14-9 怯える森
サイカニア西部
既に冬となった10月の下旬。
深い森から一人の男が街へと向かっていた。
ロバが引く荷車に荷物を満載している。しかし、その荷車を引くのはその男本人だ。
男が大変な力の持ち主である事が分かる。
その男は浅黒い肌に頭髪はきれいに剃られ、上半身は両腕を肩から露わにした薄いシャツ一枚だった。
この寒さの中、異様な外観であった。
しかも男の目は白く濁り視線も動かない。視力はほとんどないといって良いようだ。
それでも荷車はくねる道に沿って、時にぬかるみを避けながら進んだ。荷台にも男の肩にも小鳥が何羽も止まって盛んに囀っている。
やがて男の引く荷車は街へ入った。
男の季節に合わない姿にぎょっとする者も居るが、人々の多くは慣れているのか、驚きの素振りさえ見せない。
「よぉ、ガルディ!これからかい?」
「あぁ、今着いたばかりだ」
「そうか。用事が済んだら来てくれよな」
「あぁ、寄らせてもらうよ」
知り合いらしい男に声を掛けられてのやりとりを見ると、いたって普通の市民だ。ただ、声の方に顔を向けるが、視線は相変わらず動かないままだ。
その後もガルディと呼ばれた男は荷車を引き続けた。
ある大きな屋敷の前で止めると、掃き掃除をしている下女に声を掛ける。
「済まないが、ご主人に伝えてくれないか。干し肉を持ってきたと」
ここの主人は宿を営んでおり、酒場で出す料理にガルディの干し肉を使うのだ。
下女はガルディを見るなり嫌悪の表情を見せた。
下女が屋敷に駆け込むように姿を消すと、変わって若い男が姿を現した。
「父は出ているから私が話を聞こう」
「いつもご贔屓に。干し肉をお持ちしました。山アマルカとイノシシ、お約束の量です」
若い男は蔑んだ視線を遠慮なく向ける。ガルディの腕力や頑強な身体すら下賎がゆえと感じているようだった。
「おい、荷台の肉の重さを計ってを運び込め」
若主人は使用人に重さを計らせた。
「0.5リガル(約125kg)に2リグノ(約1kg)欠けます」
「ガルディ、重さが足りない。代金は払えないぞ」
「干し肉はその時の季候で重さが違ってしまうのです。今日のような乾燥した日は特に」
「しかし足りないのは事実だ。そもそもそんな心配をするなら少し多く持ってくるというのが筋だろう」
「しかし、ご主人との約束では5リグノは誤差範囲として認めるとしていますが・・・」
「そんな事は知らん」
「しかし、私も持ち帰る訳にはいきません」
「では、4万パスクで買い取ろう」
「約束は5万パスクです。不足分を計算するにしても400パスク程度ですから4万では安すぎます」
「安すぎるだと?干し肉の相場などその程度のものだろう。それにいつも買ってやっているではないか。たまには値引いても良いではないか」
ガルディは主人と話をしたかったが、時間が無かった。
この後、市場に寄って毛皮を卸し、必要なものを買い込んで帰っても日没ギリギリだ。
彼にとって日没は何の意味もなさないが、彼を待つ者が気掛かりだ。
「4万・・・5千という訳にはいきませんか」
「駄目だ。4万で売らんというのなら、帰ってくれ」
「分かりました。4万でようございます」
「ふん、最初からそうしておけばよいものを。そうだ、マスエナルはあるか」
「ございません」
「そうか、最近マスエナルを軍が必要としているからな。あったら持って来てくれ」
「はい、承知しました」
若主人のやりとりをハラハラしながら見ていた使用人は、荷台から干し肉を下ろす時にマスエナルを入れた箱を発見したが、何も言わなかった。
ここで若主人にそれを告げたら激高して更に無茶な要求をするに違いない。
使用人は主人がガルディを贔屓にしている事を知っている。
ガルディの干し肉は味が良く、むしろ主人がガルディに他へ卸さないよう依頼しているのだ。ガルディは干し肉を売り始めたばかりの頃、市場へ卸す許可を得るのにここの主人に力を借りた。だからガルディは主人の言う事は聞く。
若主人は後で主人から叱られるに違いない。
ガルディは去り際に次回から干し肉の量は少なくなると伝えた。若主人はガルディのあてつけと感じて不快さに顔をしかめた。
「おい、ガルディ、お前が約束より少ない量を持ち込んだんだぞ。それが不満か」
「いえいえ、滅相もありません。最近は得物が少なくなりまして、0.5リガルはかなりきついのです。私も以前ほど動けなくなりましたし・・・」
「だめだ。次回だけでいいから0.5リガルを持って来い。その時、親父に話して了承してもらうんだ」
値段は勝手に決めるくせに量は決められないのか。
商売において買値の決定は上げるにしても下げるにしても重要な事だと分かっていない。
安くなったらいいだろうでは済まないのが商売なのだ。
ガルディはこの若主人と商売の話はできないと再認識した。
「・・・承知しました」
*-*-*-*-*-*
ガルディは毛皮商人の店に急いだ。
ガルディは狩った獲物の干し肉と毛皮で生計を立てているのだ。
