13-22 ブロイ
ミューレイは自分の身体が崩れ落ちるのを感じながら、背後から迫る足音を聞いた。
この足音はシャオルか。
途端に怖くなった。死が恐ろしくなった。
シャオルの傍にいたかった。シャオルが倒れるまで。
それが戦場であろうとベッドの上であろうと、明日であろうと100年後であろうと。
私は何をしてきたのだろう。
シャオルを護るという一点が全てだった。
多くの者が私から離れていった。それでも良いのだ。シャオルの傍にいることができれば。
シャオルを護ることさえできれば。
シャオルを護る理由。
王族の守護。
それがロンネル家の宿命であり、ミューレイの運命であった。
幼い頃からの教え。
守護騎士としての栄光とプライド。
しかし、それだけで理由は埋め切れない。
幼い頃からシャオルの傍に居た。天真爛漫なシャオルには魅力と危うさが同居していた。
最初は同じ教育を受ける学友だったシャオル。ミューレイにとって騒がしくも厄介な存在でしかなかった。
男子たる自分は女子たるシャオルを護らねばならない。それが騎士であると教えられた。
人を護るという事は危険を力で排除する事ばかりではない事も知った。
その数年後、シャオルが王族であり、自分は王族に仕える身分である事を知る。
思いの外すんなりと受け入れる事ができたのは、シャオルがライゼン・キルジェの孫であったからだろう。
青年といってよい年齢となった時、自分のなかに湧き起こる不思議な感覚に戸惑った。
シャオルは人間としての魅力を多く持っていた。しかし、その魅力は女性としての魅力をも内包していたのだ。
今でも思い出す。
あれはシャオルが軍務に着くようになったばかりの戦場。
エナルダである2人の能力は高く、シャオルどころかミューレイも敵を舐めていた。
高い戦闘力を持つ2人は敵陣深く斬り込み、そして包囲されていた。
味方は散々に打ち負かされ、戦線は大きく後退する。
敵の勢力下に取り残されてしまった2人は、残党狩りが行われる中、樹々が生い茂る森を西へ逃げる。
その逃避行の最中、森にある崖の僅かな窪みに身を寄せて休んだ。
ミューレイは剣を手に警戒をとる。10月の冷たい雨がミューレイの鎧を伝って落ちた。
「ミューレイ、そこでは身体が凍えよう。こちらで休むがよかろう」
言葉遣いも王族然としてきたシャオルの言葉を背中で受け、首を微かに横に向けて断るミューレイは警戒態勢を崩さない。
その肩にシャオルが護り持っていた軍旗が掛けられた。
鎧の上からでもシャオルに触れられた背中は熱を帯び、軍旗を雨避けに使うなどという不遜な行為を咎める事さえできなかった。
その後、ネーベルに発見され、ラオファ達によって救出されるのだが、あの時の背中の熱は今でも忘れない。
シャオルを護る理由。
それは運命やプライドなどでは埋めきれない事に気付いていたが、それが何なのか解らなかった。
しかし今、死を覚悟して、シャオルの声を聞いて、はっきりと解った。
女など十分に知っているつもりだった。その心も身体も。
だから見落とす。自分の心を。
気付かなかった心は伝えられなかった想い。
伝えたい。それまでは死にたくない、まだ。
膝が折れるのを感じながらシャオルの声を聞いた。
「ミューレイ!お前は私の光だ、私の側にあって道を照らす光なのだ!」
ミューレイの頬を血ではない暖かいものが流れた。
クラトが床を蹴った。
「ジュノ!行くぜぇッ!」
「はいっ!」
天使にクラトとジュノが迫る。二人とも剣と刀の二刀持ち。
斬撃ではなく突き、片手は防御だ。
(ビキンッ!)
刀の刀身が折れて飛ぶ。
ジュノが天使の身体を蹴って距離を取ろうとするが、天使の身体はびくともしない。
装甲を施したまま、後方へも噴出しているのだろう。
「神のご意思に従いなさい」
天使の声はひどく落ち着いていた。
その声とは裏腹に手刀の動きは鋭く、ジュノですら躱すのが精一杯だった。
クラトとジュノが天使を抑えている間、ミューレイは後方へ引きずられていく。
取り付くシャオルを抑えたブロイの声に動じた様子は無かった。
「微かに息があるようだ」
その言葉が終わらぬうちにミューレイの心臓を強く叩いた。
ミューレイの身体は完全に力を失って首が垂れ下がる。
「何をした!」
ブロイはバックから取り出した缶の蓋を外しながら、ちらりとシャオルを見た。
「心臓を止めた」
「なにっ!貴様・・・!」
「黙っていてもらえるか。このまま血が流れ続けたら死ぬ。だから心臓を止めた。この薬は、ある植物と昆虫の卵をつぶして練ったものだ。これは固まっても弾力があって傷を開かないように塞ぐ事ができる。そして固まるのを待って心臓を動かす」
「可能なのか?そんな事が」
「わからん」
「分からないだと?」
「この男の脈はかなり弱かった。心臓が動くかどうかは微妙なところだ」
「ミューレイが死んだら貴様の命で償ってもらうぞ」
「勝手にするがいい」
ブロイは、ジルオンのレギオルスと恐れられたシャオルが見せた動揺に苦笑いしながら手早く処置を行った。
粘りのある薬で血は止まったようだ。今すぐ心臓を動かしたいが、そうすればまた血が流れる。
「この後はどうする」
「このまま少し待つ。できれば移動はしたく無いが、どちらにせよ少し待たねば駄目だ」「天使はあの2人に任せれば大丈夫だ。天使に与えられた時間は短い」
「おらぁッ!」
不動だった天使の身体がクラトの斬撃によろめいた。
今やはっきりと苦痛の表情を浮かべている。
天使の身体を包む空気に乱れが生じ、そして消えた。
装甲解除
天使は一歩下がり、上目遣いに睨んでいた。
かつて美しさと聡明さの象徴といわれた碧い瞳と鳶色の瞳は、むしろ禍々しいものに感じられた。
ここで一気に勝負をつけなければならない。
クラトとジュノは剣を握り直すや前に出る。
装甲発動
剣は防御したが、身体を支える後方への噴射が弱く、天使は後方へ押し込まれた。
ジュノの追撃は速い。天使に僅かな時間すら与えず横殴りの剣が天使を更に弾き飛ばす。
半身で座り込むような姿勢の天使は、床に手をつき肩で息をして、もはや顔さえ向けない。
ジュノ、少し遅れてクラトが迫る。
(ザザッ!)
(ギャリィッ!!)
クラトとジュノの剣は天使の装甲ではなく、何者かの剣に阻まれた。
天使の前に1人の男が立ちはだかっている。
両手の剣でクラトとジュノの斬撃を受けたまま不敵に笑った。