10-6 蛮族
戦局はバルカに傾き、城の防衛には突撃大隊が置かれた。
その日、やっと歩けるようになったばかりのクラトはティエラと領内を巡回した。
巡回はティエラとイオリアが行う予定だったが、クラトが外に出たいといって同行を希望したのだ。
比較的安全な南西部だが、急遽、4頭立ての馬車が用意された。
イオリアが自ら御者を務め、赤騎馬隊が10騎護衛につく。
騎馬隊の甲冑を身に着けたティエラは兜だけ脱いで居心地が悪そうに馬車に乗った。
「馬車に乗ると・・・この小さい窓から流れる風景をみると、他国の祝賀行事にでも向かっているような気分になる」
「馬車に乗るのはそういう時だけかい」
「あぁ、さすがにドレスを着ている時は馬には乗れぬからな」
「そういや、戦つづきでティエラも軍装以外は久しく見てないな。ま、その分、正装した時に映えるのかもしらんけど」
ひとしきり笑い合った後、ティエラは真面目な顔でクラトに訊ねた。
「クラト、あの“ジッポ”とか申す道具はお前の世界のものなのだろう?」
「しかも父上のものだというではないか」
クラトはその問いには答えずに想いを巡らせた。
今まで死ぬ事をそれほど怖いとは思わなかった。
それは現実感の欠落に原因があったのだと思う。
今、バルカという居場所を得、死を間近に見た俺は、死の恐ろしさの本質を知った。
今やらなければという思いはほとんど衝動的でありながら、消えるどころかどんどんと強くなるのだった。
「知らなければ良かったのかもな・・・でも、俺はバルカの人間だ。戦い以外の事を考えるのは戦いが終ってからでいいだろう」
「そうか・・・そうだな。しかし、お主が必要なのだ・・・バルカには」
言い終わって唇を噛んだティエラは顔が見えないように窓の外に目をやった。
ティエラは確信した。クラトはバルカを去るだろう。
◇*◇*◇*◇*◇
エルトア技術者の話では、黒髪の異人は商業国家タルキアで商売を行い成功したらしいが、その後インゲニア、サンプリオス、ヴェルカノを経てエルトアに至ったという話だった。ある奴隷を探していたらしい。
そしてその奴隷を探して西へ向かったそうだ。
◇*◇*◇*◇*◇
その奴隷とはタルキアの奴隷市場で売られていた女の異人だ。美しく聡明そうな顔立ちだったが、エナルダと間違えるほど力が強く、命令にも従わないので手を焼いた持ち主が売りに出したようだ。
コウスケは新しい取引の打ち合わせで市場に来ていた。
そして併設された奴隷市場でその異人の奴隷と出会ったのだ。
商人として市場を訪れたコウスケがタバコに火を付けた時、揺れた炎が指にかかった。
「熱ッ」つい昔の言葉が出る。
その奴隷は激しく動揺した。
「ニホンジンデスカ」
コウスケはジッポを落としそうになった。強く噛みすぎてタバコの苦い味が口じゅうに広がる。
コウスケは奴隷に近づくと久しぶりの日本語で話しかけた。
「君はどこから・・・」
しかし、すぐに邪魔が入った。
この奴隷は高級な奴隷として2日後に行われる競売にかけられる。
競売の商品は事前に言葉を交わしてはならない決まりだ。コウスケは一言だけ残して市場を去った。
「必ず助ける」
コウスケは軌道に乗って大きくなり始めた商売を全て畳んだ。売れるものは全て売った。購入したばかりの土地も店も仕入れた商品も。
そして750万パスクを準備した。通常なら奴隷1人に考えられない金額だ。
有能な戦士系の奴隷でも300万パスク、愛奴なら最高級でも100万パスク、最近は愛奴を所有しない傾向にあるのでもっと安いだろう。
しかし、コウスケが最大限の金を準備したのは、ある豪族が強い興味を示しているのを知っていたからだ。
その豪族は30を少し過ぎたぐらいで、首からぶら下げたカードには【インゲニア国/マヌーバ】と記されていた。金はある。面子のためならどんな無茶もする。そういう人間と感じられた。最大限の準備をすべきだ。コウスケはそう考えた。
◇*◇*◇*◇*◇
競売は最初から異様な熱気を帯びていた。
最初から100万の声が飛び、会場を騒然とさせた。声の主はマヌーバでもコウスケでもない初老の男だった。驚いた事にそれでも6人がレイズを続けた。
さすがに250万パスクを超えたあたりでバタバタと降り、コウスケとマヌーバの一騎打ちとなったが、コウスケが650万までレイズした直後、マヌーバは嫌な笑いを見せながら850万まで引き上げ、「これは売主へのサービスだ」と言って余裕を見せた。
マヌーバは自分の力を示せれば良いのだ。欲しいと望む者が多いほど、その思いが強いほど、この男は欲しくなるのだ。
コウスケは競売の後、マヌーバと接触を持とうとしたが、既にこの地を発っていた。
コウスケはマヌーバの使用人に、奴隷に贈り物を渡したいと言って金を握らせた。
しかし姿を見る事は叶わなかった。
奴隷部屋のドアの前で使用人は贈り物を出せと言う。自分が渡すというのだ。
直接渡すと言って押し問答になったが、贈り物が用意されていないと知るや使用人は激怒した。
その使用人は商人の主人を恨んでいた。物を右から左へ流すだけで大きな富を得ている。
身を粉にして働いている自分は僅かな報酬しか手にできない。
ついさっきまでは主人と戦った相手として同情を寄せていたが、この男も商人だ。簡単に大金を手にしているに違いない。でなければあんな異人の女に数百万パスクも出すものか。
護衛が呼ばれ、異人の男を連れ出そうとした。コウスケがその気になればこんな護衛の2人や3人は簡単に倒せるが、そうしたところで助け出す事はできないだろう。
護衛に抗いつつ、閉まったままのドアに向かって声を上げた。
「私は鳴海。鳴海浩介といいます。7年前にこの世界に来ました。あなたの名前は!?」
「私は神代奈央。ありがとう。そしてご迷惑をお掛けしたようです。申し訳ありません」
外に放り出されたコウスケに使用人は嫌な笑いを投げつけつつ言った。
「あの奴隷は取引先である蛮族への手土産だ。蛮族の国王は珍しい物が好きだからな。もうお前が手に入れるのは不可能だ」
その蛮族は大陸東部を抑える蓋のような存在だ。その蛮族の国名をバルナウルと呼ぶ。