14-3 女王
翌日、シャオルは早くもクラト達に守られてバルカ城を目指した。
バルカ城に近い町ベネフィンで一行を待っていたのはヴェルーノだった。
サイモスから正確な情報が入っているらしい。
「シャオル殿、この者どもが受けたご恩はバルカが受けた恩、改めて感謝いたしますぞ」
「いやいや、礼はこちらこそせねばならぬ。この者らには世話になった」
別室で形ばかりの確認が行なわれ、なぜか次にバイカルノ達が呼ばれた。
バイカルノ達が入室すると、簡素ながら任命式の準備が整えられている。
「ヴェルーノ卿、これは一体」
「このままではお前達をバルカ城に入れるわけにはゆかぬ」
「なぜでございますか」
「お前は軍師どころかバルカ市民でもないのだぞ、だから私が来たのだ。さぁ、さっさと前任の職に着いてもらおうか」
「しかし、あまり簡単に復任させては・・・」
「バイカルノ、お前は理屈っぽくなったな」
傍らではシャオルとクラトは笑いを噛み殺している。
ベネフィン滞在中にアグィーの効果は徐々に薄れ、シャオルはみるみる若返っていった。
そしてついには完全に元に戻ったシャオルを見たヴェルーノは、ただ驚くしかなかった。
「話には聞いていたが・・・」
*-*-*-*-*-*
そして、いよいよシャオルはティエラへの謁見が実現した。
バルカとの親交を熱望していたシャオルだ。バルカに入国できれば良しと考えていたのに、いきなり女王への謁見が叶ったのだ。これはシャオルにとって予定外と言えよう。
さすがのシャオルも緊張しないではないだろうが、むしろシャオルを見たティエラが動揺していた。
シャオルの黒い髪と瞳がラヴィスを思い出させたのだ。
その動揺を隠すように、傍らのクラトに尋ねる。
「報告では薬を使って老婆の姿を変えていると聞いていたのだが」
「だよな、最初は俺も驚いたよ。でもシャオルが使っているのは塗り薬なんだ。だから歳を取ったように見えるのは顔と腕だけなんだぜ。鎖骨辺りから下は年寄りじゃないんだ」
「なんだと?」
「え?あ、シャオル様だった。いつもジュノに怒られてるよ」
そのジュノはティエラの真意に気付き、気まずい顔をしている。
「そうではない。鎖骨から・・・だと?」
「そうなんだよ、塗り薬だから塗ったところだけ老化するらしいんだ。飲み薬もあるらしいぜ」
「お前は確認したという訳か?」
「まぁ、ちらっとな。・・・あっ、いや、本当にちらっとだぞ、それに見たくて見たんじゃない」
「・・・」
『・・・』
さすがに手も足も出さないが、頬が微かに引きつっている。
「まぁ、よい。シャオルとやら、この無作法者の所業で不快に感じさせた事もあるだろうが、許して欲しい」
「クラト殿の言動については、私も(・・)不快に思った事は一度もございません。クラト殿はそれで良いのでしょう。それに身を挺して私の命を救ってくれた恩人でもありますゆえ」
「そんな事もあったのか」
「はい、あれはアジェロンの戦いでした。強兵バルナウル軍にあって最強との噂も高い、ベルロス兵団に包囲されたところを助けられたのです」
シャオルは複雑な気持ちに捕らわれていた。
ティエラ女王は自分を見るなり驚いていた。アグィーの件は聞いていただろうが、それに対する驚きではないようだ。その瞳には情愛と怖れが含まれていた。
シャオルはティエラの瞳に戸惑いを覚えながらも感嘆せずにはおれなかった。
なるほど、バルカの女王は人を集め動かすものを持っている。しかし何かが弱い。
この女王は強く美しく、そして何と可憐なことか。
弱さすら魅力に変えてしまうとは、持って生まれたとしか言いようが無い。しかしそれを利用する術を知らぬようだ。恐らく悩み苦しむだろう。
なるほどな。
バルカにこの女王がいる限り、クラトはバルカに帰るだろう。
シャオルの複雑な感情とは、ティエラに対する好意と嫉妬であった。
「ほう、クラトがそなたを。それは知らなかった」
「はい、いかに絶命の立場にあろうと敵の前に立ちはだかったのです。それは傭兵の内容を越えておりました。であれば私も立場を越えて謝す所存です。あのような男に護られておれば女としてこれ以上の喜びはございませんから」
