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14-7 忘却のケンドロス

【サンプリオス首都アビリオン】


「博士、実験は順調ですね」

「はい、資金・資材ともに充分に支給されているので研究もはかどります」

そう答えながらも博士と呼ばれる事に大きな戸惑いと恐れを感じる。


博士と呼ばれた男はまだ青年といえる年齢に見えた。

目を引くのは屋内であるにもかかわらず、突撃兜のようなものを被っている事だ。

突撃兜はバルカの赤騎隊が使用していたものが各国に広まったもので、全体的には丸みを帯びた形状に額の部分を特に補強して作られたものだ。

彼が被っているのは、形状は突撃兜だが、顔面を守る可動式のバイザーにシザルプ(巨大エビ)の殻を脱色し磨き上げて透明にしたものが使用されている。

いつも俯き加減の表情はその鼻梁と口許しか見えないが、その線の細さと色の白さは明らかにこの地の人間ではない事を示していた。

「マスエナルダ、リアエナルダ、ハイエナルダという能力向上の方向性はこれからも主要な成果を生み出すでしょう。しかし、限界があるのも事実です。であれば裏を押さえておく必要があるのです」

「裏とは何でしょうか」

「エナルダの無力化。まだまだ実用化には至りませんが、到達点は見えています」

「それはエナルダの能力喪失、つまり軍における戦闘力の弱体化につながる訳ですね」

「そうです。脳神経のエナル認識を阻害する物質の生成と、その投与を容易に行う方法。この研究を進めていたのは私達以外には無いでしょう」

「しかし驚きました。エナルダの実験とはエナルダを作り出す為のものとばかり・・・。私も国王に良い報告ができそうです。博士が我が国においでになられた幸運に感謝しなければならないでしょう」

「私もこのような研究環境を得ることができました事、神と国王に感謝しております」


*-*-*-*-*-*


部屋を出たサンプリオス軍事府兵站庁の長官は吐き捨てるように呟いた。

「神に感謝か、やっている事は悪魔の所業なのだがな」


◇*◇*◇*◇*◇


青年は自分の部屋に戻りドアに鍵をかけると、透明なバイザーを上げヘッドギアを外した。


北方人の特徴を色濃く示す白い肌とシルバーに近い金髪。しかし、北方人にしては鼻と口許の線が細く、それらが相まって儚げな美しさを醸し出していた。

ただ、額には親指ほどの大きさの隆起が見られた。彼の美しい顔にあっては常人の何倍も醜く見えてしまうそれはを隠すようにバンダナを巻くと、やっと落ち着いたように椅子にもたれ掛かる。

「あの子達にも苦労をさせたが、もう少しだ・・・」

研究は試行錯誤の段階を過ぎ、後は時間と資金の単調な投入によってある段階までは進むだろう。そこでもう一つ乗り越えねばならない壁はあるが、今はそこまで考える必要もデータも無い。


テーブルに置かれたカップを引き寄せたまま、ふとまどろんだ。

彼の脳裏に浮かんだのは、夢ではなく記憶の断片だった。


*-*-*-*-*-*


時期ときは北の戦乱末期までさかのぼる。


クエーシト南東部にあるエナル研究室ではクエーシト国王の弟、サイヴェル・ハイラによる、マスエナルダ(マスエナルを体内に移植したタイプのエナルダ)の研究が進められていた。

マスエナルダは人造エナルダに心血を注いだジョシュが失敗作として研究を中止したタイプだったが、サイヴェルは人造エナルダを兵器としか見なかった。

研究では僅かな妥協も許さないジョシュではあったが、研究内容に完璧さを求めすぎたのかもしれない。兵器は有効であればよいのであって、完璧である必要などないのだ。

そしてサイヴェルの研究は世界初のマスエナルダの部隊を産み落とした。


“ケンドロス隊”

北の戦乱でクエーシトのサイヴェル博士が生み出した狂気の部隊。

子供の頭部にマスエナルを移植し、人間爆弾として配備されたケンドロス隊は、第1から第5小隊まで合計60名を数えたが、このうち第4小隊までは48名全員が戦場で散っている。

最後まで出撃の機会が無かった第5小隊だったが、サイヴェルのエナル研究室攻防戦の生き残り5名が地下道から脱出し、南へと走った。

渇きと空腹、足も痛かった。泣くまいとしても涙が溢れた。

湿った洞窟で休んだ時、誰かが言った。

「涙っておいしいね」

確かに涙には味があった。


「涙には身体に大事なものが入っているのかな。それならもう泣かないようにしなくちゃ」


◇*◇*◇*◇*◇


北の戦乱の末期、クエーシトは南からバルカ軍、西からトレヴェント軍に侵入され、首都を包囲されつつあった。

サイヴェルはクエーシトからの亡命を図り、北方の蛮族、ジェダンに使者を送ったが、回答は拒否。しかも使者はジェダンの地で体調を崩し、しばらく帰れないと添えられていた。

