12-7 使者
「うおぉ、苦しい!」
クラトが体を曲げたまま地に突っ伏して苦しんでいる。
それは昼食の直前に起きた。ジュノがバイカルノを呼びに行った直後だ。
「大丈夫ですかクラトさん!」
“味見”と称してつまみ食いをしたクラトを襲った不幸だった。
「何を入れやがった?」
バイカルノは心配とも怒りともとれる顔で聞いた。
「野菜・・・入れた・・・」
「野菜だと?そんなもの買ってないぞ」
「あぁ!ハイシャムだ!バイカルノ殿、クラトさんがハイシャムを入れたようです」
「ハイシャムだと?このバカが!」
「おなか・・・痛い」
「何がおなか痛いだ!俺たちを殺す気か!」
「クラトさん吐いてください。水を飲んで吐くしか対処法はありません」
(お゛え゛ぇ~)
「しかし、よりによって探すのも難しいハイシャムを見つけてくるとは」
「こいつは疫病神だからな、毒草の方が寄ってくるんだろう」
「あうぅ、助けて、くれ」
「お前は大丈夫だ、“絶望の苦痛”でも死ななかったんだから」
「しかし、どうしてハイシャムなんて手に入れたんですか」
「畑に、あった。悪いと思った、けど・・・ちょっと、もらった」
「うぁ、それはまた厄介な事に」
「な、なにが・・・?」
「お前は黙ってろ!畑にあったって事はそれを栽培してるって事だ。毒草の栽培は薬の調合士しか認められていないし、この手の栽培には国が関与している。盗まれたと思われたら厄介だ。何に使うのかって話になるからな。食べようと思ったって説明しても通用せんだろう」
「早急に立ち去るべきですね」
「という訳だ。クラトには悪いがすぐに出発するぞ」「ま、動けないならクラトは後からゆっくりきてもいいけどな、かかか」
「ぐぐぐ、後で、コロス・・・」
「はっ、殺すだと?殺すなら今やってみろってんだ。ジュノ!クラトを乗せてやってくれ。俺はクラトの馬を引いていく」
「はい、分りました。あ、鍋を片付けないと・・・」
「ほっとけ、時間が惜しい。それにハイシャムも下手に処分しないで放置した方がいいだろう」
◇*◇*◇*◇*◇
バイカルノ一行はブレシアに入った。
新しい郷でもあり、ギルモア軍による通行審査が行われてる。
荷物を取り上げた兵士が尊大に構えた。
「お前たちは何者だ?目的地は?」
「はい、私達は・・・」
愛想の良い商人の顔を向けるバイカルノの後ろでクラトがよろめく。
「うおぉぉ・・・おぁぁ・・・」
「おい、その男は具合が悪いのか?」
「あ、えぇ、はい、北の戦乱で体を不自由にしてしまって・・・もう1年近くこの有様です」
「う、うるせぇぞ、く、くそぉ」
「お、さすがに北の戦乱の生き残りだな、根性だけはありそうだ」
「お、お前もうるせぇ、よ・・・・おえぇぇッ」
「うわッ、こんな体で旅なんかできるのか?」
「はぁ、こやつは私の甥ですが、家を飛び出していって帰ってきたらこの様でございます」
傍らの兵士が思い出したように言った。
「そうか、お前たちも巡礼か」
「え?」
「難病に冒された者が続々とエルジュに向かっているそうだ。天使の礼拝堂で治癒祈願するんじゃないのか?」
「え、えぇ、そんなところです。バルロス街道に出たら東に向かう予定です」
意外にも人の良さそうな警備兵はクラトを見て勝手に納得しているようだ。
ハイシャムの一件が良い結果をもたらした。バイカルノは内心ほくそ笑んだ。
「確かに通行人数も格段に増えている。中にはレノや密売者も多く混じっているようだが・・・」
バイカルノは相変わらず人の良い商人然とした笑顔で2、3説明した後、隊長とおぼしき兵士へ小さな包みを手渡す。
「これは些少ながら・・・」
「すまんな」「おい!こいつ等を通せ。荷物も返してやるんだ」
隊長はバイカルノの包んだ額が思いの他大きい事に驚きつつも顔をほころばせた。
