13-8 慎重
ジェダンとウェルゼの南部には山脈が東西に走り、北東部首長連合とクエーシト、ギルモアとの国境を形成している。このジルディオ山脈に守られたウェルゼは久しく戦乱から離れていた。
北の戦乱が蛮族に波及しなかった大きな理由もこれだ。
特にウェルゼはバルナウルとの戦いでも僅かな兵を送ったに過ぎず、実戦経験はほとんど無かった。
一方、ギルモアのアティーレ郷と激しく争ってきたラムカンは実戦経験もあり兵士も鍛えられている。
カノヴァとルペロスが共闘すれば、戦力の方程式を用いるまでもなくラムカンの優位は明らかだった。
ラムカンの2倍の兵力で侵入したウェルゼ軍は、あっという間に打ち破られて、撤退に次ぐ撤退を重ねた。潰走するウェルゼ軍を追ってラムカンは逆侵攻する。
カノヴァとルペロスの間ではウェルゼの領土を加えて2分しようという協定が結ばれていた。
首長連合の構成国とはいえ侵攻してきたのはウェルゼだ。攻める者は攻められる事を認めねばならない。
ウェルゼはジェダンに援軍を要請した。
元はといえばジェダンの依頼に応じてラムカンに侵攻したのだ。しかもウェルゼ軍が劣勢だというのに援軍どころか物資援助すらない。これが依頼した国の態度か。
ウェルゼは自らの欲望は棚に上げ、不満だけは強く持った。
ジェダンに対し、ウェルゼは国師のケイルスを派遣した。
それはジェダンに対する敬意や礼節などではなく、強い不満の表れであり早急な援助を取り付ける為だった。
ケイルスはキルゼイ国王の前でも不満を隠さなかった。
「我が国がラムカンへ兵を進めたのはジェダン国からの要請があってこそ。それが今まで援軍どころか一粒の麦すら援助を受けてはおりません。これでどうやって兵を励ませというのでしょう」
キルゼイは全く表情を変えない。
ケイルスは焦った。
「我が軍は武運つたなく破れましたが、士気の低下がその一因とも考えられます。更にラムカンはウェルゼ領内にまで侵入しております」
シャゼル・リオンに目を向けた。国師同士、会議では何度も顔を合わせている。そのシャゼルはキルゼイの横に佇立しながら視線すら動かさなかった。
ケイルスはシャゼルに恨みの目を向けたが、すぐに視線を床に落して懇願した。
「首長連合の危機でございます。何卒、ウェルゼに援軍を・・・もはや一刻の猶予もございません」
なおも言葉を続けようとするケイルスをキルゼイは右手を上げて制した。
「使者よ、余はウェルゼに敗戦の責を求める」
「は、・・・は?」
「神の命を受けて兵を進めながら敗れるとは、その責任は重大である。しかもその責すら明らかにしないまま、兵を糧秣をと要求するのは厚顔無恥にもほどがあろう」
「お言葉の意味が分かりかねます!」
「国師殿が使者とは、その御身で責を果たすのであろう?」
「な、なにを・・・!」
立ち上がろうとしたケイルスの隣にはいつの間にか天使が佇んでいた。
「神はあなたの存在をお認めになりませんでした」
天使がその手を軽く振るとケイルスの首から血が溢れた。
「がはッ!」
大量の血が噴き出し、天使は返り血を浴びた。
しかし振り返ってキルゼイに一礼した時、天使の身体にはただの一滴すら血の痕跡は無かった。
それはキルゼイの隣で見ていたシャゼルにすら魔法のように見えた。
こうしてウェルゼはあっけなく滅んだ。
ジェダンは宣言する。ラムカンの内乱とウェルゼの介入。またラムカンのウェルゼへの逆侵攻。それらは許される行為ではない。
ラムカン内乱への参戦とウェルゼを保護国とする事が一方的に宣言された。更にジェダンはこのどさくさにまぎれてウェルゼと親交が深かった2部族を含む4部族を併合。神聖ジェダン王国が成立。
ここに北東部首長連合は崩壊した。
ラムカンは相手がウェルゼであれば数倍の兵力であれ恐れもしなかったがジェダンは恐れた。
ウェルゼは保護国とされているが、この先どうなるかは北部2部族への処遇が示している。
一旦ウェルゼから軍を退いたラムカンだが、ここに来てラムカンはまたもや分裂してしまう。カノヴァはブレシアを、ルペロスはジェダンを、それぞれ頼る事を主張し、対立が再燃したのだ。
カノヴァ王弟の密書をブレシア首脳は深くも考えずギルモア本国へ報告した。何も考えなかったというのはあまりにも愚かな行為だった。
もっとも、隠そうとしても本城の隅々までギルモアからの密偵が入り込んでいるので不可能なのだが・・・
ジェダンがウェルゼの北に位置する4部族を併合したのであれば、ウェルゼの保護国というのも名目でしかないだろう。残るはラムカンと、その北に位置する親ラムカン3部族。そして親ブレシアのマバザク族だ。
