ロスト⑭
啓太の首につき立てられたのは刃渡り7㎝、幅は3㎝にも満たない両刃のナイフだった。
「あなたは最後の予定だったんだけどな。縮んじゃったね、寿命」
少し引き抜いて刃を捻りながらもう一度刺し込むと、男の身体はガクガクと揺れながら崩れた。
水道でナイフを洗い、柄についたロックを外して動かすと刃は柄の中に収まった。
外観は長さ15㎝、幅4㎝、厚さも0.5㎝程度の金属プレートでしかない。
バックにつけると付属アクセサリーに戻る。
なかなか手際がいいな。若いのに随分と慣れてる。
俺は感心して見ていた。
ナイフの使い方もクロウトだ。多少なりとも訓練されているのだろう。
こんなのがゴロゴロ出てきたんじゃ、簡単に仕事を請け負う訳にはいかんな。
美紗都が公園を出ようとして動きが止まる。
「誰?」
座り込むようにして美紗都を見上げる男。
「見てたの?」
男の開いた口は何も言わなかった。
美紗都は花壇の側に落ちているレンガを拾うと男に眼を向けた。
「もうナイフは仕舞っちゃったし時間も無いの。あと20分で終電だし」
季節外れのニット帽と膝の抜けたスラックス。薄汚れたジャケットのポケットからはビニール袋がはみ出している。
顔には恐怖が張り付き、まばたきすらせず見上げている。
美紗都が一歩踏み出すと、ホームレスの男は座ったまま後ずさりして花壇にぶつかった。
ただ、目だけは女から逸らすことが出来ない。
腹を蹴られて前のめりになった男の頭にレンガが叩きつけられた。
「良かったわ、外す前で」
女はディスポの手術用手袋を外すとポケットに入れた。
再び公園を出ようとした女の顔が歪む。
「何なのよ、今日は」
男がもう一人、公園の出口に突っ立っている。
「お前、その2人を処理しなくていいのか?」
女に緊張が走った。この男はさっきの2人とは違う。
「なぁ、殺すほどの力なんか持ってなかったんじゃないのか。あの若いのは」
こんな話をしてるって事は同業者だ。しかも敵対的な。
「知らないわよ、アンタこそどこのレギュレーターなのよ」
「同じ質問をしたら答えてくれるのか?」
「ふん、バカじゃないの?」
「教えてくれたら教えてやってもいいんだがな」
男の言葉は絶対的な自信を感じさせた。
つまり、“知られても始末するから構わない”という事だ。
「はぁ、全くもぅ」
いつもイケてない格好して、おずおずとした学生を演じて、男子からは無視されて、女子からは見下されて、たまに声を掛けてくるのは男子も女子もバカばっかり。
でも、もう少しで予定していた金額のお金が貯まる。
そうしたらもうこんな生活ともさよならできるわ。
男の自信が滑稽に感じられた。私より強いですって?
死体を処理しないから軽く見られたのかしら。
構わないのよ。今回依頼を受けた3人を始末したら私は仕事から抜けるんだもの。
「どうして無関係の人間を殺すのを見逃したの?」
「お前が殺らなきゃ、俺達が殺る事になるからな」
「なにそれ。私を勝手に使わないでよね。それに“俺たち”って何よ?何の気配もしないじゃない。直接言わないで、私がその言葉に気付けば信じると思ったの?そうやって上手くやってるつもりなの?結局、男はみんな同じね」
「そうでもないさ」
「もういいわよ。それよりさ、 お・じ・さん。 見逃して」
「そうしたいが、上司に怒られちまう」
「いいじゃない。取り逃がしたって言えば。そうすればおじさんも命拾いするのよ?」
「駄目だ」
「なに調子に乗ってんのよ!面倒だから下手に出てればイイ気になって!」
「でも、仕事なのよねぇ」
その声は美紗都の背後から聞こえた。
美紗都の見開いた硬い視線が振り返ると、そこには女が立っていた。
「こんな近くに・・・何も感じなかった」
その美しい女は体温を感じさせない雰囲気を持っていた。
「急がなくても大丈夫よ、ミサトちゃん。周りは押さえてるから」
美紗都は背筋を冷たい指でなぞられるような恐怖を感じた。
じりじりと後退して距離を取る。
この女かなり強い。
こんな人、私の組織でもそうそういるもんじゃないわ。
逃げるしかない。周りは押さえてるって言ってたけど・・・人の気配はない。この女も気配は感じさせないけど、このランクのレギュレーターを何人も揃えているとは思えない。って事は公園に通じる裏道を封鎖した?
