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ロスト⑰

頭部に電極を刺入する。その数32箇所。

しかし、実際は150箇所以上に及んでいた。

「これって、契約違反になるんでしょうか?」

「いや、一応は書いてある。『状況によって電極の数は変わります』ってな」

実験のために集められた被検者は10名、男子7名、女子3名だ。全て同じ大学に通う人物でウラも取ってある。ただ1人の例外を除いて・・・


*-*-*-*-*-*


「神経伝達とデジタル信号の相互通信」

頭皮に刺した電極から脳波を計測し、各器官の運動・思考・感情についてデータを蓄積する。そのデータの解析と機器の調整を行い、最終目標は脳波による意思の伝達やデジタル機器の操作などの実現にある。

これが成功すれば事故や病気で四肢が麻痺した人々にとって朗報となるに違いない。

これまで意思を伝える事すら困難だった人間が、自らの意思で音楽を聴き、テレビを見たり、ベッドの姿勢を変えたり、窓を開けたり、リモコンで出来るものは全て自分で行う事ができるのだ。また文字のパターンを認識する事でモニター上での意思表示も可能となるかもしれない。介護の負担も大幅に減るだろう。


◇*◇*◇*◇*◇


そのアルバイトの募集は非常に魅力があるものだった。

指示に従って動きながら脳波を取るだけという簡単なものらしい。

報酬もなかなか良かった。

1日3万円。拘束時間は18:00~26:00の間で任意の6時間。大学に通いながら出来るのは非常に魅力だ。

よくある臨床試験アルバイトは“有償ボランティア”と呼ばれ、一泊5万以上、中には1週間程度で報酬数十万というケースもある。参加したことがあるヤツが言うには、食事と運動の制限が苦しいと言っていた。

その点、今回の実験では1日1時間程度指示に従うだけで、特別な制限は無い。ただし、睡眠はNGだ。

時間的に帰宅が困難な場合を考慮して、宿泊ができる部屋が別に用意されているし、事前に申告すれば食事も準備してもらえる。これも無料だ。つまり生活費ゼロで1ヶ月、60万円の貯金も可能って事になる。


期間は5月16日から1ヶ月間が一次期間、この期間で選抜された者は、8月20日からの二次期間に入る。二次期間は報酬が大幅に上がるらしい。

大学のテストを考慮したスケジュールといい、参加しやすく安心感がある。


紹介者は同じ学部の紺野。デジタルメディアサークル、通称“デメ研”に所属している。

俺は了承した。こんないい話断る手はない。

紺野は“やっぱりな”とでもいうような表情で説明を続けた。

「じゃ、この話は他人にしないでくれ。企業が協賛しているのは開発中のゲームを今回の実験で使うかららしいんだ」「それに、この実験が終った後もゲーム開発の点でバイトを募集するらしい。その時は俺たち参加者が優先的に採用されて報酬も優遇されるらしいよ。待遇は一次期間と同じだってさ」「じゃ、25日にブリーフィングがあるからこの場所に」

紺野はA4のコピーを1枚つき出した。

「ブリーフィングには参加できるんだろうな」

「は?たぶん大丈夫だと思うよ」

「たぶんじゃ困るんだよ、ちゃんと出てくれなきゃ」

何なんだ?突然切れるなよ。

気分が悪いが黙っておいた。しばらくの期間一緒に実験をするんだし、つまらない事で気まずくなっても面倒だしな。

紺野は不機嫌そうなまま「こっちは提出する書類」と言ってもう一枚のA4用紙を差し出す。

俺がブリーフィングの続きを読んでいると、紺野は語気を強めた。

「早く書いて欲しいんだけど」

「え、今書くの?」

「当たり前だろ。提出しておかないと主催側が連絡とれないじゃないか。まったく」

さっき抑えた感情が膨らむ。

なおも何か言おうとする紺野に聞いた。

「ペンは?」

「えっ、無いけど・・・持ってないの?」

俺は持っていたが出すつもりはなかった。

「随分と、役に立たない使いッぱだな」

紺野の顔がたちまち赤く染まる。

「お前らの部室に行けばあるだろ」

紺野は黙って歩き出した。


部室に入るとガランとした室内に大きな身体の男が背を向けていた。

俺たちに気付くや声をかけてくる。

「お、伊藤君やるの?良かったよ、知ってる人間の方がいいからね」

デメ研の部長は普通ではない雰囲気に気付いたのか、紺野に声を掛けた。

「紺野、説明まだなのか?」

「いえ、終ってます。やるそうです」

「そうか、じゃ、どうしたんだ?」

「提出する書類を書くのにペンが無かったんで・・・」

「そうか、ほれ」

紺野は部長から放られたペンを受け取り、嫌な感じで俺に差し出した。

住所と氏名、携帯番号、後はアンケートのような問に答える。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【お住まい】  実家 / 下宿 / 賃貸物件

【同居人】  有 / 無

【連泊】  不可 / 3日以内 / 5日以内 / 1週間以内 / 2週間以内

【緊急連絡先】        様 (続柄    )(連絡先          )