話がずれてきている。しかもシャオルはそれに気付いていながら話を続けている。
バイカルノは小さく顔をしかめた。
シャオルはなおも言葉を続けた。
「かの者、バルカでは大隊長を務めているとか。我が配下でしたら筆頭の旅団長にでもいたしますのに。次の機会には傭兵ではなく将軍として迎えたいと考えております」
シャオルの言葉にはバルカにおけるクラトの処遇に対して嫌味が感じられた。しかも、クラトを譲り受けたいといっているのと同じだ。
いくらブレシアの王族であろうと、初対面である女王へ話す内容ではない。
ヴェルーノの片眉があがる。この嫌味は・・・妬みというか・・・嫉妬か。
二人よりも長い人生を歩んできた老人は、これが非公式な会談である事に安心するよりもこの後の展開を楽しむ余裕があった。
嫉妬とはいえ、男と女の意味は小さい。むしろどんな条件を示してもクラトがバルカを選んだ事への嫉妬だ。さて、ティエラ女王はどう受けるか。
「シャオル殿、私はこれにて失礼する。この後はヴェルーノ卿がお話をお聞きしよう」
そう言い残してティエラはさっと席を立った。
懐の大きさを見せる事もなく不快感を示した。
バイカルノは今度こそはっきりと眉間に皺を寄せた。
シャオルの言葉は礼を欠いているし、形式上は女王と一介の商人、実質で見てもシャオルは郷の一城主でしかない。ティエラの行動は正しさの前に当然だと言える。
しかし・・・
なぜシャオルがあのような発言をしたのか。もちろんティエラという人物を量っているのだ。そしてティエラはそれに乗ってしまった。常識はあれど思慮が無いと思われても致し方ない。ティエラは女王なのだから。
ティエラが謁見の間を出ると、そこにはラシェットが立っていた。
「女王、お戻り下さい。あなた様はもう姫では無いのですよ」
「ラシェット、何を言うか。私が女王であればこそ、あのような無礼を許すわけにはいかぬ」
「ティエラ女王、あなた様が体現しているのはバルカなのです。魂と精神の体現者なのです。女王が歩を進めるのも言葉を発するのもバルカの発展のためです。先ほどのお言葉と此処までの歩はバルカの為でありましょうか」
「・・・」
「それに、シャオルというクロフェナ城主は若いながらかなりの人物と見ました。そのような人物があのような言葉を何の考えもなく発するとは思えません」
「・・・分かった。私が至らぬせいで心配をかけた」
「いえ、私こそ出過ぎました言葉の数々、お許しください」
謁見室では会談が進んでいる様子はない。つまりティエラを待っているのだ。
ティエラは振り返ると、「私は果報者だ」と一言残して謁見の間に戻った。
玉座に戻ったティエラは何事も無かったかのように
「すまなかった。私はまだまだ器が小さいようだ」
何の繕いもなく言ってのけた一国の女王。
これにはシャオルも兜を脱ぐしかなかった。
「私こそ無礼をお詫び申し上げます。辺境の田舎者ゆえご容赦くださいませ」
深く頭を垂れたシャオルにティエラは落ち着いて言った。
「シャオル殿」
「はい」
「御身を救ったクラトに立場を越えて謝すと申されたな」
「はい」
「かの者は我が国の武人ゆえ気遣いは無用だ。バルカの武人は何よりも名誉と礼儀を重んじるのでな」
笑みを湛えたティエラを見る限り、本音と冗談が混在しているのが分かる。
それはそうだ。クラトをして礼儀を重んじるとは冗談でしかないだろう。
ひとしきり笑いが溢れた。
その後、シャオルとティエラは執務室に場所を移し、旧来の友のように語り合った。
ティエラが何を話し、シャオルが何を見たのか。それは誰にも分からない。
この後、シャオルのバルカ城滞在は5日間に及ぶことになる。
◇*◇*◇*◇*◇*◇
第三練兵場にルシルヴァの声が響く。
「駆け足やめぇ!」
兵士達はその言葉を待っていたかのように地面に崩れ落ちた。
仰向けになって、ふいごのような大息をついている。
走ってきた後を見れば、途中で脱落した兵士達がよろめきながら近づいてくる。中には這っている者もいる。
ラシェットをして、「特別大隊は鍛錬大隊だ」と言うほどの訓練量を誇り、徹底的に基礎体力を鍛えるやり方はクラト直伝だ。それが戦死率の低さとなって現れている。