ここを突破すれば何とか・・・それなら、オジサンがいる方から突破するべきね。
美紗都は振り返った。
「えっ?」
そこに立っていたのは、さっき殺したばかりの佐藤だった。
「冗談でしょ!生きてるはずない!」
そして右手の植え込みから姿を見せたのはホームレスの男だ。
「何よ!あんた達!死んだはずでしょ!殺したはずよ!」
「うるさいわね。騒がないで欲しいわ」
美紗都は心臓を冷たい手で掴まれた気分だった。
こんな恐怖は今まで味わった事がない。
首に衝撃を受けた。
5年前に不思議な力を手に入れた。
その途端にどす黒い自分の正体が見えてしまった。
その僅か3ヵ月後、初めて人を殺した。
人を殺しても私は何も変わらなかった。それに気付いて私は壊れたのだ。
3年前に組織に入った。
私は条件に合っているらしい。孤独だった私にも仲間ができた。でもそいつらは獣だ。
人間を凌駕する力、何の主義も持たず命じられるままに殺す。実は獣以下だった。
私のランクはA+と判断された。
それから何人も殺した。その度に信じられないような金額が振り込まれる。
私って便利みたい。
か弱そうな女子だから。まさか殴る力が400kgを超えるなんて誰も思わないもんね。
まだ“ナンバー無し”だけど、別に構わないわ。
ナンバーなんていらないし。
もうすぐ仕事辞めるし。
今度は上手くやって普通の女の子になるんだ。
後たった3人だったのに・・・。
あ、立ってられない。倒れちゃう。
倒れるまでの時間は長かった。
*-*-*-*-*-*
回収班を呼んで携帯を切ったミキは美紗都の顔にガムテープをぐるぐると巻いた。
「おいおい、それじゃ息ができないだろうが」
「あら、本当ね。この娘のナイフは?」
「これだったかな?」
金属プレートの横にある突起を押すと、バチッという意外に重い音と共に刃が飛び出した。
ミキは鼻孔部分のガムテープをナイフで削いだ。
美紗都の荒い息が聞こえた。切る時に失敗したらしく血が出ている。
「なぁ、こいつどうするんだ?」
「神代さん、私達はそんな事に興味を持っちゃ駄目よぉ」
「でも、こんな事辞めたいって思ってたんだな」
「それはそうでしょうけど、そんな勝手は許されないわ。銃は撃たきゃ鉄クズだもの。でも、それって普通の人間に近い感覚かもね」
「殺す相手をたった3人って言うくらいだぜ。とても普通じゃねぇって」
「ようは中途半端って事よね。可哀想~」
そんなところに男が6人現れた。
2体の死体と美紗都までボディーバックに詰めて車に運ぶ。
「相変わらず手際がいいな」
「まぁね。私達以上に警察に捕まったらマズイ仕事だもん。ま、止められても大丈夫だけど」
「それにしてもあいつはナンバー無しって言っていたな」
「そうね。つまり元々長生きできないレギュレーターって事」
「おいおい、俺だってナンバー無しだぜ?」
「あなたのナンバーは発行されてるわよ」
「えっ?いつ?」
「え・・・っと、先月だったかしら」
「何で俺が知らないんだ?」
「ん~、私が伝えるのを忘れていたからだわね」
「・・・おいっ!」
ミキは楽しそうに笑い続けた。