2-10 新進派
ハイエナルと人間を融合させて、エナルダのような人間を作る研究。
何だか遺伝子操作の話に似てて面倒な気がするな。
どちらにせよジョシュ・ティラントってヤツが中心になってる・・・というより、エナル研究をジョシュが牽引しているのは間違いない。
そしてそのジョシュは7年前にルーフェンを出て行ったって事か。
ジュノの説明は基本的に10年前から5年前の話だ。
ジョシュの研究に多くの人が反対したってのは理解できる。
ただ、この世界の軍事力としてはかなりデカイ話だ。研究の抑制とかしなくて良かったのか?
地球だって最終的な正義は力だ。まして戦いが多いこの世界で放っておいてイイとは思わないんだが・・・。
ジョシュが牽引しているというよりも、他のヤツらが引きずられているように感じる。
しかもこれは技術だ。技術は拡散するのも早いし、新しい技術は更に新しい技術を生む。
停滞が長ければ長いほど、革新が一気に進むのが常だ。
化け物同士か超人同士かは知らんが、いずれ戦争の内容が大変なコトになるんじゃないだろうか。
ジュノに聞いてみよう。
「そうですね。8年前、ジョシュがエナルダを人工的に作り上げる計画を発表した時には、多くの研究者や識者が懸念を表明し、ほとんどの国も郷も同様の意見でした。クエーシトを除いて」
「そして、1年後にジョシュは北に向かいました。恐らく目的地はクエーシトでしょう」
「でも、大丈夫ですよ。私もエナル濃度が高い森の奥や湿地で長く野営を続けたりしましたが、エナルスを見た回数は片手でさえ余ります。しかも見ているうちに消えてしまいました。あれを人工的に発生させるのは難しいと思います。しかもマスエナルはハイエナルの発生および無機物との融合という、更に低い可能性の変化が2回おきるコトから成り立っていますから」
「私もマスエナルは一応持っていますが、これは作用係数も小さい軍からの支給品です。作用係数が大きいものは大抵が国王の城に厳重に保管されていますよ。武器にも食料にもならない宝石の類と一緒に」
ジュノの言い方は、少し投げやりな感じだった。戦場で戦う者としての不満は分る。
まぁ、貴族なんてそんなものだろう。マスエナルでどれくらい強くなるのかは知らんけど。
マスエナルがどうこうよりも、あの聡明で慎重なジュノが軽く考えている事が気になった。
「カピアーノ博士ですら、4つの属性全てを持ってはいません。それにジョシュとカピアーノ博士が合同で研究していた5年間で進歩したのは、エナルに関する体系付けや理論など、机上のものばかりです」
「ジョシュは研究に没頭してその影響を考慮せず、実験の犠牲をも顧みませんでした。カピアーノ博士はジョシュの実験を抑えていたようです」
「カピアーノ博士はジョシュの才能の愛していましたし、ジョシュもカピアーノ博士に恩義を感じて父のように慕っていました。しかし、ついに袂を分かつ決断をしたようです」
「その直後です。ジョシュが新進派と称するグループを作ったのは。人数こそ6名と少なかったのですが、メンバーにはマスターエナルダも名を連ね、ジョシュの理論を軸として実験を進めました」
「ジョシュのクエーシト入りはメンバーを伴っていたでしょう。その後、カピアーノ博士にも明かさなかった理論と仮説の実験を一気に推し進めたと聞いています。そして5年前、エナルスの人工発生に成功したとの発表がありました」
エナル研究の関係者に激震が走りました。今までのエナル研究は入り口さえ見えていませんでした。それ故にエナルは超常的現象、精神的神秘的なものとして、その現象を記録するだけに留まっていたのです。しかし僅かであれ扉は開いたのです。そしてこじ開けたのは、あのジョシュ・ティラントです」
「ただ、エナルス人工発生の発表も公式のものではありませんでしたし、その後、研究の進歩を示すものは何も出ていません。今では人工発生の成功自体に対して懐疑的な意見が主流です。よしんば成功していたとしても、エナルスの発生が限界で、ハイエナルの生成やマスエナルの融合は不可能なのではないかと考えられています」