「お前たち、ジェダンに行っても天使には会えないぞ。エルジュの神殿と天使の礼拝堂にある天使の像に礼拝するのが関の山だ」「しかも、こんなのを連れてちゃ道中も大変だろう。ま、気をつけていくんだな」
「そういえば、ブレシアに入ったらバルロス街道はジルオン街道と呼ぶんだぞ。蛮族の連中はそういうところを気にするからな」
「はい、お気遣いありがとうございます」
バイカルノは改めて礼を言うと、ジュノがクラトを馬に乗せ、バイカルノが馬を曳いて去っていった。
「くそっ、こんなのとか言いやがった」
「クラト、お前のうっかりのおかげで面倒な事にならなくて済んだ。毒草も食ってみるもんだな!うははは!」
「うるせぇ!って、うぉぉ、腹が痛ぇ・・・」
「バイカルノ殿、今日は早目に宿を取りましょう」
「そうだな、情報も仕入れておくか。今日は美味いメシが食えそうだぜ」
「くぅ、くそぉぉ・・・!」
翌日。
バイカルノが馬に揺られながら振り返った。
「しかし、どうする?ブレシアに入ってはみたものの蛮族の地は広い。どこか長期滞在できる宿でも取って色々と見ておきたいんだが」
「そうだと助かる。馬に乗ってるのもきつい」
クラトの体調はあまり良くなっていない。ハイシャムは結構な毒があるようだった。
「おや、あれは何でしょう」
ジュノの指差すほうを見ると2個小隊ほどの騎馬がこちらの様子を見るように佇んでいた。その中から3騎が駆けてくるや下馬して礼を取った。
「お待ちしておりました。我が主シャオル・レラ・ブレシア様より、丁重にお連れするよう命を受けております」
説明した兵の上げた顔を見ると、それはホウレイだった。
にこっと顔をほころばせたホウレイにジュノも笑顔を返す。
挨拶を交わすジュノをバイカルノが肘で小突いた。
「どういう事だ?」
バイカルノはジュノに問いかけた。
それにホウレイが答える。
「シャオル様よりあなた様方がブレシアに入られるようなら丁重におもてなしするようにと命じられておりました。ギルモアの関所にブレシアからも人を配しておりますので、すぐに分りました」
ホウレイの説明はジュノからバイカルノに一連の説明が済んでいる事が前提で行われている。
ホウレイは事務官としても優秀なようだ。
6騎の騎馬兵に護られながら街道を北上する。
「随分と気に入られたようだな」
「何をしたという訳ではないのですが、食事の時にクラトさんが老婦人と意気投合したようでした」
「気に入られたなってのは冗談だ。関所に人を配置してまで迎える理由なんぞ無い。むしろ警戒されてたんじゃないのか」
ホウレイはバイカルノ達の懸念を感じ取ったのか振り返って言った。
「私は別の用件でシャオル様達に遅れて帰還したのですが、帰還途中にアキレアの宿場であなた方を見かけたのです。任務の関係でお声を掛けられず失礼しました」
アキレアとはジレイト街道にある地名だ。その西でジレイト街道はペテスロイ街道と交差し、北上するとブレシアに至る。そしてペテスロイ街道は名を変えてブレシア街道となる。
「でも、どうして俺たちがブレシアに向かうと思った?」
「お見かけした時、まだ4時(地球で言う午後2時)でした。ジレイト街道を西に直進するにしてもペテスロイ街道を南に進むにしても、次の宿場まで十分に到着できる時間帯です。しかしブレシアに向かったら次の宿場は遠い。ですからあの時間でアキレアに宿を取るという事はブレシアに向かうとしか考えられません」
「なるほどな・・・」
ホウレイはまた何かを感じたのか最後に付け足した。
「怪しまないで下さい。我々は客人へのもてなしを大事にする部族なのです」
ホウレイの瞳には誠実と厚意に満ちていた。
こんな瞳をしている男を疑う術はない。