10-12 許可
“北の戦乱”は甚大な被害と深刻な傷を残して終結した。
人目を憚りながらもエナル研究は50年進んだと言う者もいる。
そして戦いも様変わりしようとしていた。バルカの機械化部隊は各国で採用された。
対エナルダ戦を想定して設立された機械化部隊であったが、その機械化部隊に対抗できるのもまたエナルダなのだった。
バルカにとっては厳しい戦いの連続であった。
滅亡の危機は何度もあった。それを奇跡的に乗り越えたのだ。
外政大臣は謝礼の宝物を携えトレヴェントに向かった。次いでギルモア、エルトア、タルキアに向かう予定だ。他国には副大臣が向かう。
ラシェットはクエーシト侵攻作戦について違和感を持っていた。
バルカ軍がクエーシト領内に攻め入ってから被る被害はもっと大きいと予想していたのだ。
しかし反撃はほとんど受けなかった。オロフォス隊はジョシュとサイヴェルを追っていたというが・・・。
ラシェットはバイカルノへ意見を求めようとも思ったが、行うべき事があまりにも多すぎた。
それにバイカルノが何か別な事を考えていると分かっていた。
バルカ国内、いやそれはグリファでもギルモアでもトレヴェントでも同じ声が満ちた。
「終った。悪夢の戦乱が」
季節は春になっていた。春の訪れと戦乱の終結は人々の心を明るくさせた。
物資も欠乏しているし、家族が戦死した者も多い。しかし戦乱の世界は、そこに住む人々は、振り返る事はしないのだ。
どんなに苦しく悲しい中にいようと喜びは喜びとする。それがどんなに小さいものであろうと。
そういう精神が彼らの生活と心を支えていた。
「そうか、終ったのか」
ヴェルーノ卿からの報告を受け、ティエラは呟くように言った。その声は国に広がる喜びとはかけ離れた印象を与えた。
それを多くの将兵を失った事への心痛と感じたイオリアは姫に考える事を提供する事で和らげようとした。
「ティエラ様、ご心痛はご察し申し上げますが、国務に1日も停滞があってはなりませぬ。早速、赤騎隊と護紅隊の再編成についてご策定願います」「ルシルヴァと私の処遇について保留となっておりますが、この際、全くの白紙からご検討頂くべきかと存じます」
そうだ、ラヴィスの戦死によって、イオリアが護紅隊の隊長に、ルシルヴァが赤騎隊の副長にという人事が内定していた。しかし、戦乱とクラトの戦線離脱によって計画は頓挫していたのだ。もっともラヴィスが戦死した時に護紅隊は壊滅しているので、新たに隊員の補充から行わなければならない。イオリアはここにアイシャを用いる予定であった。
「クラト次第なのだ。ルシルヴァの件も」
「しかし停滞は許されません。策定する際に想定しない方が良いでしょう。クラト殿は」
「なぜだ!?」
余りの勢いにイオリアは言葉を失った。
「いや、クラトはクラトで大きな戦力なものでな。済まぬ」
「いえ、その通りでございます。私も思慮が足りませんでした。申し訳ありません」
イオリアはティエラの想いも理解しているし、クラトのジッポの一件も知っている。
それにクラトは戦場に立てるような体ではない。
久し振りに深酒をしたバイカルノはラシェットにこうこぼした。
「戦いが終って、バルカの“柔らかい問題点”が表面化した」
そして、そのバイカルノも新たな欲求が大きくなるのを抑えきれずにいた。
バルカ軍の再編成案はバイカルノとラシェットによって起案されてはいたが、まだ提示されていなかった。その内容は次の通りだ。
軍師:ラシェット(後の“白銀の軍師”)
第1軍団:レガーノ元帥“バルカの黒い稲妻”
第2軍団:ランクス軍団長(特装部隊隊長兼務)
第3軍団:アヴァン軍団長“バルカの白き矛先”
機械化部隊:ジェルラン隊長
高機動隊:アジャン隊長
赤騎隊:ティエラ姫“バルカの赤い旋風”
護紅隊:イオリア隊長(赤騎隊副隊長兼務)
