12-4 蒼空
ヴォルタ・マバザクを除く2国7部族の王や領主の命は救われた。
彼らがマバザク国のガンファーでキルゼイを亡き者にしようとしたとされる密談は“ガンファー謀議”と呼ばれ、結果的に首謀とされたヴォルタの死によって、キルゼイにも2国7部族の王にも都合良く解釈、結論付けられた。
ただし、現在の地位から退いて後継者に譲る事と、今後国政および連合議会への不参加が条件だった。多くの王や大臣は領土の割譲や損害賠償などの条件を示されると考えていたが、それらは無かった。理由として今回の罪は個人に帰すとされたからだ。
この一連の事件でキルゼイは自分を亡き者にしようとした者達の命乞いをするという慈悲深いイメージを人々に植え付けた。
しかしその裏にある“神の決定をも覆す”という事実。それは神への反逆に他ならないが、博愛という衣を纏っていたのだ。皮すら甘い果実の果肉が苦いなどと誰が思うだろうか。
◇*◇*◇*◇*◇
「何とも念が入った神託だな」
ここはギルモア国の軍師執務室。セシウス・アルグレインは報告書に目を通しながらつぶやいた。
「何によせブレシア情勢の安定化とアティーレの強化は最優先だ」「ブレシアが安定していればマバザクどころかラムカンや北部の諸部族まで手を伸ばすチャンスであったものを」
セシウスはギルモア軍の補強としてバルカの機械化部隊を導入しようと考えていた。しかし同じものを備えても意味がない。より強力な兵科にしなければならない。しかも早急に。
それにはエルトアからの協力を取り付ける必要がある。エルトアは基本的に他国との軍事条約を結ばない。これは顧客確保という面もあるが、安全保障の面でいえば中立による牽制にある。つまり高い技術力を限定した国に供給するというカードだ。
何とかエルトアをギルモアの影響下に置きたい。地理的にはギルモアを置いて他にはなかろうが、それだけに他国の反発は強いだろう。
「もう一練り必要だな。しかも駒不足だ」
そう、人員的な面でいえば北の戦乱で一番損害が大きかったのはギルモアだ。特に将校の損害は優秀な軍師すら悩ませる程であった。
その点でバルカのヴェルーノ卿の先見の明は際立っていた。戦乱の8年も前からエルトアに要員を送り込み、その者達は何とか北の戦乱に間に合い、それが重要な役割を演じたのだから。裏を返せばバルカの勝利は何か一つでも欠けていたら成し得ない奇跡的な勝利だった。
その頃、クエーシト城ではデュロン・シェラーダンが同じ内容の報告を受けていた。
「実に蛮族らしいではないか、演出も観客も。しかし、少々面倒な勢力になりそうだ。・・・なぁ、セシリア」
「はい。しかし大きな力は自ら当たらず利用するに限ります」
「その通りだ」
潜入から戻ったカルラは報告を続ける。
「天使への接触を試みましたが、この事件の後は一切姿を現さなくなりました。公式非公式を問わずです」
「死んだか?」
「まさか」
「死んだのではないか?天使という存在は」
「そういった意味であれば、そうかもしれません」
「念の為に“王冠”北部の警戒を強化しろ。あと、管理機構に報告するように指示しろ。いずれ奴等の耳に入るだろうからな。こちらから報告してクエーシト政府従順なりと思わせておけ」
「はっ、承知しました」
今は辛抱の時か・・・ルヴォーグもジャナオンも力を発揮する場所はまだ先だ。
そして次は必ず勝つ。その為には物資人員を含む後方からの支援が欠かせない。
魅力的だな、蛮族の地は。
*-*-*-*-*-*
バルカ城南門にある練兵所。
そこに張られた幕舎に向けて走る影があった。
信じられないスピードながら、乾いた地面に砂埃をほとんど立てない。
駆け込んできたアイシャは挨拶もそこそこに、切らした息のまま訊いた。
「手紙が来たってホント?」
エルファが目を細めて睨む。「誰から聞いたのよ、ほんとに騒がしいったらないわね」
アイシャも負けじと言い返す。「ちょっと、翼で砂埃を立てないでよね、せっかくお風呂に入ってきたのに」
「なによ、私が最初に読むんだから」
「何ですって!」
「うるさいぞ!2人とも!」
ルシルヴァの声に2人は首をすくめた。
ルシルヴァの後ろではファトマとイオリアが苦笑いしている。
「どれどれ」
ルシルヴァは内務府と軍事府の検印が押された包みを開けた。
封筒の表には「みんなへ」と書かれている。
「ははは、みんなへだってさ、それに下手クソな字だ」
ルシルヴァは開けるのが勿体無いように皆に見せて、改めて見つめる。
「ホントに下手な字だ。みんなへ・・・か。クラトらしいね」
(あれっ、何だろう。ちょっとヤバいかも)
その文字にクラトらしさを感じたルシルヴァの心から何かが溢れそうになった。
封を切る手が震える。
(やっぱりダメだ。もう限界)
「ファトマ、これ読んでくれないか・・・」
「え?えぇ、分りました」
ファトマは封を切って中身を取り出した。
途端に吹き出してしまった。大きく『元気だ?』と書かれていた。
「なになに?なんて書いてあるの?」
「皆さん、ちょっと待ってください。一旦全部読んでまとめてからお話します」
「ファトマ、ずるい!」
エルファが拗ねた声をあげた。
ルシルヴァもエルファを止めない。
「じゃ、変なところがあっても気にしないで下さいね」
『元気だ?』
ファトマは大きく書かれた部分を皆に見せた。
笑い声が起きる。
『バルカを出て3ヶ月が過ぎた。ジュノが書け書けうるさいから手紙を書くよ』
『俺は元気か。心配しなくていい。体もだいぶ戻ったきた。今日はブレシアにいる。ブレシアで護衛の仕事をやってしてる。蛮族が異常だからバイカルノが話を集める』
『ルシルヴァは苦労してる、よろしく頼む』『大隊の奴らにもよろしく言え』『また手紙を書くよ』
「以上です」
「え?それだけ?」
「もー、何でルシルヴァ隊長だけなの?」
笑いながら聴いていたアイシャとエルファは口を尖らせている。
「まぁ、あたしとクラトは長い付き合いだからね、ふふ」「じゃ、あたしは訓練に戻るよ。そろそろ速歩訓練から戻ってくるだろう」
ルシルヴァは幕舎を出て行った。
ルシルヴァは空を見上げた。青い空はどこまでも続く。この空を飛んでいきたかった。
“飛んでいけたらどうする?”“飛んでいってどうする?”
堂々巡りの繰り返し。ルシルヴァの心は少女のままなのかもしれない。