきている。
これによりサンプリオスの国力も急速に拡大していく事になる。
これらの影響は北の回廊の物流量低下という形で現れた。
インティニア(東大陸北部)とフォルティニア(東大陸中央部)ならば北の回廊が有利だが、レストルニア(東大陸南部)、ジルキニア(東大陸東部)なら海路の方が断然有利なのだ。
海路なら大量の物資を輸送できる上、輸送に要する期間も短い。
このようなザレヴィア王国の台頭による海の回廊再開の影響は、北の回廊を有するバルナウルは勿論のことエルトアにも深刻な影響を及ぼした。
バルナウルからレストルニアに流れる物流はそのほとんどがエルトア街道を経由していたからだ。
ギルモアを経由するペテスロイ街道があるが、サイカニアの山岳地帯が輸送に向かない事と大陸の炎上の敵国であるギルモアとの取引に積極的でなかった事によりエルトア経由の物流量がそのほとんどを占めていた。それによって得ていた利益を失ったエルトアは徐々に国力を低下させていった。
また、ジレイト街道やレジーナ街道を経由してタルキアに入る荷もだいぶ減少している。商業国家らしく、不利な取引相手でも一応はつないでおくという方針がゆえに物流が途切れる事はなかったが、タルキアへの物流はレスフォール街道を経由する比率が大きくなっていることが誰の目にも明らかだった。
【サンプリオスの首都アビリオン】
ザレヴィア王国から護衛艦隊を率いてやって来た艦長は、正式な使節団を横目に酒を飲んでいた。その男はバウリスタと名乗った。使節団に随行する人物としては言葉遣いが悪く横柄な態度が目立つが、むしろ頼もしさを感じさせるような男だった。
「蛮族だと?お前達がいうインティニアは蛮族ではない。しかし、ゼリアニアの蛮族は本当の蛮族だ」
「蛮族の条件?法は力という獣のような社会だ。何よりも欲望を優先し、死を恐れない。故に無計画かつ無慈悲」
バウリスタは自らグラスに酒を注いで一気に飲み干すと、テーブルに肘をついた右手の指でこめかみを支えるようにした。
彼の言葉はそのクールな眼差しより冷えていた。
蛮族の条件はそのまま蛮族の恐ろしさだ。
蛮族には騎馬兵が多い。というより騎馬でなければ戦士として認めない。
歩兵も存在するが、それらは被征服民族から駆り出された奴隷兵だ。
逆らえば殺されるので、彼らにとって生き延びる道とは闘って勝つしかない。
蛮族騎兵は欲望の為に戦い、奴隷歩兵は生き伸びる為に戦うのだ。
蛮族には大きく分けて2種類がある。
西方を根拠地とすヴァリオン族と北に勢力を張るゼルニオン族だ。
一時期バルナウルと戦争状態にあったゼレンティはゼルニオン族がヴァリオン族との戦いで衰えた時にゼリアニアから進出して立てられた国であって蛮族ではない。
ゼルニオン族は、被征服民としてゼレンティに残った者と更に北方へ避けた者、そしてバルナウルやヴァリオンに庇護を求めた者に分かれ、部族としては四散してしまったといえる。
一方のヴァリオン族は勢力が強く、ゼリアニア諸国にとって大いに脅威だ。
そんなヴァリオン族も元々は乾燥した平原で細々と生き永らえてきた民族だった。彼らは貧しくまばらに生える草でアマルカを放牧しながら生活していた。産業も持たず何の魅力もないこの地は周辺部族や国家からまるで相手にされず、というよりも人間としても見られなった。
それどころか戦闘訓練という名の侵略も受けている。これは実戦経験をさせるという目的で、周辺国家の軍隊がヴァリオンの地に侵入して集落を襲うといったもので、無意味な殺戮と略奪が行われるのが常だった。
個人戦闘力では決して劣らないヴァリオン族も装備を整え組織戦で向かってくる大軍には成す術もなかったのだ。