ガルディは毛皮を卸し、その店にマスエナルも卸した。
「今回も毛皮の質が良いな。矢傷も全く無いし、罠にしては毛並みも痛んじゃいない。一体どうやって狩りをしてるんだ?まさか薬を使ってる訳じゃあるまい?」
「もちろん薬など使わない。干し肉も卸してるんだからな」
「そりゃそうだな」
「・・・頭を狙ってるのさ」
「頭?」
「そうだ。頭を打って仕留めれば毛皮に傷は付かんし、干し肉の味も良くなる」
「なるほどな。しかしこれだけの量を揃えるのは大変だろうに」
「・・・」
毛皮商人の目が微かに光った。
「これが毛皮代、そしてこっちがマスエナル代だ」
「む、マスエナル代がずいぶん多いような・・・」
「あぁ、北の戦乱からマスエナルの価格が上昇しててな、上乗せしておいた」
男はマスエナルを箱に詰めながら事も無げに答えた。
「しかし・・・」
ガルディはどんなに親しくとも恩を受けるのが嫌いだった。どんな小さなものでも恩というものはガルディを縛る面倒この上ないものなのだ。
干し肉の一件も主人への恩が無ければ、さっさと引き上げて他に売ってしまうところだ。
そんなガルディを知る毛皮商人はやれやれという表情を浮かべた。
「気にせず取っておけよ」
ガルディはふと思い出したように聞いた。
「そういえば宿屋の若旦那は相変わらずか?」
この毛皮商人は裏で賭場を開いている。そして、ガルディが干し肉を卸している宿屋の一人息子はその常連だった。
「あぁ、今月も儲けさせてもらった。思慮が浅くて体面に拘るヤツほど良い客はいない」
「そうか。ならばこのサービスも喜んで受け取っておこう」
「なんだそりゃ?・・・まぁ、いい。それより、耳に入れておきたい事がある・・・」
エルトアにギルモアの上層部が頻繁に入国しているようだ。
「上層部?」
エルトアは他国の要人の入国を極端に嫌う。特定の国家と親密にならないのが技術力を最大限生かすための国家戦略だからな。それなのにギルモアとの交流が増えた。
何かあるだろう?
それに、最近のエルトアは弱気な外交が目立つ。
今の国王は、頭は良いがそれだけだ。技術力を高める事ばかりに力を入れて、それを活かすという事を知らん。
国を保つ為に技術力と外交力を駆使するという努力と苦労に耐えられないようだ。同盟を結んで白黒付けたいと考えているらしい。
「白黒って、そんな事をしたらエルトア国の存続自体が危いじゃないか」
国王は若いし、取巻き連中も戦知らずが多いからな。国王もそういった連中との話が合うんだろう。しかし、このままではギルモアと同盟を結ぶ事になる。
ギルモアが最近何て自称しているか知っているか?
「知らん」
フォルティニア(中央の国)だそうだ。
「フォルティニア?」
ゼリアニアはタガンザク山脈の西側、インティニアは蛮族、ジルキニアはクエーシト、グリファ、タルキア、そしてレストルニアは旧サンプリオスと定義しているそうだ。
「じゃ、フォルティニアとはバルカやトレヴェント、エルトアも含まれるという事か。しかし、ブレシア以北はどうするんだ?」
あれはインティニアとしている。つまりギルモアはフォルティニアとインティニアにまたがる大国家という事になるのだろう。くだらん話だ。
エルトアが頼るとしたら国力的にギルモアかバルナウルとなるだろうが、バルナウルについたら、地理的にエルトアは突出した最前線だからな。
「それにしてもギルモアか・・・」
エルトアが国境を接する国はバルナウル、ギルモア、トレヴェント、サイカニア、ヴェルカノの5カ国にものぼる。
普通なら大国の間で不安定な情勢と考えるだろうが、先王はむしろそれを利用していた。
技術力とは書類か人間の頭の中に納まる。優秀な技術者や技術書という形でどこへでも移動が可能だ。これほど便利な国力は無いだろう。
力無き者は弱者だが、弱者が常に敗者という訳ではない。先王はサンプリオスの復活を陰で支援していたとも聞いたことがあるな。
「エルトアがなぜサンプリオスの復活を望む?」
そりゃ、交渉の幅が広がるからだろう。
当時はトレヴェントが無かったからな。大国といえばバルナウルとギルモアだ。2国相手の交渉は打つ手が限られる。しかし相手が3国なら技術力を“1国にのみ提供する”以外に“1国にのみ提供しない”という選択肢が増える。
もっとも交渉力を駆使しての話だが。
おっと、話が逸れてしまったな。
何はともあれ、現王はバルナウルかギルモアと同盟を結んで安定したいと考えた。
バルナウルにつけばエルトアは広い側面をギルモアに晒す事になるが、ブレシアを手に入れたギルモアにつけば、逆に旧アジェロンを包囲する側になる。答えは簡単だろう?
毛皮商人は一等平和条約が結ばれているバルナウルとギルモアが敵国同士という前提で話している。
ガルディはこちらを窺うような毛皮商人の表情を感じ取った。
この毛皮商人はガルディの良き理解者であり取引相手だが、普通の商人でない事は充分に承知している。
そして掴みきれない相手でもあった。