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13-12 ジェライナ

シャオルの眼前で礼をとる姿勢の男、歳は50台半ばに見えた。

「そのほう、私と親しいと申したそうだが。私が失念したのであろうか、とんと記憶がない」

男は顔をあげじっとシャオルを見つめた。その落ち着いた様子はむしろ大儀そうに見えた。

「あぁ、お忘れか。それもやむなし。私はライゼン・キルジェ様に付き従った軍医のジェライナ。姫がまだ幼き頃、この手に抱いてあやした事もございます」

「あぁ!“ひげレクス”か!そうだ、祖父がよく申しておった。この“ひげレクス”が居る限りわしは死なぬと。ブレシア本城への転属には祖父も残念がっておったものだ」

「思い出されましたか」

「確かにレクス・ジェライナ(ひげのジェライナ)と呼ばれておったな。誰もがレクスと呼んでいたので忘れておった。風貌もだいぶ変わっておるし」

「は、歳はとりましたが」

「何を申す。分からぬはずだ、髭がなくなっているではないか」

「ライゼン様が憤死なされてから髭は伸ばさぬ事にしました」

ジェライナはライゼンの死を憤死と表現した。事実ライゼンの死はブレシアを国家から郷に転落させる政治判断を諫めるための自死なのだ。

「なぜ今まで訪ねてこなかったか」

「ライゼン様が自死なされた時、私は病を患い臥せっておりました。ライゼン様の死を知ったのも翌日です。私は殉ずることもできず、その日から軍医の職を辞しました」

「そうか。ラムカンへはなぜ」

「私の妻がこの地の出身ですので厄介になっています」

「なぜ今日になって出向いたか」

「これを」

ジェライナは書簡らしいものを差し出した。

クロファットが素早く受け取りシャオルに手渡す。

見ると差出人はライゼン・キルジェとなっている。

シャオルは一言「よいか」と訊ね、ジェライナが頷くのを見て祖父の文字を目で追い始めた。


我が友ジェライナよ、王を諫める方法が自死しか無くなった。もう命など惜しい歳でもないが、シャオルだけが気がかりだ。不憫な思いをさせてしまったと思うが、それは人として生まれたからには避けようのない運命なのだ。シャオルが不幸と感じてもそれは受け入れるしかないし、私は何もしてやれない。だからお前にしか頼めないのだ。

もしブレシアが国家として存在しなければ、クロフェナが動く時が必ずやくるだろう。その時はどうかシャオルを援けてやって欲しい。クロフェナに送られて来たばかりのシャオルにしてやったように、助け護って欲しい。叱り導いて欲しい。よろしく頼む。


シャオルは浮かんだ涙を人差し指ですくうと笑顔を見せた。

礼を取って控えているジェライナの手を取る。

「ジェライナ、いや、ライゼンの友ジェライナよ、ライゼンの願いを忘れなかった事に感謝する。そして不肖の孫を導いてくれる事を願う。そなたを独賢官とする」


独賢官とはレストルニアの国家で用いられる官職で、王や領主の補佐を行う賢人会の機能を単独で担う。

通常は軍師か大臣、または賢人会から選ばれた者が着任するが、その権限は大きく、軍の運営から税の設定、はては大臣をも独断で処罰する事ができる。

それは蛮族の国家における国師よりも遥かに大きな権限であり、それは独賢官という名の国王と言っても過言ではない。

それ故によほどの状況でなければ置かれない官職であり、通常は王が重病である場合などに限られる。


どよめきがあがり、クロファットはミューレイに報告するよう伝令を走らせた。

(気でも違われたか)

クロファットは唇を噛んだ。

このような重大事を一片の紙切れを信じて決めてしまうとは・・・。


(ありえない)

ジェライナも思った。

しかし、ジェライナの思考は“なぜ自分を独賢官に任命したか”ではなく、“なぜ任命がありえないか”を反芻した。簡単だ、独賢官は国王か領主でなければ任命できない。

何とも強烈なメッセージではないか。

“クロフェナは立つ”

ジェライナはシャオルの意志を確認した。

そして、この姫が君臨するクロフェナに自分が必要な事も再認識したのだった。


「独賢官の儀はお断り申す。これは私が姫を導く一つ目の行為であります」

「そうか、分かった」

シャオルはもう用件は済んだと言わんばかりにあっさりと退いた。

「それではジェライナを軍医として我が本隊への所属とする。そなたが率いてきた兵については何か希望はあるか」

「いえ、私の配下は軍医見習いと僅かな従者のみ。他の者はシャオル様を慕って集まった者たちです」

「わかった。自分の配下のみ引き連れよ。他の者は後でミューレイより指示する事にしよう。他に何かあるか」

「それでは早速ですが、ブロイという者が居ります。武芸に優れ、医術においては私すら足元にも及びません。御身の近くに置けば必ずや役に立つでしょう。ただ・・・」

「ただ、どうした・・・」

「は、もう30にもなりますが、無作法で口の利き方を知りません」

「ほぉ、無作法とな」シャオルは子供のような顔をした。

「幼い時に盗賊にさらわれ、下男として働かされていた時に闇医者から医術を学んだそうです。どうしてもと言って聞かぬので面倒を見ていますが、医術以外には興味が無いようで、特に礼儀作法の習得は私ですら手を焼いております」

