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ロスト⑱

配られた資料は濃いブルーのファイルケースに入っていた。

今日は時間がおしていたので、後で読んで欲しいと説明されていた。本当は今日のブリーフィングで説明される内容らしいが、今回のメンバーは“協力的”かつ“積極的”に体験や質問を行ったので、時間が無くなったというのだ。

普通ならこんな説明書なんて読まない。読むにしても前日にさっと目を通すくらいだろう。しかし真剣に目を通した。


“こんなメンバーが揃ったのは初めてだ”

担当者の嬉しそうな声が思い出された。


分厚いアンケートもついている。そのアンケートたるや好きな色や食べ物から始まって、果てはセックスの事まで及んでいた。


説明の最後に出てきたのが2枚のディスク。“β1.12 1/2” “β1.12 2/2”と記されている。これは開発中のゲームらしい。

パソコンにダウンロードしてプレイするようだ。開発中のオンラインゲームのようだが、実験でも使用するという説明があったはずだ。


内容は何の変哲も無いRPGだ。早速ダウンロードして始めてみたが、あまりに単純すぎてつまらない。


「これ、本気で作ってんのかな」

ゲームは一応セーブして終了させた。

ブルーのファイルケースに名札が付いているのが見えた。“D1-009”

その名札は取り出せないように透明のケースごとファイルケースに接着されていた。

何か違和感のようなものが俺の頭をよぎった。だがそれが何なのか気にもしなかった。


◇*◇*◇*◇*◇


実験の初日、全員が参加している事を確認した。

良かったと思う反面、物足りない気持ちもある。

誰かが来ない。しかもくだらない理由で。そんな事を望んでいる自分がいる。

怒りを爆発させる理由を欲しがっている。

理由も無い苛立ち。

何かを持て余し何かを求めている。何でこんなに苛つくんだろう。


*-*-*-*-*-*


何もしていないくせに・・・

誰かの為に役立つどころか、自分の為にさえ何もしないで、何が苛つくだ?

ただ存在するだけで、待っているだけで、何かを得たいと思っているお前

自分の力を使いもせず、信じようともせず、何かを示したいと思っているお前

皆にもてはやされ愛されたいと願うお前

何もせずに苛つくだけのお前


ここから見るとどいつもこいつも同じようなヤツばかりだ。ブリーフィングでも思ったがこいつらは家畜だ。

管理され、与えられ、奪われて、死んでいく。

お前ら人間で良かったな。食われなくて済む。


*-*-*-*-*-*


俺はデメ研の山崎部長が参加していない事に気づいた。

健康診断で落とされたのか?俺の心が嫌な感じで笑っている。

メンバー集めの指示をしていたのは山崎部長だった。もし健康診断で落ちたなら笑い話だが、他の理由だとしたら。

山崎部長は紺野が俺を誘う事を知っていたようだった。なぜ紺野は俺にバイトを紹介したんだろう。神代千夏もそうだ。もっと身近な人間で固める事もできたはずだ。

理由も分からない不安がじわじわと俺の身体を浸し始めた。


そんな思考もぼんやりとして考えられなくなった。

電極に接続する電極盤を作成する為に投与された薬が効いてきたのだ。

後頭部が沈み込むような感覚を最後に俺の意識は途切れた。


*-*-*-*-*-*


被験者は薬品によって睡眠状態に導入された。δ波を確認する。

20%以上の状態を維持し、電極の刺設施術を行う。

前頭部48、側頭部24×2、頭頂部24、後頭部36、合計156箇所、それぞれの部位についてウレタンゴムの電極盤が作られる。これによって電極への接続が格段に容易になるのだ。

電極盤の通称は“ギア”。前頭部から頭頂、後頭部、左側、右側へA~Eが振り分けられ、“Aギア”“Bギア”・・・としているが、スタッフ達は“前”とか“テッペン”などと呼んでいる。

それぞれはモジュラーによって後頭部のCギアに接続される。

Cギアは枕のように頭を固定する形状で、他のギアに比べて大型だ。上部には機器から接続するジャックがついている。

他のギアは軽量化されており、それぞれを硬質ゴムのベルトで連結する。また、DとE、つまり即頭部のギアには顎にかけるベルトもついているので、全てを装着すると一体し、簡単にずれたりする事はない。


