ロスト⑪
俺は停車しているベンツに何かを感じた。
“排除対象”
俺の体は戸惑うほど素早く行動を開始した。
手には大型のバールが握られている。
ナビに座ったミキから溜息のような声が漏れた。
俺はレクサスから飛び出した。ベンツまでは10mほどでしかない。
(ズンッ)
ベンツのウインドウが破壊された。
俺がベンツに取り付いた時、乗っていた2人は既に絶命していた。
「良く気付いた。しかし遅い」
短髪の男がニヤリと笑って名乗った。
「俺は須藤だ」
嫌な笑い方だった。
須藤の背後にミキの姿が見えた。
馬鹿な、あのタイミングで俺より早い!?
この2人、一体・・・。
「この人達は違うわねぇ。なんでこんな人達に追わせたのかしら」
ミキが楽しそうな顔をしている。
須藤が関心無さげに呟いた。
「尾行だけが目的だったんだろう」
「なるほどね。さて、戻って仕事の続きをしなきゃ」
レクサスは高速の上り車線を110㎞/hで走行している。
「ちょっと手強いかもしれないから、神代さんにも来てもらおうかしら」
「ミキ、この男は」
「大丈夫よぉ、瀧さんのお墨付きだもの」
俺の背中に殺気に似た感情が突き刺さる。
「神代とかいったな、何をすればいいか分かっているのか?」
「目に入った人間を殲滅する」
「あはは~、正解~、神代さんって面白~い。殲滅だって。難しい言葉使うのね~」
「言うのは簡単だが、お前、人を殺した事があるのか?」
からかうような言葉に、俺はハンドルを左に切りながら答えた。
「無い」
「なら教えておいてやる。死んで欲しくない人間は簡単に死ぬが、死んで欲しい人間はなかなか死なない。無理はしなくていい。俺達の後から来い」
「分かった」
男がなおも続ける。
「言っておくが・・・、俺達がお前をフォローする理由はお前が死ぬと処理に手間取るからだ」
「じゃ、あんたが死んだ時のために処理の方法を教えてくれないか」
「何だと!」
隣ではミキが笑っている。
「ほんとに面白い人ねぇ。目に入った人間を殲滅するのはいいけど、私達まで殲滅しちゃ嫌よ」
からかいの声に俺以外の笑い声が響く。
俺は前を見据えたまま言った。
「何を言ってる。お前らは人間じゃないだろうが」
ほんの少しの沈黙の後、ミキと須藤は再び笑い出した。
「お互い様でしょ。ターゲットもそうだけど、あちらにも人間じゃないのがいるわ。手強いから1人で突っ込まないでね」
病院に戻ると驚いた事に警察どころか病院職員の姿すら見られない。
ほんの1時間ほど前にここで数人の人間が死んだはずだ。何も変わった様子が無い事がかえって不気味な雰囲気を醸し出している。
場合によっては単独で脱出・逃亡しなければならない。俺は言われた通り、付いて行くのがベストだろう。
病院の西側通路のドアは開いていた。踏み込むと2つの死体が投げ出されている。
ミキと最初に病院へ入った2人だ。
視線を感じて顔を向けると2階に通じる階段の踊り場に白髪の老人が立っていた。
全く感情の無い顔でこちらを見下ろしている。
「君たちがここに来たという事はあの2人は死んだか。彼らは“ノーマル”だからな、当然の結果か」
男は白衣のポケットに両手を突っ込んだまま続けた。
「その2体を回収して帰りたまえ。こちらも被害が出ているが目をつぶろう」
「あら、状況は3対1なのに、ずいぶんと上からものを言うじゃない?」
「ふん、あんな年寄り、俺1人で十分だ」
須藤が信じられないスピードで階段を駆け上った。
「須藤さん!ダメよ!」
須藤の手には60㎝ほどのバールが握られている。
白衣の老人は身構えもしない。
須藤がバールの尖った先端を向けてぶつかっていった。
その時、須藤の体がビリッとしびれた様に震えて動きを止めた。
(ガランッ)
バールが足元に落ちて派手な音を立てた。
そしてもっと重いものが階段を転がり、俺たちの目の前に転がった。
「こんなもので突いては後の処理に困るだろうに。無粋な男だ」
「君らもこれ以上荷物を増やすわけにもいくまい。これで退いてくれないか?」「検体に対する考え方は概ね君達と同じだ。ここで無理をする必要は無いと思うがね」
ミキは顎を引いたまま睨むように相手を見据えている。
「あと、瀧くんに伝えてくれ。やはり私は協力できないとね」
『!!』
ミキの背後で俺は須藤の足を掴むと引きずってドアを出た。
残りの2人の死体もドアの外へ出す。
ミキはチラリと俺が死体を運び出したのを確認して言った。
「じゃ、私達は失礼するわ。伝言は確かに伝えるから安心して頂戴」
ミキが緊張している姿を俺は初めて見た。
◇*◇*◇*◇*◇
レクサスのトランクにボディーバックが積んである。
先の2人は死後硬直が始まっていて、強引に詰め込むと間接がいやな音を立てた。
俺達はミキが連絡をして待ち合わせた男達にレクサスと3つの死体を引き渡した。俺の初仕事はこうして失敗に終ったのだ。
「ねぇ、私のお店まで送ってよ」
「店?」
「そう、小さなお店なのよね。骨董とかクリスタルとか扱ってるの」
「構わんよ。俺もこんな時間には帰れないし」
送ると言っても車は無い。タクシーを拾った。
タクシーで帰るのに送る必要なんてあるのか。
そんな事を言うのは野暮だが、俺はミキに女を期待してはいない。
数時間の居場所が欲しかったのだ。
店に入ると香の匂いがした。
その香はミキの印象そのままに、甘く気だるげで少しだけ苦かった。