11-9 胸元
ジュノの心配をよそにリョウカは笑い出した。
「俺が聞いたのは冗談だよ。お前はそんなに強く無いだろ、立ち会った俺には分る」「大体、バルカの大剣が立ち合いでゲロは吐かんだろ、ゲロは」
「ゲロゲロ言うなっての」
「ま、お前も10リグノ剣を捌くし、なかなか根性もあるけどな」「本物は15リグノ剣だし、俺なんぞにのされたりはせんだろ」
「ちぇっ、その後で俺にやられたんだから似たようなモンだろ」
「俺はゲロなんぞ吐いてはいない」
「だから、ゲロって言うなっつーの」
「うるさいよお前たち!食事の前にそんな話をしてるんじゃないよ!」
「お前がクラトだね、そっちのイイ男は?」
ジュノが何かを言おうとしたが、クラトのあっけらかんとした声が答える。
「あぁ、こいつはジュノだよ」
(ああぁぁ、私の名前まで・・・)
クラトが答えると、またもやリョウカが口を挟む。
「今度はバルカの軍団長かよ、本当の名前か?お前ら、ふざけてるんじゃないだろうな?」
「お前たち北の戦乱の生き残りだって?」
シャオルはやや険しい目を向けたが、「名乗った名前を疑ってもしょうがないだろう」
と言って、その話題を終わらせた。
*-*-*-*-*-*
「さぁ、ここだよ」
そこは中の上という感じの料理店で、アマルカ(羊のような毛を持つ鹿に似た生物)を食べさせる店だった。
「クラト、ジュノ、お前たちは客だからね。あたしと同じテーブルだ」
俺は店に入った途端、ある臭いを思い出した。
タルキア街道の店で出された“臓物スープ”と同じ臭いがする。
あれ以来、俺はこの臭いが苦手だった。
ジュノが気づき、俺の顔を見た。
「この辺ではアマルカ料理を出す店が少なくてね、ここは無駄な味付けをしないのがいいんだ」
シャオルが何か頼んだようだ。俺たちに聞いたりもしないし、気にもしていないようだ。
まずスープが出た。臭いは臓物スープの比ではなくキツイ。
「おぉッ、いきなりこれか!」
「いきなりって何だい、不満でもあるのかい?」
ジュノは慌ててスープを口にしたが、俺は手をつけなかった。
「そうか、酒か?まだ昼間だってのに、クラトは酒が欲しいのか?」
シャオルは何を勘違いしたか、酒を頼んだ。
「それだ!!」そうだ、酔っ払ってしまえばいいんだ。
「分った分った、そんな大声出すんじゃないよ」
俺は置かれた酒を一気に飲み干した。
シャオル達も軽い酒を頼んだようだ。
続いて香りの強いアネス(気泡石という石を入れて、立った泡を飲むきつい酒)を頼んだ。
アネスを3杯飲み干す頃にはじんわりと効いてきた。
よし、いけるか?