目が覚めた俺はまどろんだ思考の中で実験に参加した事実を再認識していた。

徐々に意識がはっきりとしてきたが、思考にうっすらとした膜がかかっているようだ。

装着したギアは圧迫感があったが、しばらくすると気にならなくなった。

思考の透明感が増してくる。辺りを見渡すと異様な光景が広がっていた。コードで機械と繋がったギアを頭に装着した人間達。動ける範囲は3メートルほどだろう。

早速持ち込んだ本を読んだり音楽を聴いているヤツがいる。

俺は手持ち無沙汰に辺りを見渡すと、千夏が小さく手を振っている。

薄いアイボリーのヘッドギアと黒の連結ベルト、モジューラーケーブルで機械へ接続された様子は古いSF映画のように未来的で嘘っぽかった。


石崎が言うには持ち運びできる端末がもうすぐ出来上がるらしい。

データを取るだけならスマホくらいの大きさのものも準備できるらしい。それができれば移動がかなり楽になるだろう。

賞賛の歓声が上がる。

「私は技術屋ですから、出来るのはこういう事だけなもので」

石崎はあくまで控えめだ。


(まぁ、順調といったところか)

石崎には学生達が、並んで餌を待つ家畜のように見えた。

このギアを装着した状態で動作、感覚、感情など変化による電気信号を読み取る。データは各電極のデータだけではなく、電極同士の連動関係を加味したデータも取っている。これによって複雑な感情をも把握する事ができるのだという。