注意事項

①ブリーフィングの参加を必須と致します。

②ブリーフィングでは健康診断及び適性検査を行います。結果によっては参加をお断りする場合があります。

③実験途中であっても被験者の体調、実験継続への影響、適性、その他の理由により中断していただく場合があります。その際の報酬は参加日数の正規報酬に加え、不参加となる日数に3千円を乗じた金額をお支払いします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


記入した用紙とペンを机の上に置き、後はよろしくと言って部室を出ようとした。

俺の背中に部長が声をかけた。

「伊藤くん」

その声は先ほどと違い、重く低い声だった。

俺はドアノブを掴んだまま止まった。

「書類を置いたままでどうするんだい?きみにバイトを紹介はしたけど、こちらは依頼主じゃないし、参加をお願いしているつもりはないんだけどな」

さっきとは矛盾するような、それでいて正論の言葉に俺は振り返った。

「済みませんでした。ペンを貸してもらって助かりました」「紺野、書類の提出頼んでいいか。悪いけど頼むよ」

部長はニコッと笑って、手を振った。

「じゃ、伊藤君、ブリーフィングで」

ほくそ笑む紺野に無理な笑顔で「悪かったな」と声を掛けて部室を出る。


疲れるヤツ等だ。

俺と入れ替わりに部室に入ろうとする女子と鉢合わせになった。

「千夏じゃんか」

「あら、コータじゃない。もしかしてバイト?」

「あぁ、今申し込んできた」

「私も参加しようと思ってるんだ。結構イイよね、このバイト」

そう言いながら千夏は親指と人差し指で輪を作った。

「ま、お互い苦学生だからな~」

「何だか久しぶりだね」

「ん、同じ大学なのにな。まぁ・・・色々あったからな」

「・・・そうだね」

千夏はツンとした顔立ちに明るくサバサバした性格で男子の間では人気が高い。

かなりの男子が撃墜されているらしく、本人がいないところでは撃墜王エースと呼ばれたりする。

もう“ダブル・エス”とは呼ばれない。


もう一人のエスがいないからだ。


◇*◇*◇*◇*◇


ブリーフィングは2日間にわたって行われた。

1日目は健康診断と履歴書のようなアンケートに記入して終了だ。

本格的な実験のブリーフィングは2日目に行われた。

ブリーフィングの前に健康診断で“不適正”と判断された参加者が4名いた事を知らされた。

勿論、今日のブリーフィングには参加していない。


参加者は緊張しているようだった。

誰もが気になっていたのが電極を頭皮に刺入するという点だ。事前に配布されたパンフレットでは、電極は極めて小さく、痛みや身体への影響は全く無いとされていた。しかし、パッチのようなものではなく針を刺すという事に抵抗があるのだろう。

それを考慮してか、挨拶の後にまず電極の説明が行われた。

電極は非常に小さい針を頭皮に刺すのだが、長さは3㎜程度、太さは実に0.03㎜である。鍼治療に使用される針が約0.2㎜である事を考えるといかに細いかがわかる。

確認用サンプルもプラケースに入れられたものが回覧されたが、髪の毛よりもかなり細いという印象だった。かで痛みは感じないとの説明だった。刺したままで日常の生活に支障はなく、髪を洗うのも専用のブラシを使えば問題ないらしい。勿論、希望があれば外して実験前に再挿入する事も可能だ。

実験では直径1mmにも満たない電極の頭にリード線を繋ぐのだが、電極を刺入た後に簡単に装着できるものが準備されているようだ。

全員が電極を頭皮に刺す事を体験した。全く痛くないし、刺したままでも違和感は全く無かった。ブリーフィングに参加した面々は顔を見合わせながらホッとした表情をみせた。

「これはむしろ頭皮を刺激して頭髪にも良いそうです。残念ながら私は実験する方でして・・・」

石崎と名乗った担当者は薄い頭を撫でて参加者を笑わせた。

ブリーフィングに参加した全員が実験への参加を希望した。

石崎はご協力に感謝すると言って頭を下げた。


その実験室は病院でも研究室でもなく、単なるマンションの一室だった。

そこに歯科医院にあるような椅子が並ぶ。椅子の横には金属のラックがあり、下段にはエアコン室外機ぐらいの大きさの機械、中段にはモニター、一番上にはプリンターが置かれている。

