第四章
——正直に言えば、俺は最初から遺書を信じていなかった。
いや、正確に言うなら、「信じてはいけない気がした」と言った方が近い。
俺の指示で招集した臨時アルバイトは、結局いつもの三人しかいなかった。
平井。
フリーランスの営業職。
人見知りという言葉を辞書から削除したような男で、初対面の相手とも三分で友達になれる。聞き込み調査担当としては理想的すぎる人材だ。
各務。
リサイクルショップのオーナー。
機械オタクで、盗聴器や小型カメラをいじらせたらプロ顔負け。
最近は赤外線センサーを組み込んで、暗所でも反応し、なおかつ電池の消耗を抑える改造にハマっているらしい。
棚田。
個人タクシーの運転手。
鉄道マニアという変わり種だが、時刻表と地図を頭に叩き込んでいるので、徒歩でも車でも尾行を失敗しない。
「じゃ、今回のターゲットはこの女性」
僕はホワイトボードに写真を貼った。
片桐亜美。
行方不明の元会社員。
「住所変更、退職、連絡先不明。典型的な“蒸発”だ」
平井が口笛を吹く。
「うわ、厄介そうっすね」
「厄介だからこそ、うちの出番だよ」
棚田は無言で頷き、
各務はもう写真をスマホで撮っていた。
指示はシンプルだ。
平井は聞き込み。
各務は機材設置。
棚田は尾行。
「この女、必ずどこかで誰かと接触してる。痕跡を拾ってきて」
三人は慣れた様子で散っていった。
——ここまでは、いつもの仕事。
問題は、そのあとだった。
椅子に座って、俺は改めて遺書を読み返した。
柏葉隼人。三十歳。自殺。
文章は丁寧で、感情的で、よくある遺書の典型。
妻への感謝、迷惑をかけたことへの謝罪、
そして最後に——
「夫婦のまま、死なせてください」
「……」
何度読んでも、そこだけ、引っかかる。
「何か引っかかるな……」
独り言のつもりだったが、
横にいた夏野がすぐ反応した。
「何が引っかかるんですか?」
「ここの一文」
俺は指で示した。
「夫婦のまま死なせて欲しい?」
夏野は少し考えてから言う。
「普通に考えれば、最愛の人と生きてるうちに別れたくない、って意味に見えますけど」
「うん、普通に考えればね」
「……?」
「でもね、普通すぎるんだよ」
夏野は眉をひそめる。
「普通すぎる?」
「人が本当に追い詰められて死ぬときって、もっと文章が歪む。論理が飛ぶ。意味不明になる。でもこれは、綺麗すぎる」
夏野は遺書を見つめたまま、何も言わなかった。
俺はふっと息を吐いて、別の封筒を開いた。
遺品。
財布。鍵。スマホ。
そして——一枚のメモ用紙。
走り書きのような文字列。
「……?」
最初はただの意味不明な文字列に見えた。
でも、二秒で分かった。
「これ、暗号だ」
夏野が目を丸くする。
「暗号?」
「数字とアルファベットの並び方が規則的すぎる。ランダムじゃない」
俺はペンを取り、裏紙に分解して書き出した。
数分後。
「ああ……やっぱりだ」
「何が分かったんですか?」
「これは文章じゃない。情報への“鍵”だ」
俺はメモ用紙を持ち上げた。
「おそらく、何かのパスワードだ」
夏野が息を飲む。
「パスワード……?」
「こんな暗号、普通は残さない。でも逆に言えば、“残す理由があった”ってことだ」
夏野は黙っていた。
「これは遺言じゃない。——何かあったときのための“保険”だ」
俺は夏野を見た。
「お兄さん、情報を“守ろうとしてた”」
その瞬間、ただの自殺案件が、完全に“事件”に変わった感覚があった。
俺は電話を取った。
「柏葉君に連絡して。すぐ」
「何て伝えますか?」
「こう言って」
俺は、遺書と暗号を机に並べながら言った。
「お兄さん、何かを残してます。それが“何か”を確かめる必要があります」