大国間にある小国の分裂は戦乱を呼ばずにはおかない。ジェダンもそれを考えない訳では無いだろうから、ギルモアと事を構える事も想定に入れていると見るのが正しいだろう。
ギルモアとジェダンがぶつかればブレシアは最前線だ。しかも背後にバルナウル連合がある。それら大国にとっての一進一退はブレシアの消滅すら意味する。
北東部首長連合の崩壊。
ギルモアはここをチャンスと見て、北方への勢力拡大に乗り出す。
まずバルナウル連合と正式に中立条約を締結、西部を抑える。今回の条約は国家間の一等条約として締結された。一等条約とは国家内にある全ての郷を含み、一切の例外を認めないというものだ。
条約締結の直後、ギルモア軍は旧アティーレ郷から北上、ラムカン王弟のカノヴァを正当なラムカン王として認め、これを援ける為にラムカン領内へ軍を進めた。
それと同時にマバザク族を含むブレシア北方の4部族へ“共闘”を申し出る。
このあたりがギルモア軍師セシウスらしいところだ。
力関係からすればこれら4部族に存続の可能性は無い。強兵を誇るマバザクといえど国家に対抗するには総合的な国力が足りないといえる。
西のバルナウルに東のジェダン、南にギルモア、これら大国に挟まれた4部族は地理的に実に危うい。
この地でひとたび戦乱が火を噴けば、彼らはポルス(複数のチームがボールを奪い合う競技)のボールのように大国間で揺れ動くしかあるまい。国境は何度も書き換えられ、戦線はローラーのようにこの土地を往復するだろう。
そこに残るのは焼けた大地と流れた血、そして憎しみだけだ。
そして焼けた大地に草木が芽生え、流れた血は洗い流されようと、憎しみだけは残る。
そこには戦争が無くなろうと復讐の連鎖だけが残るのだ。
北東部首長連合が崩壊した今、各部族が単独で存続するのは困難といえる。
どの国に頼るにせよ、自治を有する存続などありえないはずだった。
大国に組み込まれれば、部族民は各地に移動させられる。国名は即座に消え、伝統や文化もゆっくりと消えていくだろう。これが力を持たぬ国の宿命なのだ。
しかし、ギルモアからの申し出はあくまで部族を存続させた“共闘”だというのだ。この言葉に惹かれない者などいない。各部族内では親ギルモアの意見で満たされた。
しかし、彼らにとっての脅威はジェダンだけではなかった。むしろ戦い続けてきたバルナウルの方が脅威と言えるだろう。
ではどうするか?
ギルモアとバルナウルとの間には中立一等条約が成立している。いっそギルモア領となれば良い。敵はジェダンのみだ。これなら戦線も維持できるだろう。
ここでギルモアは、各部族にギルモア国の郷としての受け入れを表明。
各部族からは自主的にギルモア勢力下への編入を希望する回答があった。
まさに事態はセシウス・アルグレインが思い描くとおりに進んだ。
バルナウルと以前結んだ密約でギルモアがマバザクを領有した場合にはマバザク西部の割譲を行うと約されていたが、これについては違約金が支払われる事となった。
ギルモア本城の会議室では軍事大臣、元帥、軍師による戦略会議が行われていた。
「セシウス殿、今回はお見事だったな。我々は攻め取る事しかできんのに、そなたは一兵も失わず、1粒の糧秣も使わず、1リヴィエット(1リティ四方の面積)の領地も荒らさずに広大な領土をギルモアにもたらした」
「その通りだ。しかも相手から我が勢力への編入希望を引き出す辺りは誰も思いつかぬだろう。バルナウルとの密約を違約金で済ませたのも良かった」
「ありがとうございます。しかし、まだブレシア対策が残っています」
「ブレシアも北部4部族と同じ状況ではないか?まさに八方塞なのだからな」
「アティーレ地区から北上したギルモア軍もラムカン南西部への展開を完了したとの報告だ。ラムカン西部と北部4部族がギルモアの勢力下に入ればもはやブレシア以北の領土も突出した危険地帯ではなくなるだろう。何を心配しているのか」
「はい。北部4部族がバルナウルやジェダンに与する事はないでしょう。たしかに選択肢は限られ、ギルモアを頼る他は無いという状況ではありますが、ブレシアがギルモアの傘下に属しているという点が大きく影響したと考えます」
「うむ、それもそなたの予想通りではないのか?何を心配している」
「は、これら蛮族が糾合され・・・独立という目があるやもしれません」
「まさか。我らギルモアも含め、バルナウル、ジェダンと大国の丁度中心地に小国を立ててどうしようというのだ」
「そう言うな。“軍師は慎重である事に金の価値がある”という諺もあるではないか。千慮の一失という事もあろう。軍師殿がそれだけ慎重なら逆に安心というもの。我等はラムカンの制圧に力を注ぐのみだ」
こうしてギルモアの戦略会議は終了した。