「使者は殺されたか・・・しかし、あのシャゼル・リオンがエナルダ技術を無用とするはずがない。となれば・・・デュロンとジョシュが先だったか」

サイヴェルが考えた通り、すでにクエーシト軍師デュロン・シェラーダンは秘密裏にジェダンと接触を図っていたのだ。

サイヴェルに悔やんでいる時間は無い。

ジェダンに続いて、タルキア、サンプリオスへ使者を送り出してはいたが、回答を待つ時間すら残されてはいなかった。

使者を送り出した3日後、警戒線に所属不明の兵士がかかったのだ。


報告を受けたサイヴェルは、すぐにデュロンが放った工作員だと判断した。

親衛隊が慌しく部屋を出て行く中、洗面台に向かうと冷たい水で顔を洗った。

水を滴らせたまま、その思考は高速で回転する。

私はあの軍師のやり方は十分に承知している。

デュロンがジェダンと通じている事を兄ベイソルは知らないだろう。

ならば兄も私も邪魔者でしかないはずだ。

それに、この戦争は負ける。生け贄が必要だろう。

私の身体は痩せ衰えているが、名前だけは生け贄として価値があるに違いない。

皮肉な笑いを浮かべたサイヴェルはなぜか気持ちが昂ぶるのを感じた。

そうだ、これはバルカ第3軍団にケンドロス隊で立ち向かった時の感情に似ている。

私は戦いを求めているのだろうか。

この貧弱な身体で戦おうとしているのだろうか。

鏡を見ると、痩せた頬にもう一度皮肉な笑いが浮かんだ。

鏡を見据えたまま、自分でも驚くほどの大声をあげた。

「エナル研究室施設の全域に防御体制を取らせろ!レベルは6(最大)だ!」

レベル6の防衛体制とは“資料の廃棄、味方以外の人間は全て殲滅、連携が取れなくなった部署の放棄”を指している。

「子供達はどうした」

「はい、居住区から移動中です」

ふと床に置かれたトランクが目に入った。このトランクと子供達に私の全てが詰まっている。これは私の命、いや、それ以上だ。


◇*◇*◇*◇*◇


エナル研究室に接近したクエーシト兵士6名は一瞬で死体と化した。

サイヴェルの作った護衛隊の戦闘力もさることながら、王族の別荘地に隣接するこの研究室はトラップなど徹底して防御に力を注いであったのだ。

しかし、波状的な攻撃が続けられ、要塞化された研究室のトラップや防御装備が徐々に無力化されていく。

そしていよいよ特別遊撃隊とオロフォス隊による突撃が指示された。

ジャナオンが率いる特別遊撃隊とルヴォーグ率いるオロフォス隊は、残ったトラップや不意に襲ってくるサイヴェル護衛隊に被害を出しながらもついに研究施設に辿り着く。


「ジャナオン、お前は死んだ事になってるんだからな。あまり派手には動くなよ」

「まぁ、俺たちの担当は付属施設ですからね。どうせ何も残っちゃいませんよ。ルヴォーグ隊長の方は結構キツそうじゃないですか?」

「さあな、とにかく最大限の警戒態勢で進め。研究者は確保だ。それ以外は・・・とにかく研究者だけは確保しろ」

研究者以外の人間は確保の必要なし、つまり殺せという事だ。しかし明確には告げなかった。道理も救いもない戦いは、あのオロフォス隊の隊長の心をも弱らせたのだろうか。


北の戦乱の緒戦において、オロフォス隊は特別遊撃隊よりも規模が小さく、その分ダメージも大きかった。隊長のダメージも相当なものだろう。まぁ、特別遊撃隊も似たようなものだ。

最前線では新兵から死んでいく。

特別遊撃隊とオロフォス隊に与えられた個人戦力に頼る編成と作戦は、軍隊という組織の利点をことごとく奪い、挙句に攻城戦にまで投入され被害をいたずらに増やしてしまった。

特別遊撃隊のルーフォス隊長もそんな戦いの中で死んでいったのだ。特別遊撃隊分隊長の生き残りはジャナオンとカルラのみ。残っている兵士は中隊規模といったところだろう。リアエナルダやハイエナルダが投入され始めた頃が戦力としては最大だった。グリファ戦線での輝かしい戦果が遠い過去のような気がする。


オロフォス隊もルヴォーグ隊長と副隊長のセシリアが生き残っているものの、率いているのはその多くが各隊から寄せ集めたエナルダだ。当然レベルは低い。マスエナルを装備させて能力を引き上げてはいるが、個人戦力での戦いはどうしても戦闘のセンスが問われる。

そんな戦場で誰もが大事な何かをすり減らしていった。


ルヴォーグ隊長が突入するのは居住区と思われる棟だ。恐らく女や子供も居るだろう。セシリアにとっては辛く苦しい戦いになるに違いない。

ジャナオンが担当するのは付属の施設、広場を中心とした古い別棟で倉庫に使われているとの情報だ。任務としては資料の確保か。

カルラはほぼ最後方から残存する敵を掃討しながら包囲する役目だ。


それにしても、このような作戦が発令されるという事は、クエーシトはもう終わりという事だ。

クエーシトを制圧するのはバルカか?トレヴェントか?ギルモアか?

俺達はどうなるのだろう。

古い記録のように腕を切り落とされ、目を潰されるのだろうか。


「おい、我々は行くぞ。付属施設だからと言って気を抜くな」

ルヴォーグは背を向けるやとてつもないスピードで走り去った。

「よし、俺達も行くか」


クエーシトで特別遊撃隊とオロフォス隊の戦闘力は突出していた。クエーシトどころか、世界のどの部隊であろうと比較にすらならないだろう。

しかし、地の利を得たサイヴェルの護衛隊は互角の戦いを展開する。

あまりに拮抗した戦闘力の激突は時間と判断の余裕を奪った。攻撃対象は限定されず、全てが攻撃対象となった。そこに年齢や性別、身分はない。サイヴェルら王族も、貴族も、使用人である平民も、女も子供も、ある意味平等・・だった。

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