ジュノがジョシュのエナル研究について危険性を否定する度に俺の不安は増していった。言い過ぎかもしれないが、カピアーノ博士も無責任なんじゃないのか。ま、俺に何かが出来る訳じゃないが・・・。
「そうだ、後で私のマスエナルを使ってみて下さい。体感するのが一番分りやすいでしょうから」
ジュノは既に冷えてしまったお茶を一気に飲み干した。
「それでは、昼食の後で軍の説明をしましょう」
食事と聞いてベルファーは頭をもたげる。相変わらず現金なヤツだ。
食事に青色スープは無かった。朝から水で戻しておいた干し肉をフライパンで焼く。塩辛いチーズのようなものを削って乗せると、溶けて肉に絡む。一気に香ばしい匂いが立ちこめた。
「クラトさん、皿を下さい」
「え、皿?」
「そこの皿ですよ、それそれ」
「これか?」
「隣の小さいのです、2枚!早く早く!あぁ、焦げる~」
俺があたふたしていると、ベルファーが舌を出しながら楽しそうに見ている。
よく見ると、よだれが床に落ちている。
今度はそれをジュノが微笑みながら見ている。
ボイルした野菜にも塩辛いチーズを削ったものがかけられ、何かの穀物の粥がボウルによそわれた。
テーブルには2人と1匹の食事が並ぶ。
ベルファーはきちんとイスに座ってテーブルに並べられたボウルを前にしている。
空腹だったようで、いきなり顔を近づけ、熱い湯気にくしゃみをする。
笑い声が満ちた。
食事の後は陽の光を受けながら庭でまどろむ。ジュノとベルファーは既に寝音を立てていた。
俺のまぶたも次第に重くなっていく。
ジュノに肩を揺すられて目を覚ますと、すぐ近くにベルファーの顔があった。
「うぁっ、何だっつーの!」
ベルファーは俺の頬を舌で撫でる。
俺が立ち上がると、ベルファーはさっと離れる。俺が近づくと逃げる。
「こんにゃろ!」
エナルが伝えられるのか疑問な言葉を発しながらベルファーを追いかけた。
こうしてベルファーの望みどおりの追いかけっこの後、乾いた洗濯物を抱えて資料室へ。
何だか体に力が漲るようだ。昨日からの食事と睡眠が回復させたのだろう。
水汲み場で口を漱ぎ、水を飲む。さぁ、戻って軍についての説明を聞こう。
ジュノとベルファーの後から資料室へ向かう。
と、左肩と腰の上に突き飛ばされたような衝撃。
何だろう。手を伸ばすと細長い物に触れた。
その細長い物を握った瞬間、体に電流が走り、俺の体は崩れた。
俺の頭上を何かが飛んでいく。
顔を上げるとジュノが叫びながら跳んだ。声は聞こえない。
ベルファーが恐ろしい形相で走り抜ける。
ジュノは水汲み場の陰に俺を引きずり込んだ。
ベルファーの唸り声と人間の悲鳴が交差する。
肩と腰に突っ張るような感覚と激しい痛み。ジュノは矢の先端を凝視している。
「大丈夫、毒はありません。しかし、この矢は軍用ではない」
「まさか、こんな・・・」
ジュノは戸惑いながらも驚きの声をあげた。
「クラトさん、緊急の治療は不要です。このままここに居て下さい」
ジュノは水汲み場から飛び出す。
数本の矢が水汲み場の石に当たって落ちる。
倉庫に取り付いたジュノは中からボウガンと刀を取り出し、左手に3連ボウガン、右手に刀を握る。
森に向かうと繁みから放たれた矢がジュノを迎える。
信じられない速さで矢を躱すと矢が放たれた繁みへ突進する。
ジュノの動きはあまりに速くて、矢が放たれる前に躱しているように見えた。
ジュノはボウガンを繁みに3連射して投げ捨てると、両手で刀を握り斬り込んだ。
ベルファーの唸り声が遠くに聞こえる。
金属と金属がぶつかる音、悲鳴、重い物が地に落ちる音。
「ベルファー!逃がすな!」
ジュノの悲鳴のような声が飛ぶ。
腰と肩に何か重い物が乗っているような感覚。
痛みは感じなくなっていた。
意識が遠のいていく。