10-1 準備
「おい、そこ!」
ラバックの声が響く。
「列が乱れてるぞ!」
兵士は緊張した面持ちで整列していた。
ラバックも落ち着きなく兵士の間を歩き回っていた。
ルシルヴァは同行するのだろう。姿が見えなかった。
ホーカーはもう泣いているし、スパイクは敵の本陣を見極める時のように遠くを見ている。
ヴィクトールは俯いて微動だにしないし、ラナシドはじっと前を見据えては時折上を向いて深呼吸をしていた。
エルファは大隊の一番後方に1人立っていた。
イーネスとの激闘の数日後、ティエラ姫とファトマ侍女長に連れられて突撃大隊に戻ってきた。気に病んでいるようだが弱々しい印象は無かった。むしろ強くなったように見える。
「き、来た!」
スパイクの甲高い声が響く。全員の身体がぎゅっと引き締まった。
現れたクラトは車輪のついた椅子に座っている。ルシルヴァが押しているようだ。
「おい、嘘だろ・・・」
ラバックの喉から搾り出されるような声は虚ろだった。
クラトは1人では立ち上がる事もできない。剣どころかスプーンすら持てないのだ。
背中には親指程の穴が4箇所開いている、毒で壊死したためだ。
意識はしっかりしているものの、口が利けない。
体はやや左に傾いている。どこを見ているのか分からない目が閉じられ、顔が歪んだ。
どうやら笑顔を見せたらしい。
錬兵場は静まり返った。
誰もが持っていたイメージは15リグノ剣を振り回すクラトだった。即復帰とはいかないまでも、大隊に合流していつものように軽口を叩くのだろうと考えていた。
これじゃ廃人じゃないか。
もうホーカーはボロボロ泣いている。ラバックもスパイクも涙が溢れるのを感じた。
どうしてこんな事に。
誰もがクラトの姿を悲しみ、運命を悔やみ、クエーシトのスツーカを怨んだ。
ここでルシルヴァが口を開く。笑顔だった。
クラト大隊長は今、“絶望の苦痛”と呼ばれる毒薬と交戦中だ。
これまでこの毒に勝利した者はいない。常人は痛みに耐えられず自ら命を絶つか狂ってしまうらしいが、こうして外出できるまでに回復した。
軍医の言葉をそのまま伝えよう。
『お前は奇跡を見た事があるか?目の前にあるのは間違い無く奇跡だ』
隊長がどこまで回復するのか、どれだけ時間がかかるのか、それは分からない。しかし、我々も大隊長に負けてはいられない。我々は突撃大隊なのだから。
アティーレもパレントもギルモアも撃退し、“バルカの大剣”と呼ばれた異人の隊長に率いられた突撃大隊なのだから。
ルシルヴァの目に力がこもる。
戦いの結果を恨んではならない。行いの結果を悔やんではならない。
何かを得る為に何かを失い、失わなければ得られない、という考え方は我々には不要だ。
そういった考え方は、得たものと失ったものの損得勘定となる。
損得を考えて大切なものが守れるか!己の未来が得られるか!
あるのは意志と戦いと結果だ。
だから・・・クラト隊長は納得しているんだ。この結果に。
これは結果であって損害ではない。ましてや代償でもない。
他の者が悔やみ悲しみ恨んでいる間に隊長は歩み続けている。
我々も遅れてはならない。立ち止まっている暇は無い。
クラトが小さく唸っている。
ルシルヴァが耳を近づけ、苦労しながら聞き取った。
「ダラダラしてるヤツは後でぶっ飛ばすぜ!戦場で死なないように訓練で死んで来い!・・・だってさ!」
ルシルヴァが泣き笑いながら声を張り上げると、ラバックが姿勢を正した。
「全員完全装備で南門に集合!!」
全員が走り出した。
立ち尽くしていたエルファは、一礼すると砂埃を舞い上げ、信じられないスピードで上昇していった。
「これでまた強くなるよ。突撃大隊はさぁ」
◇*◇*◇*◇*◇
クエーシトとバルカの戦いは膠着した。
両軍とも基本戦略は少数精鋭の短期決戦だ。それが膠着する理由は“北の戦乱”による消耗に他ならない。スピードに優れた拳闘士が消耗して足を止めて殴り合いをしているような状態だ。
トレヴェント国軍も最初こそ勇躍、戦場に赴いたが、戦場は想像を絶するものだった。
トレヴェント軍はバルカ軍の指揮下に入らざるを得ない。そうしなければ生き残れるような戦場ではなかったのだ。
クエーシトのエナルダ部隊、バルカのトレヴェント援軍、どちらも決定打とはなり得なかった。
戦力消耗による膠着は不戦状態を生み出し、両国とも戦力の回復を図る。
グリファもエルトアもギルモアさえも動かなかった。
もはやどの国家も戦乱を望んではいなかった。クエーシトとバルカもこのまま停戦してもらうのがベストだ。ギルモアの凋落により各国のパワーバランスが取れ始めている。
クエーシトだろうがバルカだろうが、戦力の拡大は好ましくはない。
これらの思惑は両国の戦いに関与しないという行動に現れた。
この状態は1ヶ月にも及び、新たな戦いの準備期間としては十分だった。