こうしてヴァリオン族に他民族への恐れと怨みが蓄積されていった。
暴力とは欲望と恨み、そして何よりも恐れから生み出されるものなのだ。後のヴァリオンが周辺国にもたらした禍はここから始まったといえる。
ヴァリオン族は男も女も馬に乗り、子供はアマルカに乗る。乏しい草を求めて移動を続けるので馬車に家財道具を乗せ、夜も馬車の中で眠る。
しかし、馬車は特別大きいわけでもなく、馬2頭曳きの中型馬車だ。このサイズなら馬1頭でも曳けるが、いざという時には1頭は騎兵と化し、残る1頭が馬車を曳いて逃げるのだという。
かつてのヴァリオン族は8氏族に別れており、それぞれが争ってきたが、伝説の蛮族王サゼルの登場によってヴァリオン族は統一される。
しかしその勢力はまだまだ弱く、周辺国家は相変わらず関心を持たなかった。
ところが、ゼリアニア中央を流れる大河ルアル・リーの流域が西へ変化し、ヴァリオン族の生活地域は乾燥した荒野から緑の草原に変わった。
彼らは馬を増やし、アマルカを増やし、人口を増やし、戦士を増やした。
そしてついにヴァリオンは周辺部族への攻撃を開始する。蛮族王はサゼルの孫の時代となっていた。
個人戦闘力はそのままに大幅に増員された死をも恐れぬ兵士達、それを超人的な戦闘力と天才的な戦術を駆使する王が率いたヴァリオン族は無敵だった。
制圧した周辺部族には食料と武具、馬などの年貢と歩兵を供出させた。この時点でヴァリオンの基本的な軍制と戦術が確立されたといえる。
自国の騎兵を中央と左右の3軍に分け、その前面に属国の歩兵を置くというものだ。
属国の歩兵はいわば壁であり、敵の攻撃を受け止める。一旦敵の動きを止めれば、左右の騎兵、更には中央の騎兵が敵軍をそっくり包囲してしまう。そして機動力に優れたヴァリオン軍は敵の逃亡すら許さなかった。戦いの度にほぼ全滅させてしまうのだ。
このヴァリオン軍の猛威は周辺部族や国家を疲弊させていった。特にヴァリオン族と国境を接し、かつてヴァリオンを人外として扱った部族はことごとく滅ぼされた。これは、5歳以下の女児以外は皆殺しにするという徹底振りだった。
しかしこの徹底した破壊がヴァリオン族の勢力拡大を停止させる。
農業従事者と歩兵とするべき人間を消し去ってしまったからだ。
“ヴァリオンの沈黙”と呼ばれる、この非戦闘状態は20年以上、現在でも続いている。
「これが蛮族だ。最近ではヴァリオンに対する各国の警戒も緩んでいる。むしろゼリアニア国家同士の争いが多発しているのが現状だ。くだらん事だ」
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しかし、ヴァリオンはこの期間に大きく変貌していた。
サゼルから数えて4代目の王位を継いだ蛮族王ダイアスの許に一人の男がゼリアニアから流れてきた。ダイアスがこの男を登用してから、ヴァリオンは急速に国家の体裁を整え始めたのだ。
蛮族王ダイアスは勇猛なだけの王ではなかった。相手が誰であろうと能力を正当に評価して使う事ができた。またダイアスに返事さえすれば褒美が得られると揶揄されるほどに褒美を多く分配する男だった。これが個人能力主義の蛮族戦士を組織化する際に非常に役立った。
ヴァリオンの沈黙によって蓄えた力とそれを率いる王と優秀な補佐。ヴァリオンの侵攻は再開されようとしていた。
一方のザレヴィア王国も長年にわたる灌漑工事によって湿地の水を東部へ送り、ほぼ全域で農業が可能となった。これによってますますゼリアニアにおいての勢力を拡大していく。
食の確保は遠征を可能とする。交易によって技術力を高め、農業生産力を向上させたザレヴィア王国もまた勢力拡大の時を迎えたのだった。