「丁度同じような男が居るな。ちなみに、そのブロイとやらは私を何と呼ぶだろうか」

「は? 勿論シャオル様とお呼びするでしょう」

「ならば良い、私を呼び捨てにするどうしようもない者が一人居る。それに比べればマシだろう。今はな、能力を求めているのだ。本当に役に立つなら少しぐらいは目をつぶろうではないか」

シャオルはかえって機嫌が良くなったように見えた。


泣くも笑うも感情の豊かな子供だった。鈴の音のような声で笑い、転がる鞠のように走っていたライゼンの孫が目の前に居る。そしてこの私に何かを問いかけようとしている。何とも不思議な気持ちだ。

噂には聞いていたが、確かに将たる器だ。さて君主たる器にもなるか。

しかし、その才気は偏っているようだな。即ち補えば大きな力を発揮しよう。


騎馬の駆ける音が聞こえる。

ふと見れば、ミューレイが騎馬を飛ばしてやってくるのが見えた。

そのミューレイにクロファットが目で合図をした。

“ご意見無用”

「どうしたミューレイ、何かあったか」

クロファットが独賢官の件をミューレイに知らせたのを気付いているシャオルは悪戯っぽい笑顔を見せた。

ミューレイはシャオルの戯言には付き合う気がないのか頬を緩めもしない。

下馬するや足早にシャオルに近づき、片膝をついて礼をとりながら言った。

「カノヴァ軍が敗れました」


絶対優位と思われていたカノヴァ軍が大敗し後退しているという。


◇*◇*◇*◇*◇


ラムカン城攻撃に手間取るカノヴァ軍の側面に現れたのは軍装からウェルゼ軍と思われた。

斥候からの報告では2個軍団規模5,000。後続部隊は見当たらない。

先の戦いでウェルゼ軍はラムカン軍に完膚なきまでに叩かれ、その弱体ぶりをさらけ出したばかりだ。

ウェルゼ軍発見の報を聞いたラムカン兵士は、成果が出ない攻城戦にんでいたのか、新たな敵にむしろ喜んだ。ウェルゼ軍相手に鬱憤を晴らそうというのだ。

カノヴァは敵の2倍である10,000を差し向けた。

しかも、本隊は自ら5,000を率い、両翼に各1,500、遊軍2,000と万全の備えで対峙する。

さすがにカノヴァはウェルゼの背後にジェダンが控えている事を知っていた。

ウェルゼ5,000は簡単に撃退できるだろうが、ウェルゼは先の大敗の後とはいえまだ数万の動員力があるはずだ。ジェダン軍が動く事はあるまいが、ジェダンの指揮下に入ったウェルゼ軍の随時投入は十分にあり得る。

また、この戦いでは前回のように逆侵攻してはならない。ジェダンへの刺激を避け、この戦いを正当化するためだ。その為には自らが軍を率いる必要がある。

報告ではクロフェナからゼリアム城からブレシア軍が出撃しているらしい。

ラムカンが存続を保つためには自力でラムカン城を落し、内戦終結を宣言する必要がある。

その為には、まず敵の援軍であるウェルゼ軍を圧倒的に倒す。撃退ではなく殲滅するのだ。それはラムカン城にこもる兵士を落胆させ、カノヴァ軍の士気を高めるだろう。

そして返す刀で一気に攻め落とす。

「やってやる。元より失敗は身の破滅でしかないのだからな」


しかし、カノヴァの策略も覚悟も全ては無に帰した。

カノヴァ軍10,000はウェルゼ軍5,000に完敗したのである。

優勢な兵力、両翼の戦術、遊軍の機動力、いずれも意味をなさなかった。

確かにカノヴァ軍はウェルゼを舐めていたが、それを敗因の一つとは数えられないほど圧倒的なウェルゼ優勢で戦いは推移した。


最初はウェルゼ軍騎兵の突撃だった。

ウェルゼ軍が前面に押し出して来たのは騎馬隊であった。馬体にも装甲を施した突撃騎兵約1,500。

カノヴァ軍本隊の前衛が荷車を並べ弓と槍で防御すべく動く。その時、騎兵は左右に分かれ、ウェルゼ軍騎兵の後方へ回ろうとしたカノヴァ軍騎兵を側面から攻撃した。

カノヴァ軍騎兵は意表を突かれたが、数の上では2倍、カノヴァ軍が有利のはずだった。しかしあっという間にカノヴァ軍の騎兵は壊滅してしまう。

ウェルゼ軍の騎兵はあまりに強力だったからだが、特に先頭を走るきらびやかな甲冑の騎士の突破力はとても人間とは思えなかった。

「エナルダか!?」

カノヴァ軍にもエナルダはいる。しかし、ウェルゼの騎兵は想像を上回る戦闘力でカノヴァ軍騎兵を打ち倒していった。

カノヴァ軍本隊は、味方の騎兵が次々と討たれていく様を見ながら動く事はできなかった。

正面からはウェルゼ本隊3,500が迫っていたのである。


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