一通りの説明が終ると各自指定された椅子に座る。

座り心地はなかなか良い。

「毎日この椅子に数時間座って頂く事になりますので、気になる点をご指摘いただければ調整いたします」

若い方の担当者の説明が続く。

「では体験として、正規本数の電極挿入体験を希望される方はどうぞ仰って下さい。本数が増えますので、洗髪を行ってから実施いたします」

全員が希望した。女子3名から先に洗髪台へ向かう。

順番を待つ間、俺は予定の無いゴールデンウィークをどう過ごそうか考えていた。

ブリーフィングは予定を2時間以上もオーバーして終了した。参加者の希望による体験や質疑応答に時間を要したからだ。

終了の前に担当者から実験の初日に行う正規本数体験も全員が終了しており、実験期間が1日短縮できるので、1日分の謝礼を受け取って欲しいと全員に白い封筒が配られた。

5月10日には全員に確認の連絡が入るそうだ。

欠員が出たら、欠員分の補充のためにスケジュールの調整が必要になるらしい。


「最後になりますが、これほど積極的かつ協力的なグループは今までありませんでした。皆さんは良いチーム・・・になるでしょう。ぜひ皆さんと実験を行いたい。そして成功させたい」

石崎はここで躊躇ためらうように少し間をおいてから口を開いた。

「私には娘がおりますが、ALSという病気で入院しています。この病気をご存知でしょうか、筋萎縮性側索硬化症といって運動神経だけが徐々に破壊され、全身が麻痺する病気です。3年前に発症して、今では自力呼吸すら困難になってしまいました。娘の顔を見ていつも思うのです。この動かない表情の裏側に常人と変わらない思考力がある。最初はそれに耐えられませんでした。娘に笑顔を見せられるようになるのに長い時間がかかりました」

「私は医者ではありません。機械いじりを続けてきた技術者です。病気に立ち向かうなど思いもしませんでした。しかし家族が病気になって否が応でも病気と対峙せねばならなくなったのです」

「もし、娘が自分の意思で何かできれば、娘の尊厳も少しは保たれるでしょう。そして、モニターを通じてでも娘と会話が出来たら、私はそれ以上望む事はありません」

「こんな私事わたくしごとを話して申し訳ないと思っています。でも、担当者でも技術者でもなく、一人の父親として皆さんにお願いしたいと思っています。ぜひ来月、皆さん全員と再会し、実験が開始できるよう望んでおります。本日は誠にお疲れ様でございました」

女子の鼻をすする音が聞こえた。担当の石崎は薄い頭を下げたままだった。

若い担当者が身振りで被験者に退室を促す。


ロビーで若い担当者は言った。

「実験内容と無関係な発言があった事は、私からもお詫び申し上げます。ただ、石崎の気持ちを少しでもご理解を頂けたら幸いです」

女子の1人がまた鼻をすすっている。

「あ、申し遅れましたが実験内容につきましては口外なされませんようお願い致します。つきましては今から配布いたします書類を実験初日にご持参下さい。お手数をお掛けしますがよろしくお願い致します。」

そう言うと誓約書を配った。

「皆さんのお力をお借りして実験を成功させたいと強く願っております。本日はありがとうございました」


俺は気持ちが昂ぶっていた。

ついさっきまで金の計算をしていたのに、崇高な目的が添えられた。石崎を助けたい。

こんな時、他のヤツはどう考えているだろうか、俺の気持ちをどう思うだろうか、そんな事ばかりが気になるのだが、今日は全く気にならなかった。

俺は必ず参加するし、この実験を成功させたいと思う。

報酬が少なかろうと、多少の苦痛が伴おうと、俺は参加したいし懸命にやりたい。

不参加のヤツがいたら許せない。この実験を妨げるヤツは許さない。


◇*◇*◇*◇*◇


「今頃、ヒロイックな気分になっているんだろうな」

「ま、そうでしょうね。彼らは無感動といわれる人間です。そして、それは自分が努力をしていないからだと気付いていない。だから簡単に感動して、自分が感動したから“本物”だと思ってしまう」

「本物ね・・・。何だろな、本物って」

「彼らにとっては、特別って事でしょう」

「特別?」

「えぇ、自分の存在を特別だと思うのは誰もが持っている感覚です。ただ、自分という存在を他人と区別する為の最初で最大の認識というだけで、本当は特別でもなんでもありません。当たり前の事です」

「でも彼らは、特別な自分は本当に特別だと思っている。いや、特別であって欲しいと望んでいる。だから不特定多数の多くの人間の中で、自分という存在を際立たせてくれる相手、出来事や言葉、まぁ、そんなものは決して本物じゃないんですが、それを本物と思いたいんですよ」

「だから・・・ありませんよ、彼らに本物なんて」


傍らの電話が鳴る。

「はい、通信実験スタッフ、星野でございます」

「あのぅ、今日ブリーフィングに参加した者ですが、報酬は3万円だと聞いていたんですが・・・多く入っているみたいです。返却はどうしたら良いですか?」

「あ、説明が至らなくて申し訳ありません。ブリーフィングの参加報酬2万円が含まれています。ご心配をお掛けしました。ご丁寧にご連絡まで頂いて恐縮です」

「そうでしたか、慌てて連絡してしまって済みません・・・」

「いえ、説明不足でした。今後とも何かございましたら、お気軽にご連絡下さい」

星野は受話器をそっと置いた。


「これで何人目だ?」

「6人、代表しての連絡もあったので、8人ですね」

「そうか、やはり彼らは良い検体だ」

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