この2次元的データに電圧の強弱を加えて3次元的データを構築する事ができれば情報パターンは飛躍的に増える。電極数の増設を考えれば、234倍の情報量だ。

このギアもモニターやイヤホンの機能も持たせた一体型にする予定だ。

電極の刺入も同時に行えるヘルメットタイプは試作中ながら会心の出来だと思っている。

しかし、まだまだ改良が必要だ。何しろ実験はまだまだ続くのだから。


◇*◇*◇*◇*◇


イヤホンを装着した検体の身体に、いくつものパッチが張られた。

これは温度と振動の刺激を与えるためのものだ。

「座ったままで行える実験を先に進めます。身体を動かさない状態の方が皆さんも集中できるでしょうから」

星野の声に続いて身体の各所に熱と振動の刺激が断続的に加える。

ざわめきが起きる。

イヤホンから音が流す。低い音から高い音、また低音へ。

続いて様々な色がディスプレィに流れ、図形に変化する。色は12色、図形は20種類程度。

これだけ行うのに3時間、ギアの装着に要した時間を含め5時間が経過していた。検体の集中力は実験を行うに適さない程度まで低下している。

しかし、集中力が低下した時こそ本能が顔を出すのだ。

映像が切り替わった。

「えっ?」

それ以上の声は上がらなかった。

映像では男女が裸体を絡み合わせていた。それは2分程度流れ、突然途切れる。

「済みませ~ん、間違えましたぁ」

星野の声が響く。

星野は有能な助手といった感じで、なかなかのイケメンだし、熱血の石崎にクールな星野というイメージがあった分、被験者達の笑い声は大きかった。

「失礼しました。しかし前もって申し上げておきますが、先ほどのような映像も実験の中に含まれています」

星野は照れ笑いを浮かべたまま説明を続ける。


人間には本能と理性がありますが、本能の部分は誰もがほぼ同じように反応します。そして驚くべき事に反応の強さまでが一定のレンジに収まるのです。

例えば空腹時に食べ物を目の前に出されたとしましょう。

誰にも同じ反応、“食べたい”という欲求が強く現れます。しかし人間はそれをコントロールする。その大小強弱はあるにせよ、ほとんどの人間がコントロールしています。

それは状況に応じて大きく変化します。それを理性と呼ぶのかどうかは別として、この欲求に対するコントロールを経て欲求に対する反応が表に出てきます。

お金が無いから我慢するとか、太るから少しだけとか、場合によっては安全な食物かどうか分からないから食べないとか、そういった判断をしているのです。

勿論、これらの欲求に個人の好みは影響します。しかし、欲求自体は誰もが同じように現れるのです。

生物の食欲・性欲・睡眠欲は、健康で成熟した個体であればあるのが当然です。むしろ無い場合は異常で危険とさえ言えます。

アメリカの心理学者、アブラハム・マズローは人間の内面的欲求を5段階に体系付け、それは低次元から順に満たしていくという欲求段階説を唱えました。


星野は予定通り・・・・ミスからの流れで欲求の説明に入った。

「ご存知の方もいらっしゃると思いますが、簡単に説明いたします」


アブラハム・マズローの内面的欲求体系。

1.生理的欲求。

人間が生きていくために最低限必要な、生理現象を満たすための欲求です。食欲、性欲、睡眠欲の三大欲求と呼ばれる、個体の生命として必要な基本的な欲求です。

2.安全欲求。

安定性欲求ともいいます。生命にかかわる事を安定的に維持したいという欲求です。安全な住居、定職に就く、治安の良い街、などの欲求も含まれます。

3.愛情欲求。

親和欲求ともいいます。他の者と係り、集団に属したり、仲間から愛情を得たいという欲求です。孤独からの開放ともいえますが、一部は安全欲求とも言えます。

4.承認欲求。

尊敬欲求ともいい、他者から自己の存在と価値を認められたい、尊敬されたいという欲求です。

5.自己実現欲求。

自分自身の持っている能力・可能性を最大限に引き出したいという欲求。自己成長したい、創造的活動をしたい、社会や他者に貢献したい、などの欲求です。社会的に成功を収めた人が、社会貢献活動をするのはここに入ると思われます。


思考と信号のパターンを重ねていくためには、思考情報をどれだけ正しく得るかにかかっている。しかし、誰でも自分の内面を知られる事には躊躇する。検体の内面はそのまま表に出てくる事は殆ど無い。今回の検体は特にその傾向にある。

星野はソフトかつ遠回しに欲望に対する見方を変えていった


徐々に被験者は石崎と星野の言葉のみに反応するようになっていった。

石崎が指示する。

被験者は石崎を助けたいと望み、その指示を実現したいと願う。

星野が説明する。

被験者は星野を優秀だと信じ、その説明を疑いもせず受け入れる。


言葉を変えれば被験者達は飼い馴らされていった。

そして彼らは本当の意味での“検体”となるのだ。


検体は目的を与えられた。その目的は彼らに使命感を持たせた。使命感は自己高揚を生み、彼らはこの実験に協力する事に幸せを感じている。

次に感情をコントロールされる。

欲求というものの正当化。欲求を感じる事は一律であり正常である事、欲求を実際に満たしたりする事はさておき、欲求を表現する事への抵抗は薄れている。

欲求とは元々自身が求めているものだ。表現という出口を認めた時点で欲求に身を委ねるようになるまで誘導するのは容易い。

ここまでくれば、コントロールが行動に与える影響までのアプローチも可能だろうが、今の時代、そこまでやったら問題になる。


“こんな実験で問題もクソもないけどな”