正午を知らせる鐘が鳴る。
これから1時間(地球の2時間)の休憩時間となり、大隊単位の持ち回りで各門の警護に付く。突撃大隊は昨日済ませたばかりだ。
とりあえず1時間の休憩に入れる。
「や、やっと終わったか」
誰と無く声が漏れた。
しかし、ルシルヴァはギロリと声の方を向いて言った。
「ここから動けるかどうかで生き死にが決まる。終わっちゃいないよ、戦場じゃ、ここから始まるんだ。全員起立!駆け足よーい!」
兵士達の絶望をよそにルシルヴァの声は一段と大きくなった。
「始めぇ!!」
動き出せない者は中隊長から容赦ない一撃が加えられる。
「もぉっ、やっとお昼だと思ったのに!突撃隊に来てから走りっ放しだわ」
「ラクエル、だめだよ、ぼやいちゃ」
「ルオングは黙ってて」
「だから、気が立っていては訓練の効果が落ちるってば」
「うるさーい!」
ルオングとラクエルという若者。いや少年と少女と言った方が良いかもしれない。
この訓練のなか、会話ができるのは驚異的だ。恐らくエナルダなのだろう。
この走駆訓練の後、午後に予定していた剣術の訓練に入った。当然、昼食は抜きだ。
練兵場には十文字の丸太に馬の皮を巻きつけた打ち込み台が立てられた。
「よーし!ここで有効な打ち込みができたら簡単には死なないよ!気合入れてやりな!」
喚声を上げながら男達は打ち込み台に向かう。訓練用の木剣を振り下ろされ、打ち込み台が鈍い音を立てる。
あれだけ走った後だ。膝が少しでも曲がれば耐え切れずに腰は落ちる。大腿が体重を支えられないのだ。しかし、ここで知るのは脚の重要性よりも、打ち込みでの体重の使い方だ。
同じ力、同じ速さならば、重い方が強い。
そう、重さは一つの力なのだ。エナル係数が高い女戦士が重装鎧を身につける理由でもある。いかに打ち込む力が強かろうと、身体が軽ければ打撃は簡単に弾かれてしまう。
打ち込みに自分の重さを乗せる。
これは教えられて身に着くものではない。何度も打ち込んで徐々に自分のものになっていく。その上で繰り返し鍛錬するからこそ戦場で活きるのだ。
鍛錬とはセンスの差を埋めるものと考えて良いだろう。少なくとも突撃大隊の結成当時から生き残った者はそう理解している。
多くの者が鈍い音を立てる中、鋭い打ち込み音が響いた。
ラナシドが「ほぅ」とばかりに目を向けると、そこには20歳には届かないだろうと思われる少女が一つ目の台を震わせながら次の打ち込み台に向かっていた。
短いツーサイドアップの黄色い髪を揺らしながら移動するその動きは速い。
2つ目の打ち込み台をかいくぐる様にして背面から打ち、振り向きながら次の打ち込み台まで一気に距離を詰めると腕と胴の部分を連打した。
更にその後から同様の動きを見せる少年が続いた。
スパイクが目を凝らす。
「あれは新しい転属組ですね」
「ずいぶん若いようだが、あの特例法か?」
ラバックが言う特例法とは、バルカの徴兵年齢に関するもので、通常徴兵は20歳から、軍務希望者でも18歳からとする法律にエナルダ特例なるものを付帯させたのだ。
この特例によりエナルダ覚醒者で軍務を希望する者は16歳から入隊が可能となる。ただし、徴兵は20歳のままだ。
北の戦乱時にアイシャとエルファに適用された特例が制度化されたのだ。それだけ北の戦乱による戦力低下が著しかったといえる。
中隊長達の視線を集める二人の動きは、打ち込み訓練ながら敵の動きを想定している。
「優れた者は常に一歩先を行く。という事か」
「先が楽しみだな。ま、精神が伴えばの話だが」
あれだけの能力を目の前にしても中隊長たちに驚く素振りはなかった。
性能とは、ある条件下での目安でしかない。どれだけ能力が高かろうと脆い兵士は戦場から帰っては来ることはできない。
戦場でスペックがそのまま発揮できるくらいなら指揮官の負担は限りなく減るだろう。それほど兵士とは左右されやすい戦力なのだ。
打ち込みを終えた二人がルシルヴァの元にやって来た。
困惑した表情の少年を振り払うように腕を振った少女は、何か固い意志を目に宿している。