少し冷めたスープを飲む。
臭い。臭いが大丈夫、食える。いや、臭みの奥に旨味があった。
これは美味いかも。クセになるとはこれの事だろう。
後から出てくる肉も臭うが、平気だった。
よく考えたら、北の戦乱の最前線では補給が途切れて雑草や木の根までかじった。ネズミのような小動物から、果ては虫まで食って戦ったのだ。
そんな食事に比べたら、この肉はごちそうだ。
食っては飲み、飲んでは食う。
シャオルは嬉しそうに草原や馬の話をしている。ラオファとリョウカ達も和んでいるようだ。
元々食べる量は多い方だが、この世界では特別大食いになるらしい。
そんな俺が自分でもよく食べたなと思うくらい食べた。
「クラト、お前、只者じゃないね。もう5人分は食べてるよ。それに酒もだいぶ飲んでるじゃないか」「アマルカは好物かい?」
「いや、初めて食べた」
「初めて?レストルニアでは臭いで食べられないって人間も多いんだけどね」
「いや、これは美味いよ。クセになるな」
「そうかい、アマルカはジルオン料理の基本だからね。気持ちいいじゃないか、その食いっぷりは。嬉しくなってくるよ」
その後も飲んで笑って、また飲んで、時間は過ぎていった。
どれくらい時間が過ぎただろう。
「そういえば婆さん、皺が少なくなってきたんじゃないか?」
「なに!?いかん!本当か!?」
「そんな感じがするだけよ。そんなに驚かなくてもいいだろ、悪い事じゃないんだし」
「え、そうだ、そうそう。この地の食べ物が合っているのか、そ、それとも少し太ったかな?」
「シャオル様、そろそろお時間が・・・」
「そ、そうか、では出るか」「リョウカ、そなたの旧恩を忘れぬ心はありがたいぞ」
「滅相もありません」
「馬泥棒にされたがの」
「あ、あれはその・・・」
「全く、婆さんもそんな事言わなきゃいいのに。自分でも言ってたろ」
「ん、今日は気分が良くてな。少々戯れたい気分なのだ。リョウカ、気にしてくれるなよ」
「ははッ」
皆が店から出て行った。店外で婆さんを待つのだろう。
俺が皆に続こうと席を立ったところで声を掛けられた。
振り返ると、あごを引いて口許に笑みを浮かべたシャオルが悪戯っぽい視線を向けていた。
なんだよ。
俺が聞こうとした時、シャオルの右手が襟を掴むや胸元を大きく開けた。
「ババァ!コロス!!」
という言葉も出なかった。
シャオルの鎖骨あたりから下の肌は老人のそれではなかった。
白く張りがあってどう見ても若い女の肌だった。
「ふふん」
唖然とする俺を横目にシャオルは胸元も直しつつ出て行った。
外は陽が傾いていた。
「クラト、また会おう。お前はどうせ忘れるだろうから、私が声を掛ける事になるだろう」
シャオルは謎をかけるような事を言ってラオファ、ホウレイと去っていった。リョウカ達も従って行くようだ。それぞれに別れを告げた。
◇*◇*◇*◇*◇*◇
宿に戻ったジュノはブレシア王族との出来事をバイカルノに報告を兼ねて相談した。
「老婦人はシャオルと名乗りました。配下は騎士の階級にあるようです。つい名乗ってしまったのですが、不用意でした、申し訳ありません」
ジュノは俺がやった事も自分の事のように話す。
「仕方がないだろう。ブレシアでは宿を拠点に情報収集をする予定だが、王族との接触など無いだろう。それに、酔狂で名乗る奴がいても不思議じゃないよ、お前等の名前は。それだけ有名だし、だからこそ“まさか”と思うだろう」
「そうですか。しかし、あのシャオルと名乗った老婦人はエナルダとはいえ異常に高い戦闘力でした。蛮族とはそういうものなのでしょうか」
「俺は昔、ジレイト街道を縄張りにする盗賊団にいたんで蛮族の事は知ってるが、奴等も俺たちと変わらんよ。歳をとれば衰える。その婆さんは余程エナル係数が高いんだろう」
俺はバイカルノとジュノのやり取りを聞きながら、身体が重くなっていくのを感じた。
食べ過ぎか飲み過ぎか、または両方か、動けなくなって意識が途切れる。
こうして、俺の傷は癒えていくのだ。
「それに従者も師団長レベルと見えました。道中は注意しなければなりませんね」
「そうだな、もう遭わないに越した事はないな」
「気持ちの良い人間でしたけどね」
「話を聞く限りじゃ、危なっかしい奴らだな」「そんなのはクラトだけで十分だ」
久しぶりに出たバイカルノの憎まれ口は優しい口調だった。
勿論ジュノは思っただけで口には出さなかった。
口に出さない分、表情に出た。くすりと笑う。
「どうした?」
「いえ、何でもありません」