石崎は被験者に笑顔を向けつつ、心の中で呟いた。


◇*◇*◇*◇*◇


「本部から書類が届いてますよ、実験スタッフ全員に送られているようです」

手渡された封筒には宛名すら書かれていない。石崎は封を開けなくても見えるとでもいうようにじっと封筒を見つめた。

「ふん、また何かを規制しようっていうのか?」

「いえ、今後の方針を明確にするための通達のようです」

「この時代に書類ペーパーが好きな事だな」

「そういえば、瀧さんから連絡があったんですが」

「なに?なぜ早くいわない」

「すみません、準備が出来たら連絡をするようにという事だけだったので。例の施術を試してみるそうです」

「おいおい、大丈夫なのか?一度は不適格とした検体を参加させた事といい、本部の意志が統一されていないんじゃないか」

「あぁ、D1-029ですね。名前は・・・神代千夏。不適切と判断した理由も、一転適切とした理由も我々には知らされていません。しかし№も指定されるなんて・・・」

「俺たちだってホルダーなのにな・・・あいつが現れてから組織は変わっちまったよ」「ま、そのおかげで俺たちはこの仕事にありついた訳だけどな」

「そうですね、レギュレーターとして活動しなくても済むのは幸運といえますからね」

「しかし、今回の検体を施術に使うって話は突然すぎるぞ、本当に大丈夫なのか?」

「恐らく適性が高い者を数名チョイスして最終的には1~2名に絞ると思います」

「しかし、あの突然現れた異能の男といい、最初は単なる噂だと思っていたんだけどな」

「はい・・・。彼がストラグラーを生み出したようなものですからね」


ストラグラーとは程度の違いこそあれ、凶暴性が人間性を上回った覚醒者だ。


「とんでもない事になったものだ。厄介な事だけ残されては堪らんよ。なぁ、513(ゴーイチサン)」

石崎は書類の入った封筒をヒラヒラと振るようにして悪態をついた。

その封筒には“№508”と記載されている。


◇*◇*◇*◇*◇


組織が発見した不思議な男。

№008が担当している男はどんな言語でも理解する反面、どの言語も話す事ができない。これは発声機能の問題ではなかった。

発見された当初、ひどく衰弱していたが、覚醒者の反応があった。もう少しで駆除されるところを№029によって保護されたのだ。

ところがこの男が覚醒者達を大きな混乱に陥れる事になる。


彼は未覚醒の人間を覚醒させる事ができたのだ。

組織の上層部は狂喜して次の瞬間は苦悩に苛まれていた。

覚醒技術は非常に不安定かつ非効率ながら一定の成果を得た。

非効率とは失敗がある事を示すが、失敗とは未覚醒で終わるのではなく、対象者の死亡、または人間性の喪失を指す。

最初の覚醒実験が行われる頃には、この男も片言ながら日本語が使えるようになっており、信じられない事だが、この世界の人間ではないという。

この異能者の名前は“フェノル・サキータ”、高い知性を示しながら、言語の習得という面では非常に劣っている。聞く事ならどんな言語でも理解できる能力と同じようにその理由は分からない。


*-*-*-*-*-*


ごく一部の番号有りホルダーがメンバーとなって行われたこの実験は、後々、最初に失敗していれば良かったという声が聞かれるほどに極端な結果を生んだ。

実験は成功し、覚醒者は901というナンバーが振り当てられた。能力はホルダーとして充分に通用するレベルだった。

しかし、2人目は失敗し凶暴性を示した。それは映画で見るモンスターのように理性を全く感じさせず、しかも力だけは大きかった。直ちに駆除されたものの、この実験の意味が問われる結果となった。しかし実験の可否については現状を維持したまま、今でも検討中だ。つまり中止はされなかった・・・・・・・・・のだ。


対象者は様々な試験によって適性が判断される。適性やその他の条件が揃って覚醒実験を行う場合はその対象者をニンフと呼ぶ。成功した人工覚醒者は900番台のナンバーが与えられ、失敗して凶暴化した者はストラグラーと呼ばれ、直ちに駆除される。

実験を行うメンバーは500番台のナンバーが振り分けられる。彼らは通常のホルダーから選ばれるのでダブルホルダーとも呼ばれているが、実験に直接係るのは501~505の5人だけだ。それ以外の者は検体の選抜実験や手続きを行うが覚醒実験の本質までは知らされていない。


そして、死亡4名、駆除3名、ナンバーは903を数えたとき、情報を得たストラグルとエンパイヤは反ネイバーの共闘体制に入った。ネイバー寄りだったサーヴェントもネイバーに対して強硬な要求を示した。共闘体制を前提とした技術の共有だ。

これに対するネイバーの回答は“NO”ノー

技術的に安定していないというのが理由だが、納得するわけもなく、極端に警戒を強めたサーヴェントはネイバーに対して敵対行動を取るようになっていく。

このように覚醒者の組織を混乱させた男は組織間の争奪戦の果てに死亡している。

不安定かつ危険な技術だけを残して。


異能の男、フェノル・サキータは覚醒者を“エナルダ”と呼んだ。

彼の生まれた国の名前は“サンプリオス”という。

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