突撃隊:ルシルヴァ隊長代行
重要な人物の名前がなかった。
主席軍師バイカルノ“傭兵軍師”
第2軍団長ジュノ“バルカの青い壁”
突撃隊隊長クラト“バルカの黒い大剣”
全てはクラトから始まった。
クラトは西方へ旅をしたいと願い出ていた。反対意見は多かった。
真っ先にピサノ大臣が発言した。
「姫、あの男は縛り付けてでもバルカ城に留めるべきです。あの男はもうただの大隊長ではありません。私はレガーノが出て行くと言っても止めませんが、あの男が出て行くのは何が何でも反対です」
「なかなか言ってくれるな。しかし俺も同じ意見だ」レガーノはそう切り出すと言葉を続けた。
「しかしピサノ、あの男は異人なんだよ。バルカの人間になりきっているとしても」「本来の世界や人生があったはずだ。そしてこともあろうか、小さな道具一つで動揺している。つまらん事だ」
「アイツはバルカの為に死ぬ事を厭わないだろう。事実、何度も死しか見えない戦地に躊躇なく赴いているしな」
「アイツはバルカの為なのか、ティエラ姫の為なのか、誰の為なのか、それはわからんが、いずれ死ぬだろう。死に際して最後の望みは罪人ですら認められるではないか」
「それに西に向かったって山脈と蛮族だ。どうせ見つかりはしない。気が済むまで探せばいい。そして本当のバルカの戦士として帰ってくるだろう。アイツは戻ってくる。バルカがアイツを必要としているのと同じく、アイツもバルカを必要としているのだから」
「ウムム・・・」
暫く考えていたピサノは顔も上げずに言った。
「わかった。その代わり、アイツが居ない間のバルカ軍は任せたぞ。それに・・・アイツには最大限の護衛をつけてくれ」
「馬鹿な、兵士をつけたらどの国も通れやしない。アイツがバルカ国を出るのも機密事項だ」
ここでバイカルノが手を挙げ、ジュノが立ち上がって姿勢を正した。
「クラトにはバルカ軍をそっくり同行させる予定だ」
冗談だろうが、会議場はザワついた。
「俺とジュノが同行する」
会議場のザワつきは混乱と言えるレベルまで高まった。
「軍師と軍団長がいればバルカ軍そのものではないか。そんなに騒がなくていい。実はエルトアの武具について見ておきたいのだ」「しばらくの間、戦は起きないし、エナルダの研究は滞るに違いない。しかし、それを崩す勢力が出るとするなら、やはりエナルダが鍵になるだろう。だから対エナルダ戦を今のうちから検討しておきたいんだ。それにギルモアがアティーレの北に蛮族を懐柔して作った新しい郷ブレシア、ここの情報も仕入れたい」
そんな理由で納得する者はいない。
しかし、バイカルノは実施を主席軍師裁量で決定した。後はティエラ姫の許可だけだ。
判断はティエラに委ねられ、ティエラは結論を保留とした。
「俺の代わりはラシェットに任せる。十分にやれるだろう」
「まぁ、ラシェットの方が礼儀正しいし男前だからな」とピサノ。
「最近、やけに乗ってるんじゃないのかピサノ」とレガーノ。
「お2人ともです」とバイカルノが笑って説明を続ける。
「ジュノの代わりはランクスに頼みたい。ジュノと同じ能力を発揮できるとしたらランクスだろうからな。特装部隊は兼務だ」
ジュノはバルカ城攻防戦で多彩な防衛戦を展開、ギルモアの侵攻を砦で食い止め、その鉄壁の防衛戦から“バルカの青い壁”と評されている。一方のランクスも組織を率いる力を付け、軍団長クラスに位置づけられている。
「それにしても軍師、あなたはバルカ軍をクラト殿につけると言ったが、軍師と軍団長だけでは足りないだろう。兵士がおらんではないか」
この問いに対してバイカルノはこう答えた。
「クラトのわがままにこれ以上の人員は割けないな。仕方ない、クラトにやってもらおう」
湧き上がる笑い声を合図に会議は終了したが、ティエラの顔色は冴えないままだった。