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第十二章

所轄の警察署は、想像していたよりもずっと普通だった。


コンクリートの壁。

蛍光灯の白い光。

忙しそうに行き交う警察官たち。


——ここで、兄の死は「自殺」と処理された。


その事実が、妙に現実味を帯びてきて、優斗は一度、深く息を吸った。


受付で名前を告げ、「柏葉隼人の件で」と言うと、中年の刑事が応接スペースに案内された。


「……で、要件は?」


「兄の死亡について、再捜査をお願いします」


刑事は、ほとんど反射的に首を振った。


「それは無理だ。自殺として処理は終わってる」


「でも、新しい事実が出ました」


「それでもだ」


刑事は事務的だった。


「遺体は火葬済み」

「事件性はなし」

「再捜査の必要性がない」


優斗は、ポケットから資料のコピーを取り出した。


「首のレントゲンです」


刑事は、ちらっと見る。


「……だから?」


「舌骨にヒビがあります」

「飛び降りの首吊りなら、普通は伸びる方向に力がかかる」

「でもこれは、横から潰された形です」


刑事の表情が、わずかに変わった。


「それと、索条痕」


今度は遺体写真。


「ロープの痕にしては、薄すぎる」

「ロープより太くて柔らかいもので、先に首を絞められてます」


刑事は黙った。


だが、すぐに首を振る。


「……それでも、再捜査はできない」


「なぜですか」


「今さら覆せば、当時の判断が全部問題になる」

「内部的にも、面倒すぎる」


優斗は、はっきり言った。


「今、再捜査すれば“内部処理”で済みます」

「でも、これをマスコミに出したら、“隠蔽”になります。そっちの方が面倒なのでは?」


刑事の目が、優斗を真っ直ぐ見た。


「……脅してるのか」


「事実を伝えるだけです」


優斗は、声を落とさなかった。


「自殺じゃない証拠は揃ってる」

「それでも動かないなら、世論を動かすしかありません」


しばらく沈黙。


刑事は、ゆっくり立ち上がった。


「……上に確認する」


十分ほどして、戻ってきた。


「形式上は“再捜査”だ」

「実際には、書類の見直しと、証拠の再検証になる」


優斗は、静かに頷いた。


「それでいいです」


「ロープは?」


「証拠品として保管されている」


「結び目付近の皮膚片を、滝川零士のものと照合してください」


刑事は眉をひそめた。


「……そこまで分かってるのか」


「あと、舌骨と索条痕の再確認も」


刑事は、小さくため息をついた。


「……やれるだけやる」


その瞬間、優斗のスマホが震えた。


田所からの着信だった。


「もしもし」


『口座の流れ、出た』

『滝川零士から、片桐亜美に三百万円』

『事件の直前だ』


優斗は、そのまま刑事に伝えた。


「今、確認が取れました」

「零士の口座から、片桐の口座に三百万の送金があります」


刑事は、完全に言葉を失った。


「……それは」


「動機も、手段も、金の流れも揃いました」


優斗は、初めて警察官を見下ろした気がした。


「これでも、再捜査しませんか?」


刑事は、ゆっくり頷いた。


「……もう、引き返せんな」


警察署を出たとき、空はやけに明るかった。


兄の死は、ようやく「個人の悲劇」から「事件」に変わった。


——ここから先は、もう感情じゃなく、法の問題だ。


優斗は、そう思いながら、スマホを強く握りしめた。



第十三章


ニュースは、思ったより静かに届いた。


テレビでも、ネットでもなく、田所からの一本の電話だった。


『終わったぞ』


それだけで、優斗は理解した。


「……捕まりましたか」


『滝川零士と、片桐亜美』

『両方だ』


優斗は、しばらく何も言えなかった。


『片桐は、最初から素直だった』

『金を受け取ったことも、虚言も、全部認めた』


「……良心の呵責、ですか」


『ああ。最初は軽い気持ちだったらしい』

『まさか本当に殺すとは思ってなかった、と』


電話の向こうで、田所が一度、息を吐く。


『零士の方は、最初は否認してた』

『だが、ロープから皮膚片が出た』

『それと、片桐の自供を突きつけたら……』


「……観念した」


『ああ』


田所は淡々と続けた。


『最初から、美玲さんの気持ちは計算だった』

『大学時代から好意を持ってるのは知ってた』

『それを利用して、離婚に追い込み』

『そのまま財産を奪うつもりだった』


優斗の胸の奥が、冷たくなった。


『片桐はただの道具だ』

『虚言役と、アリバイ役』

『金を払えば、やると思ってた』


「……兄は」


『最初から、何も知らなかった』

『ただ、邪魔だっただけだ』


電話が切れたあと、優斗はしばらく、その場に立ち尽くしていた。


怒りも、安堵も、どちらも、まだ形にならなかった。


翌日、優斗は警察署にいた。


刑事から聞かされた内容は、田所の話とほぼ同じだった。


零士は、自分の計画を「合理的だった」と言ったらしい。


美玲の好意。

隼人の財産。

片桐という駒。


「全部、条件が揃ってた」

そう言って、笑ったと。


優斗は、その話を聞きながら、妙に現実味がなかった。

あまりにも、冷静で、あまりにも、身勝手で。

兄の人生は、誰かの“計画の材料”でしかなかったのだ。


警察署を出た足で、優斗はそのまま美玲の家へ向かった。


インターホンを押すと、少し間を置いて、ドアが開いた。


「……優斗くん?」


「話があります」


それだけ言って、家に上がった。


リビングは、相変わらず整っていた。

でも、どこか空気が重い。


優斗は、ゆっくり話し始めた。


片桐の自供。

零士の計画。

遺産目当てだったこと。

最初から、全部が嘘だったこと。


美玲は、最初は黙って聞いていた。


やがて、手が震え始めた。


「……私、利用されてただけ?」


「……そうです」


その瞬間だった。


美玲の膝から、力が抜けた。


「……うそ……」


ソファに崩れ落ちて、両手で顔を覆う。


「私……何も……」


声にならない嗚咽。


「……私の人生……」


優斗は、何も言えなかった。


責める言葉も、慰める言葉も、もう、どちらも意味を持たなかった。


そこにいたのは、兄を失った弟と、兄を追い詰め、そして利用された女。


二人とも、もう、取り返しのつかない場所に立っていた。


ただ一つ確かなのは、隼人の死は、ようやく「真実」として、この部屋に辿り着いたということだけだった。

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